花のかたち(2)

仏塔と胎蔵

八木橋司 1995年

<Part3>


3 自然崇拝と仏陀の不在

■表象の母体

ここまで見た全ての作例の背景にある、ストゥーパの人々が持っていた造形理念の本質は、一義的
で明快であった。彼らが「花のかたち」の基準図形を、具体的な造形操作によって実現する様々な表
象の母体と把握していたことは、もはや明らかである。瓶もヤクシャも同じ普遍の母体に帰結するも
のだからこそ、表象上の同値性は単なるアナロジーを越え得るのである。それらは根源的な母体に発
生展開したという、具体的資質によって聖性を帯び、様々な形を取って、我々の意識に現われるもの
なのである。

我々は、造形上の探求によって確立したこの発想が、現実世界に展開する様々な表象が究極に
て根源的な唯一の母体へ帰結する「仮りの現われ」であると把握する世界認識の急速な理念化に、
直接反映したとする理解を不自然とは思わない。ストゥーバの造形探求に関わり、作図という高位
の表象操作を介して導かれた、完結した幾何学の構築性の認識こそが要因となり、その後大乗思想
が推進する、釈尊の思想の革新的解釈たる「空の観念」の源流が、ここに形成されたとする理解の
可能性を提示しておきたい。また誤解のないように、ストゥーバの人々のこうした幾何学との接触に
よってもたらきれた事態が、彼らの世界認識の本質をも変更させた結果なのではない事も、同時に
述べておきたい。彼らは既に、より現実的な在り方で、その聖なる普遍の母体の本質を熟知していた
事を忘れては成らないからである。ここで新たに見い出されたかに思える、我々が普遍と呼んだもの
は、アニミズム的世界認識を受け継いで来た彼らにあってこそ、彼らが知るところのそれと、根底に
おいてなんら異質のものではなく、彼らの生が自明として来たその母体の上に、難なく重ね合わされ
たに過ぎないはずである。少なくても、我々が現在検証し得る、最古のストゥーバ遺構である、サンチー
第二塔に見られる造形への検証からは、こうした認識が得られるのである。


■聖樹崇拝

バールフットのメダリオンには、五つの聖樹崇拝の図像が存在している。中心に垂直に伸びた聖樹
とその下の宝座を囲み、人々が熱心に供養を施している図で、これらはほぼ同じ構成である。この一
連の図像も、間違いなく基準図形としての「花のかたち」の規定を受けて成立したものである。その内
の三つの作例の解析図を、図版14,15,16として提示した。三例とも、聖樹の枝葉部分が、五角形
上部の円周に対応して設定されている。特に図版16の枝の先端は正確に円周上に配置されている。
この図の中心の枝に掛けられた花輪は、正五角形上部左右の円の交差領域内に正確に配置されて
いる。この交差領域は、黄金比に性格づくものである。図版16もこの花輪に関して、全く同じ規定が
見い出される。





宝座は、三例とも詳細に関して多少の差異があるものの、先に見て来た作例における瓶およびヤクシャ
に対するものと同じ規定を受けている。図版14の宝座が、基準図形の蹟も明確な位置関係を正確に
受けて配置されている。図版16は、座面の奥の辺が下げられているが、手前の辺の位樋は図版14
と同じく、正確に五角形の底辺に重なっている。この宝座が下げられているのは、手前の二人の供養者
が宝座の上部に大きく配置された為の必然的な選択である。図版15の宝座は上部に上がっており、
他の二例とやや異なる配置だが、正五角形底辺上に宝座の脚の段が位置し、座面奥の角は基準図形
の交点にほぼ一致している。

本来仏陀が座すところの宝座にその姿はない。その事から、この図像もまた仏伝図における仏陀の
不在表現と同じ範畷に属すかにも思える。しかし、必ずしも単純にそう取れない事項をこれらの遺品は
含んでいる。そもそも、バールフットの五つの聖樹崇拝の図像は、釈迦の供養図ではなく、過去仏への
供養図である点が重要である。過去仏とは、釈迦以前に成道を果たしたとぎれる、釈迦以外の仏陀
たちの事であり、釈迦を含め過去七仏と称きれる。これらの仏陀たちの成道を象徴する聖樹は、個別
に設定されており、五つの遺品には全て過去仏とその固有の聖樹の銘が刻まれている。先の引用が
示すように、過去仏信仰と聖樹崇拝の強い結び付きは既に重視きれており、バールフットの造営にさか
のぼり、アショーカ王以前から存在した事実も確かめられている(16)。

もしこれらの図像を刻んだ造形者が、本来は仏陀供養の情景を意図していたが、それを果たし得
ない状況から、不在の宝座に仏陀を象徴させるという迂回的表現を取ったと解釈するなら、次のよう
な不可解な事態を容認しなくては成らなくなるであろう。バールフットの人々は、数多くの成道者の
全てに対しても、釈迦に対すると同様の、人間たる仏陀の現実的な姿への供養の衝動を有し、切実
にその姿を表現しようと願っていた事になるが、数百年の昔から安定して伝承されて来た信仰におい
て、そのような本質的転換が、ここで初めて必然性を持って現われたとは考え難い。もしあるとすれ
ば、釈迦に対しての不在表現が確立を見て、二次的に過去仏におよんだものと取る他はないが、そ
れでは過去仏供養図への解釈としては、本質を捉えることができない。

過去仏信仰の根底にある樹木崇拝に着目する我々の視点は、これらの図像が釈迦に関わる仏伝図
等に親近すると取るより、ここまで述べて来たストゥーパの重要な主題を担う、ヤクシャ、ヤクシー
に関わる自然崇拝の主題に親近すると捉えるのである。バールフットまでの長い伝承の過程に、過
去仏の存在を思念する為の宝座と固有の聖樹とを一体に踏まえ、それを具体的な供養の対象とする
崇拝形態が、既に確立していた事は十分に在り得る(17)。もしそうなら、当時当たり前に存在したか
もしれない、こうした供養の光景こそを、一連の図像は表現していると考える方が率直な解釈ではな
いのか?

こうした解釈は、これらの図像の具体的表現から、さらに強く導き得るのである。図版16において
四人の供養者が崇拝の対象としているのは、宝座ではなく聖樹の方である。もし、宝座の上に仏陀
が不在的に表象されているのであれば、このような配世は全く有り得ない。この供義図からは、供養
者逹の信仰の主軸が聖樹にある事がうかがい知れるのである。図版14、図版15の場合は、手前の
供養者が宝座に向かって礼拝している。これは明らかに仏陀を思念して供養する姿を表現している。
しかし、これは現実的な供養の在り方において、宝座がそのような役割を担っていた事を示している
にすぎないのではあるまいか。これに関して我々がこだわったのは、図版14の宝座の上に撒かれ
た花や葉の存在であった。宝座の上に仏陀が存在する事を意図していながら、その存在するはずの
仏陀と宝座の間に、花や葉があるよう表現することは、本来不自然とも思えたのだ。だが、銘文から
仏陀の象徴として宝座が用いられた事実が確実である、バールフヅトの他の作例にも同じ表現が存在
し、これを根拠の主軸に置くことは出来ないかに思える。ところがざらに、次のような関連から、この
事実を逆の論拠に転換し得る可能性も存在するのである。

参考図版3は.銘文に「仏陀の成道」とあるバールフットの方形区画の作例である。バールフットにおいて、
仏陀の意図的な不在表現の現われる図像は、他にアジャータシャトル柱と呼ばれる方形区画を構成した
柱にも集中している(18)。これらの制作が、メダリオンの制作年代と同期であるとは限らないと我々は考
える。明らかな造形精度の高さを示しているからである。参考図版3の左の礼拝者の背後の女性のくだ
けたポーズなどは、むしろサンチー第一塔に現われる流暢な表現により接近している。この発想のもと
に我々は、参考図版3の宝座と礼拝する二人の人物のパターンが、図版14のそれに非常に似ている
事実の重大性を指摘する。参考図版3の作例が図版14の過去仏崇拝の図像を受けて、後発して制作
されたものならば、仏陀不在表現の発祥の新たな解釈を導き得る可能性が存在するであろう(19)。





ただし、明らかに古相を示すメダリオン図像にも、銘文付記による意図的不在表現を示す主要図像が
存在する。「帝釈窟説法」と呼ばれる作例である(20)。我々の仮説は、この存在によって困難が伴う。
だが、この銘文が直接仏陀の存在を表現している訳ではない事実も含め、再度検証を推進したいとも
考える。


■パールフットに成立した理念

いずれにせよ、バールフットの造形の内に、仏陀の存在を不在のまま象徴的に暗示する方法を意
図的に用いた図像が出現したのは、揺るぎない事実である。この造形上の選択は、さらにサンチー
第一塔の作例が示すように、より意志的で明確な表現手法として進展するのである。当時の部派教
団がストゥーバ運営にある距離をおき、またそれに制約を加えた旨の経典資料が存在する点からも、
仏陀像の現実的な表現は、教団側の意向によって押さえられたとする説も信懸性は大きい(21)。
しかし我々がこだわるのは、冒頭でも述べたように、それではなぜ彼らがそのような方法を介しても、
仏陀表現の衝動に促きれ方向づけられたのか、その本質についてなのである。この問いの明確
な答えを、早急に得ることは未だ困難と知るべきだろう。ここまでの考察から導かれる、着想だけを
記するにとどめよう。

まず、サンチー第二塔とバールフットを比較して言える本質的相違は、バールフットにおいては明
確な仏教主題が登場することにある。しかしそれにもまして、多くのアニミズム的主題が、第二塔か
ら引き継がれてもいる。これが次のサンチー第一塔においては、仏教主題の側が爆発的に主軸化し
ていくのである。この面から、バールフットのストゥーバこそ、第二塔に顕著な本来のアニミズム的
性格を脱して、第一塔以降に急激に仏教化してしまうストゥーパの歴史における、重要な過渡的段
階を呈していると見る視座が確立するのである。それでは、そこで起こった転換の本質とは何だった
のか?

そのひとつは、間違いなく人間自身の発見である。我々は、仏教美術史において、釈迦にしろ過去
仏にしろ、仏陀を供養する人間自身の姿を見るのは、このバールフットが最初なのである。後世に進
展して積み重なり今日に至る供養する人間自身の姿を、当然のもののように思う我々の眼は、この事
実の重大さを見逃してしまいがちである。バールフットの造形に現われる人間たちの実に活々とした
表情は、バールフットの人々が、表現し、客観化し、自ら把握の対象としたかったものが、仏陀を供養
し、あるいは仏陀の逸話に関わる事で活性化きれる、人間自身の存在とその意義にもあった事を教え
てくれている。彼らが、仏陀という崇拝されるものの表象に先駆けて生み出していたのは、崇拝する側
の表象であったと言ってもよい。

彼らのこのセルフイメージの獲得は、さらに重大な局面への進展の可能性を孕んでいたかもしれない。
我々はその断片が、聖樹崇拝の図像に現われているのではないかと推定したのである。先に見た
過去仏の聖樹崇拝の図像が示している光景が、古来伝承きれて来た儀礼の一場面とするなら、それ
は現実の信仰の場における、彼らの生の一貫として踏まえられたに過ぎなかったであろう。しかし、
これを図像として刻み表した時に、彼らの儀礼に際し、本来不在であってなんら過不足なかったそ
の宝座に、仏陀の姿が存在しない事実の〈意味〉が、ここに初めて出現したとする解釈を立て得るの
である。今日の我々の眼は、この〈意味〉こそを最初に見、そこから出発したのだと言えまいか。この
不在の〈意味〉は、同時に〈仏陀の存在の意味〉へと、いつでも反転する事が可能なものだったはず
である。

無論、この聖樹崇拝の図像に見た仮説は、一事例に過ぎない。人間とその信仰へ対するセルフイ
メージに裏付けらたバールフヅト全体の理念が、そうした推進力を持っていたと考えるべきだろう。
しかも、こうした理念の発生こそは、ストゥーバが人間活性化の拠点として、仏陀以前からのアニミ
ズム的背景のもとに、受け継がれて来たものと推察する時、その本質において極めて当然の展開
であった事をも、同時に理解しなくてはならないのである。



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