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-Reports from Erratic--


Past-(3) 2005年1月4日(火)〜2006年3月21日(火)


2006年3月21日(火)986時726分 さらば落日のメディア

エネーチケーでメディアの話をやっているで御座るな。TVなど終了してもらって別に誰も困らぬ訳で御座る。もうほとんど見ていない拙者でさえ精神的に健全を保てる内容なら別にあっても文句は言わない所存で御座るものの、差別意識暴力思考の増強(→青少年による凶悪犯罪)、性愛感覚の麻痺(→少子化)、主体的思考能力の減衰(→国際水準での文化産業沈降)等など、国家規模の災いばらまきと引き替えに一部資本はボロ儲け、こんなもんに未だ着いていく必要など拙者ども人民には全くないというのが真実で御座いありやがる。そういう状況をだらだら保てるほどのおもしろさも誠実さもほとんどこの領域には無い訳で御座るよ。

しかしパネラー諸氏も「もしかしたらワタクシドモの問題は・・・かも知れない」とはそれなりのことは言ってるようだが、かも知れないではなくズバリその通りであるのに当事者の感覚は「かも知れない」レベルな訳で、要は真の変革意識もその力量もそこには無いということで御座い在る。

パネラーの里中女史という人はズレてるなぁ。ニッポンのマスメディアなどが社会の目安になり得るなど何処の誰が未だ信じているで御座るかね。日夜その能力の無いことの証明をやっておるぞ。せめてBBCなら言って良いかも知れぬが。もう少し人選考えて番組作ってもらいたい所存で御座る。


2006年3月21日(火)84665時18365分 国際試合

最早イチローも国際人の一人で御座ろうから、しかるべき席での発言は言葉を選ぶべきで御座る悩ぉ〜。「向う30年手が出せないニッポン」というのは野球以外の特定暗喩の方に限定されざるを得ないでは御座らぬか。一回の試合結果で向う30年間も「ニッポン野球には手が出せんなぁ」という判断を下すタコなスポーツマンなど初めから存在するわけも無い以上、誰しも「ほ〜オヌシそういう見識か」となるのは必至なので御座る。たかが野球の試合などでナショナル色必要以上に漂わぬようにしてもらいたい限りで御座る。国際間でのオレオレ的ポジション確保に異常に過敏な国民体質(増強中)を踏まえて物事言ってもらいたい所存で御座る。たった一大会優勝してマジで国民的大勝利と騒ぎかねない世界の万年青少年ニッポンなので御座るからサ。いつものニッポンらしくこれも超タナボタであったことをくれぐれも忘れてはならぬので御座い在る。今後も謙虚に「祈りの野球、祈りのサッカー」基本忘るべからずで御座る。祈りが足りないのでてき面トリノは実力通りだったでは御座らぬか。only祝荒川御中。

PS
どうもやはり近隣諸国からありがちなコメントが出ておるようで御座い在る。別に言われなくても日本人のほぼ100%は王選手は台湾の家系だと知っているで御座る。或は韓国にしても最初に監督が出したコメントならさすがキマッておったのに、後からメディアが結果以上の特殊理論で解釈など加えんでもいいで御座い在る。この手の話に下がって行くなら向う30年はアジアリーグでやってればいいので御座らぬのか?どうしてキューバの連中みたいカラッと太い話が出来ぬので御座ろう。一方ニッポン応援サイドだが、最後このタナボタ優勝で結果オーライの大歓喜はまぁ良いので御座るが内心イマイチのりきれぬ所と心中察するに余り在る次第で御座る。米が奇跡の敗退となるまで終了ムードぷんぷんだったニッポンで御座るからね。やはりこの結果が来て最大ズバーンと感涙むせぶ条件としては、一縷の望みのあの土壇場でこそ信心出さないとダメだったので御座る。拙者もそんなまるで阪神ファンかのごとき姿でも目の当たりにしていたので御座れば「超タナボタ」などと到底ほざけない訳で御座い在る(爆

PS
向う30年アジアリーグなどと言っておったら、ゲゲッ、やっぱ新たな定期日韓戦やるだってぇ。それ見たことかで御座る。この地域まだまだワールドカップ云々は背伸びし過ぎなので御座るよ。
http://critic2.exblog.jp/3055494

気持ちは分るが「手が出せない」と言う語を隠蔽してまでイチローを弁護することもないがなぁ。しかしこのレベルの話で米側リーグまで引っ張り出して帝国云々とほじくられてはそりぁ米が気の毒というもので御座らぬか。また、少なくても日本の国技は揺るぎなく相撲で御座るゼヨ。ねじ曲げて実質野球と思っているのは極限られた領域の人間だけで御座る。その国技のチャンピオンがモンゴルやハワイやヨーロッパの海外勢でも別に国のプライド云々等と大騒ぎもしてないどころか、それもアリよとばかり楽しみ方を工夫しているでは御座らぬか。野球サッカーとなるとなぜこういう本来のお気楽な国民気質が全面に出ぬので御座ろうか。

PS
2006年3月24日(金)2857時10985分 興行師
米が勝とうが負けようが収益の30%以上米の懐に入る仕組みだそうで御座るゼヨ。



2006年3月16日(木)3745時2553分 ジョンのスケール

「津軽じょんから節」とコルトレーンの「ミスターPC」がなんで似ているかの疑問が最近解けたので御座る。じょんからのビートがアフター気味であり、二拍子タメから三連になったりまでするあたりでノリがJAZZとダブるに加え、決定的なのはスケールの問題だったので御座いある。要は歌と三味線によるつなぎのスケールが違っているので御座る。歌がDb-E-Gb-Ab-B-Db のところ、つなぎはB-D-E-G-A-B なので御座る。これをオーバーラップさせ三味線つなぎの基音Bで並べると、B-Db-D-E-Gb-G-Ab-A-B となるので御座る。七音階にするには半音ゾロになってる箇所Gb-G-Ab-AからGかAbどちらかを抜けばよいで御座ろう。どちらを抜くかは解釈次第で御座る訳だが、もしGを抜けばこれはドリアンスケールになり、Abを抜けばエオリアンスケール(普通のマイナースケール)になるので御座る。この音列のニュアンスは三味線のみの曲弾き即興にこそ強く現れるで御座ろう。アフタービート三連ノリでドリアンとエオリアン掛け合わせでインプロやってるにほぼ近いと言うことなので御座る。

しかし、ギターで素人インプロ三味線をやってみたので御座るが、案の定七音一面感覚でスルスルとやってしまうと実に軟弱に聞えてしまうので、そうならないように二つのペンタトニックが組み合った展開にするとそれなりにじょんからっぽくなったので御座る。やはり民謡たるもの竹を割ったごとくの五音階で御座るが、「津軽じょんから節」の場合この五音階二段構造理論により、節回しに本来の強靱さを残しながら巧みに拡張的な七音(八音)駆使をやっていると結論される次第であい御座る。また、歌+三味線伴奏の場合は三味線つなぎの上にのっかっての拡張領域に声が来る訳で御座る。某100円ショップ版民謡大全第2巻青森のトラックだと、三味線つなぎから、ハァ〜〜♪ハァァ♪アァアアアァ〜♪と歌が上がっていって下りてきたらスケールが変わってるというような感じで御座るな。

未だ解析完了に至らぬ現状では御座るが、まったく同じ理論は「鹿児島おはら節」にもあるので御座る。これに至っては歌の節まで完全転調する離れ業で御座いあり、さらに一段複雑なので御座る。スケールも別の組み合わせの感じに聞えるで御座る。

PS
たぶんこれ関係ある話で御座ろう。
ブライアン・メイのギター

PS
竹内先生の「はいや・おけさと千石船」を品切れ状態の限界セーフで購入し今読んでいるので御座るが、んグ〜〜、と唸ってしまったので御座る。はいや節の話に行く前に冒頭こんなことが書いて御座い在る→。「津軽のあいや節に見られるような熱っぽさは、戦後、津軽三味線とアメリカ文化の影響下で派生してきたもので・・・」。ドッカ〜ン!超盲点で御座った。


2006年3月15日(水)8675時364分 深夜歌謡

いつもながらの夜中のエネーチケーで御座るが、久方ぶりに青江美奈をやっていたので御座る。当然ここは伊勢佐木町ブルース以外無いのだが、拙者このところ民謡ばかり聴いていたもんで、この曲のフトドキ具合リアル再確認してしまったので御座る。この水準もし映像であったならば当然発禁で御座る。かくも下品な作曲物なのだが青江美奈がやるとそこに品格というものがちゃんと確保されている訳で御座る。というかあそこまで際どくやって尚も生き残る品格というものは当然通常言うところのものであるはず無いので御座る。まさに常識を越えた音楽による空間が形成されてるので御座い在る。

で、その後はクールファイブなので御座る。前川清より歌がうまい歌手というのはそうそういない訳だが、とうとうニッポン音楽産業は自らの文化的責任を果たせないまま大器をほぼ別産業に委ねてしまったので御座る。確かに前川清の能力に見合う作曲物を生み出すことも最早かなり叶わぬ現状というのもしかりなのは事実で御座る。それにしてもどうしたらこのような品格のない歌詞が思い浮かぶのかと思う楽曲で御座ったが、逆にここまで来るとこれまたシュールの世界で、このような品格の欠如楽曲ゆえにこそ、究極下品極まりないコブシの使い方の表現上の可能性が拡大となったとする考えようがある訳で御座る。その意味で前川清こそ奇跡の人と言う他無いのである。普通ギャグにしかならないぐらいのあの音程振幅で御座るが、コブシとタメとドスを一体ドライブ状態巧みにからめて空中分解寸前の着地を見せるので御座いある。これをマジックと呼ばず何をそう呼ぶかで御座る。


2006年3月15日(水)825時215分 日本海

何かと能登が気になるところな訳で御座いある。結局、紀伊国屋ナビを駆使しついに「古代日本と渤海・能登から見た東アジア」というニーズにはまった書籍を購入した次第なので御座る。素人考えというのはたかが知れていることを思い知らされたので御座る。古代の船乗りにとって日本海というのは拙者どもの感覚で言えば瀬戸内海ぐらいの扱いだったらしいので御座る。渤海というのは朝鮮半島の直ぐ上にあった昔の国だそうで御座るが、そっから日本海の一番広い所を突っ切って能登に直行なので御座いある。その海路は「日本道」と命名されているぐらいのポピュラーぶりなので御座る。やはり能登が対岸との最大玄関口だった模様で御座る。しかし、この分では津島海域など漁民が勝手に釣り船で行き来してたぐらいのもので御座ろう。


2006年3月8日(水)4時55分 最終回

ニッポン国唯一の音楽ガチンコ番組で御座いまするところの竹内先生の民謡番組を聞いていたら、今日が最終回だと言っていたので御座る。まずは「両津甚句」「安来節」。これを聴いたところの拙者ども一般聴衆としては、現状知らされている事実(らしきもの)と民謡元筋ストリーム実体とが全然一致しない旨決定的認知に至るしかないので御座いまする。凄いドライブ感とツッパリ具合で御座る。「安来節」など拙者どもが思っているものと0.1%も同じところ無しで御座る。で、最終回の最後の曲は「線路突き堅め唄」というもので御座った。線路工夫の男衆がツルハシ自前伴奏で完全一体肉体ビートと成りきっているので御座る。やはり最後行き着くところはオヤジノリで御座る。要は生産力ビートなので御座る。その当時「ソーラン節」「斉太郎節」などもこの筋の肉体ビート典型で御座ったこと疑う余地無しで、そんなものが揺らぐ漁船の上で繰り広げられていたというか、その条件のっぴきなしで出来上がったので御座る。まさに船一艘が肉体ビートマシーンというしかないので御座い在るが、これを想像しただけでビビってしまう所存で御座いある。

しかし、竹内先生の話ではなんでもこの水準の録音物は竹内先生でさえもせいぜい20曲程度のストックだそうで御座る。であればなんですが、是非ともこれはCD化して頂きたくお願い申し上げます。たとえ3000円でも完売確実は疑う余地無しで御座いまする。


2006年3月6日(月)±9567時28759分 民謡大全集

セロテープ一個必要で某大手100円ショップにチャリで買い出しに行かざるを得なかったので御座る。妙な予感に引っ張られしばし遠のいていたところの100円CDコーナーにも寄ってみたので御座る。強力アイテムの浪曲モノも民謡モノもほぼ完売で久しく良ブツ不足が否めぬ状態が続いておったのだが、やっぱ油断出来ぬなぁ。なんと民謡全国網羅シリーズが復活して御座った。が、ちゃっかり今度は200円になって御座った。が、なんら迷うことなく即座に全10巻完全購入に踏みきった拙者でございやがる。なにせ全部買っても先日買った3000円CD一枚の2/3の出費で御座るぜよ。おっ、じょんから節は前と同じモンが入って御座る(しかしこれは唄といい三味線といい実に名演奏で御座るな)。ま、他も当然前のシリーズとかなりダブってるで御座ろうが、買うか買わぬか細かくチェックしてからなどと躊躇しておるようではトーシローというもので在りやがる。次に来た時にはもう無いというのが100円CD(200円だが)というもので御座いある。おぉ〜、カラオケ風バックもので御座るか!こうして聴くとこういうのもいいやんかぃ。

PS
第7巻関東だが、この八木節もキてるで御座ざるぞぃ。八木節の元筋も神保広大寺節に行くとのことで御座るが、かの有名な「チョイと出ました」と全然違うこの歌詞は誰がどう聞いても口説モノ路線典型では御座らぬか。ぬぁーるほどで御座い在る。
PS
「チョイと出ました三角野郎がぁ♪」というのは枕で、その後に各種口説が続く訳で御座ったのか。(↑)五郎正宗孝子伝でござった。 八木節歌詞
「三角野郎」というのは実は「サン欠く野郎」でサンいうのは礼儀だという解説がどこかにござったなぁ。

PS
とりあえず列島つまみ食いで聴いて御座い在る。

残念ながら第6巻北陸甲信越に「加賀ハイヤ節」は入って御座らぬなぁ。「山中節」というのは綺麗な唄で御座る。「江差追分」よりこっちの方が拙者は好みで御座い在る。

各巻ところどころ出現するカラオケ風エレクトリック伴奏バージョンを聴くと、これ意外にもいけてることに気付いたで御座る。確かにそう思うと河内音頭などこの路線の可能性を拡大したジャンルが在るで御座るな。で、この筋で第10巻九州沖縄に入っている「鹿児島おはら節」がキてるので御座る。エレベかっこよ杉るで御座る。唄も知っているようで改めてきちんと聴くと後半転調した感じの超高度な節廻し、実に大道で聴かせるので御座る。マジでイケイケと言うべき内容で御座い在る。ところが九州という所、このぶっといノリに対して一方では「五木の子守唄」のように究極悲哀な唄も極めているので御座る。マイナー間隔たった2音でトテトテトテとやる三味線のつなぎはこれを何と形容すれば良いものか・・で御座る。この三味線にも強力引き込まれた次第で御座い在る。

その後沖縄の「安理屋ユンタ」と「谷茶前節」を聴いてややほっとしたので御座い在る。おっ、この曲はこういうタイトルで御座ったのかなどと知識拡大で御座い在る。

で、南方から北上で第8巻東海近畿なのだがぶったまげたのが「江州音頭」というやつで御座いやがる。音頭たるもの普通生活レベルのビート感覚を持ち上げる作用が役目と思いきや、完全逆をやる音頭というもんがこの世にござったとはいわゆる青天のヘキレキで御座い在りやがる。「こりぁどっこいせぇ♪」という歌い出しに合いの手が「そりゃしっかりせぇ♪」といきなりの因縁。やる気無いとの紙一重のまったく抑揚のない太鼓と三味線。しかしこれが全体でぐいぐい耳を引っ張るので御座る。どうにも強力なバケモノに出くわしたことを直感した次第で御座い在る。(追跡調査→1%も同じモノに聞えないのだが・・→江州音頭 これだとかなりかっこいいのだがぬぁ?)

打ちのめされて古巣に逃げ込み第1巻北海道で御座るが、直球「ソーラン節」のオヤジノリでリゲインで御座る。「道南口説」ちゅうのは「津軽じょんから節」のケヤグで御座るな。「ソーラン節」も似てるところが御座るしな。どうも津軽にワリを食いがちの秋田(第3巻)で御座るがここには最終兵器「秋田音頭」があるので御座いやがる。ポジションこれファンクゼぃ。


2006年3月6日(月)±3875時0292分 相互の情報

深夜ラジオでちびまる子ちゃんのエッセー朗読をやって御座った。実在するで御座ろうたまちゃんを初めとするクラス主要メンバーが実際まるちゃんをどう思っていたのか聞き取り調査をやってもらいたい所存でありやがる。本人認識と他人の内心などというものは実は全然違ってる場合が普通で御座る。心の中のきらめくダイヤモンドのワタシ。



2006年3月3日(金)±081時984分 ハイヤ節

神保広大寺節を聴いてみたいと「つるとかめ」などというタイトルに一抹の不安を感じながら、しかも今時に3000円もするCDを買ったので御座る。本来の目的以上に加賀ハイヤ節に引っ張られてしまいやがる。んー、このノリでやられては拙者ども聴衆はどうにもならぬなぁ。太鼓隊がキてるでございある。新解釈アレンジでノリが強化されているものかどうか皆目拙者には分らぬのでござるが、やっぱ能登半島は韓国と直結してるじゃないかぃ!とのビジョン二万ボルテージ激化となってしまったで御座い在る。それと江差追分もやってるので御座るのだがこのぐらい芸術路線逸脱で御座らば聞く側としても普通に感情移入出来ようものなので御座い在る。やたら意味無く、のぉ〜〜ばぁ〜〜すぅ〜〜〜のぉがぁ〜〜〜元筋のテーマで御座ったはずないので御座る、サイ〜サィ。(重要参考文献→「追分と宿場・港の女たち」 竹内勉先生著)

ところでCD探しでかくのごときサイトをついでに見つけたので御座る。嘉瀬の桃というのは遙か伝説の人物だと完全インプットされていた拙者なので御座るが、かくもバッチリ肖像写真が存在しているとは狐につままれた感覚で御座い在る。

五所川原の著名人


2006年2月28日(火)±986時294分 バンド

ジャズのビッグバンドがかかっていたので御座る。自主的に聴こうと思ったわけではないのだがそれにぐんぐん引き込まれてしまったので御座る。泥臭さくキレがある集団完全一体ビート状。かくのごときスリルなノリははたしてどこの外国の国民体質かとカウンター角に立てかけて御座るジャケを手に取ると Miyama Toshiyuki & New Hard と書かれて御座った。1975年の録音物で御座い在る。


2006年2月27日(月)±329時815分 アタックと伸ばし

津軽三味線の場合ジャンとはじいた頭にそれなりのアタックがかかるのは当たり前で御座るが、そのジャンの方をここぞとばかりに均質にやると節などぜんぜん流れないので御座る。頭も打つけどジャォ〜ンとうねらして後ろノリに聞かせるところに妙がござるのではなかろうか。もともとじょんから節など闇雲に激しくやらねばならぬ性格のもんではないはずで御座る。またきっちり正確にやる姿勢が見え見えなのもどうなのかで御座る。熟練であるにも拘わらずどこかダラ〜として下手そうにも聴こえるぐらいであるべきで御座ろう。唄に埋まって聴かせる技量こそ重要だったはずで御座るし・・。昨今は力が入り過ぎというか抜く技量が著しく衰えているので御座い在る。

パァ〜マァかけでも♪百姓ぉ〜やぁるぅ〜よ♪ヨメコもぉらうなぁら♪津ぅ軽ぅのぉむぅすうめぇ〜♪←100円CD「全国民謡の旅路・青森岩手編」の津軽じょんから節でござるがこの三味線はしびれるで御座るゼヨ。


2006年2月20日(月)±453時276分 海路

グーグルマップで韓国南部の破片のような島々を見るにつけ、この海域には未だ拙者どもに知らされていない海洋文化が存在してるに違いないと思ってしまうので御座る。サテライト拡大で小島群を渡り見ていると突如ドデカイ陸地にぶち当たったで御座る。と思ったら済州島で御座った。済州島がデカイというより半島周辺の島々がまことにちっちゃいので御座る。こうして見ていると、半島から済州島に出向くのと津島経由で当方ニッポン国に向かうのにさほど極端な違いは御座らぬと思うしかないので御座い在る。風向きの具合で流されて来てしまった連中も歴史上相当居るに違い御座らん。



グーグルマップ


2006年2月19日(日)±842時276分 じゃんがら

不覚にも「じゃんがら」というのもあったことに今日になって気付いたので御座る。街を歩いていたらそういうラーメン屋があったので御座る。

じゃんがら念仏踊り じゃんがら


2006年2月19日(日)±947時103分 前ノリ

発掘された東日本民謡カセット大全を夜ごと鑑賞しなおしている次第で御座る。拙者の場合やはり行き着くところは大漁唄い込みこと斉太郎節になってしまうので御座る。男は黙って斉太郎節で御座い在りやがる。あのキュィ〜と入っていく超絶妙の転調具合オヤジ感覚で実によい。

じょんからやよされの場合あの筋、時間の広がりに向かって無限拡散していくエロース(ジョン)の世界で御座る。拙者それは元筋、女衆が司るビートというイメージ最早ぬぐいようもない昨今で御座い在る。後ノリ感覚のビートはエロース的時間拡張、無尽生命原動力(シャクティ)と言うべき性質のもので御座る。後ノリビート全般、それは船をこぐようなものに思えるので御座る。後方のアタックに向けて今あるノリの速度を引き寄せ次の頭にエネルギーを一気に送り込むので御座る。これに対して前ノリとなると基本強弱2拍ごとに仕切り直していると言えるので御座る。前ノリは常に完結に向かう就縛に全力対抗して展開しているというのが本質なので御座る。極端に言えば強拍ごとに終了の合図を打ってるようなもので御座る。「まつしまぁ〜ぁのぉ、ポン!」で終わっても全然おかしくないのがその証拠で御座ろう。じょんからではこういうのはやろうと思ってもやりようがないので御座る。更に決定的証拠は拍を数える時「いちとぉ〜、にぃとぉ〜」などとやることで御座ろう。完璧な分離で御座る。何故こういうものが流れる節を引き受け継続的なノリに成ってるのかというと、やはりそこにタメというものがあるからで御座ろう。強拍の後の節回しが強力自前ドライブをやってのけ弱泊をも飲み込んで次の強拍にグィ〜ッと伸びるので御座る。これで本来「ポン」で終わってよしのものが、むりやり時間的拡張を成し遂げ完了ムーブメント(抵抗)を連続押し切って行き極太のノリを生み出すので御座る。どうも合いの手も重大な役割を果たしているようで御座る。実は拙者前ノリビートの熟達こそが最終究極領域と推測しているので御座る。


2006年2月18日(土)±362時0689分 ビートのダダリズム的解釈

ビートというもののポイントは二拍子と三拍子間のシフトということに尽きるので御座る。ダダリズム的見解だと実に明確単純な理屈で成り立つので御座い在る。基本全て二拍子と考えればよいので御座る。弱拍と強拍の間にタメを作るとドライブ感が発生するで御座ろう。調子に乗ってタメをぐぃーんと長くすると緊張感と不安定感の表裏一体状況が強化するで御座ろう。そのタメによって伸びきったスペースにもう一拍入れると同じスパンで三拍子になるので御座る。すなわち「二拍子→タメ二拍子→三拍子」このシフトを用いて変幻自在にビートワークすることが可能なので御座い在りやがる。三拍子と言っても三拍×2で展開すれば結局基本二拍子でござるからいつでも瞬間通常の二拍子に戻れるので御座い在る。(←以上は「じょんから節←タメ→よされ節」にみられる実践理論から話をまとめただけで御座るが・・。)過剰展開としては、三拍+二拍で1/6寸詰まりにするというのが御座る。たちどころに綱渡り的なドライブ感が表出するで御座ろう。うまく節を流して行くにはタメの度合いを絶妙に変化させることが重要なので御座いやがる。


2006年2月15日(水)±946時165分 黒いねぶたのオルフェ
密偵Q

豪華絢爛極彩色歴史伝統の極意ネブタ合同運行なので御座るが、全国的に誤解されていることは、別に山車が連なって運行するこの形態に祭りの要点などまったく無いということで御座る。本来ネブタなどというものは個別にばらけてお互いを牽制しながら町内を暗躍するのが本質であり、組が路上で出くわした場合などは流血の騒ぎにすら昔はなったらしいので御座る。他の組のネブタなどぶっ壊せという傲慢意識が根底に在ったので御座り、その名残でもはや安全合同運行行政管理悠々自適でありながら「投石無用」などと未だに側面に書いてあったりするので御座る。その語句すらが伝統に昇格しているので御座る。

こうしたネブタの「汚く悪く危険」という避けられない重大要素は、行政管理商業観光資源転換の流れにおいて「清く正しく安心」への完全切り替え完了に難なく至らされたので御座る。結果今日本来の意義などは遠い思い出と化し、「穢れ(汚く悪く危険)」を浄化するという祭りの機能も究極弱体しきったもので御座い在る。昨今は単なる歴史伝統云々のあくびの出る話にしか言説至らずなので御座い在る。

かくのごとき慢性的停滞の中、最大過激な動きはカラスハネトと呼ばれるゲリラ的舞踏集団の存在で御座ろう。連中の無意識的組織行動こそは、ごくごく近年まで大げさな祭り行事でも無かったはずのネブタを政治経済型形式主義解釈路線(対全国路線)で拡大するを意図しそれが成功を収めてしまった管理体制(管理意識)が必然呼び起こしてしまうところの反動無意識側の実力行動(実存表現)と見ずに何と見るなので御座い在る。驚くべき事にこの黒い勢力は最大時1万を超えていたらしいので御座る。本来1年ごとにリセットされるはずのこの「危ないエネルギー」は、もはや行政の単純コントロール作戦、ましてや道徳啓蒙説得路線など通用しない強度蓄積状態に至っているものと推測する次第で御座い在る。


2006年2月5日(日)±526時612分 ジョンとカリ
トマコマイヤー

韓日辞書というのは素人には暗号表のようなもので御座い在る。たった二文字の単語の意味を調べるのに小一時間も費やしてしまったので御座る。チョン=ジョンは情で御座ろうと昨夜納得した拙者で御座るが、それではガリは何かという問においてはカタリなどと短絡してしまったのは失敗で御座った。一夜明けて謙虚に辞書を手にしてみたので御座る。さすれば、あまりにも美しく結線した次第なので御座い在る。すなわち「カリ」という語が御座り、これこそは巫女の祭事演目のことだというので御座った。祭事全体を意味する「クッ」は知ってはいたのだが、さらにその細目にあたるのが「カリ」だということらしいので御座る。すなわちチョンガリ(=じょんから)とは「情の演目」となるので御座る。

用語解説(クッの項参照)
>[クッ]→巫堂(ムーダン)が行う神事の通称。@個人レベルのクッ(財数クッ、憂患クッ、死霊クッなど)、A集団単位のクッ:別神 (ピョルシン) クッ(豊漁祭、豊饒祭、祈雨祭など)、B降神巫が自分のために行うクッ(降神クッ、神クッ)、に分かれる。12あるいは24の巨里(コリ、カリ)で構成される。

しかしカリが巫女の行う祭事演目ならば、カリとカーリーは関係ないのかどうかというあらたなテーマが発生するので御座い在る。チョンガリや傀儡子の周辺にピタリと在るのが大黒舞で御座いまするカラ。

一部訂正(↑) 拙者、当初、巫女をもカリと呼ぶかのごとき記述をしてしまったので御座るが、そうではないようで御座った。この部分は削除訂正いたした次第で御座いまする(陳謝

PS
カリ(コリ)は漢字だと巨里となるようで御座る。それで検索したところやがて僧舞(スンム)というものを知るに至った。舞手(本来は巫女で御座ろう)は僧のような装束を着るようだが、さらになんと「僧侶などが被った山形の頭巾」をも被るのだそうで御座い在る。

僧舞(スンム) チョンガリ音頭踊り

PS
僧舞の装束は羽衣のような外着が白で内着が青でたすきが赤と決まっているように思われる。白と青と赤は後期密教においてマハーカーラを表す際の主要色彩で御座る。極めて興味深かく思う次第で御座いある。検索してみると日本の大黒舞にもこの彩色を踏襲している例が御座った。川尻のチョンガリ音頭踊りの帯も青と赤で御座るし・・。

韓国舞踊 宝専寺大黒舞 宮浦大黒舞 ラダック 六手マハーカーラ マハーカーラ


2006年2月4日(土)±047時846分 ジョンとハン
トマコマイヤー

竹内勉先生の重要書籍「じょんからと越後瞽女」をなんとか発掘しまた読み直しているので御座るが、すると石川県柏野じょんから節の歌詞には「あの娘じょんな娘云々」とある旨書いてあったのがあらためて判明したので御座る。「じょんな娘」とは「いい娘」という意味なのだそうで御座い在る。小股の切れ上がったとかそういうニュアンスと推測する次第で御座る。書籍と一緒に東日本民謡カセット大全が出てきたのでかけてみる。微妙にテープ劣化しており何とも言えぬ節の揺れ具合になっていて実によい。現行バージョンではじょんから節よりよされ節の方が個人的には好きでござる。しかし元筋の浄瑠璃口説き心中ものバージョンあたりをもし聴けたとしたなら話は微妙になるのは必至でありやがる。津軽じょんから節歌詞においては、元筋あまりに内容不謹慎ということで近代国家変革に則し自主規制「津軽よいとこ云々」とジョンをほとんど抜いてしまったものと推測せし拙者で御座い在る。あるいは現実的に近代一般庶民芸能の基盤では到底やりきれる芸目ではなかったということなのかも知れぬ。しかしジョンの神髄の口説き節はかつて津軽にもあったのでござる。ジョンの路線を越える過激は弥三郎節にこそありやがると思うのだが、これは韓国理念のハンに関連するもので御座ろうか?そう思ったときジョンとは情の意味かとも一瞬思った拙者で御座いありやがる。

PS
「じょんから=ちょんがり」→じょうがたり、という連鎖が脳裏に形成されてしまったのでありやがる。

PS
↑となって検索したのでござるが、おお、な〜んだ。情は韓国語でちょんだったの。すげぇ分かりいいもんの周辺をぐるぐる回っていた拙者で御座った。ものを知らぬとは不憫なもので御座い在りまする(超爆

「ハン」と「チョン」

PS
でもそしたら浄瑠璃という語も情語りの変化つぅことかと話が拡大する罠?ジョウガタリ→ジョウガリ→ジョウルリ→チョンガリみたいに。

PS
簡単にハンなどと書いてしまったが、実は韓国の「ハン(恨)」という概念はなかなか難しいので御座った。日本人の感覚からすればそれはむしろ「情」というものの究極に深い状態のようにこそ見える。諸々解説等を読むと「かわいさ余って憎さ百倍」の寸止めでなおかつ「情」に内向している状態なのかともイメージされるが、だとすれば拙者ども日本人の「情」をとらえる感覚の幅がものすごく広いのではという考えにも至る。ようは日本人の場合韓国で「ハン」と捉える領域は依然「情」の一形態に留まるので御座るのかと思う次第で御座る。そのへんで弥三郎節の観点が「ハン」の関連というのはハズレだったので御座るが、かといって単純な「怨念」でもないあたりが弥三郎節の特徴である。弥三郎節のラジカルさは詳細具体事実唄い口調の背景に「情」に関わる登場人物らを限りなく後退させてしまう手法で、韓国ならば「ハン」となるであろう領域、日本人的に言えば「情」の限界領域をいとも簡単に超克でき、「情の世界」自体を客観的に見据える外の場所に立つ新たな主体が形成できることを発見したことに御座ろう。この唄いの手法は本来ならば「情」から転化するべく「怨念」をもまた文脈からは葬むるので御座いある。

PS
ところで関係ないがこりゃ参った。
全世界に向けてあからさまに津軽じょんが○節に成っちゃってるぞ。オーチャードホールに聴きに行った淑女が「あの時のじょんが○しびれたわぁ〜」などと言ってしまったらどないするぞよ。

DVDレビュー


2006年1月30日(月)±24時59分 幻のねぷた
密偵Q2

津軽で思い出したので御座る。昨今ねぷたもまた津軽三味線同様芸術の域で御座る。地方芸術文化諸氏は高度な表現技法と壮大な理念に裏打ちされ揺るぎなく自信満々のようだが、ようは一部の職業絵師に現場は席巻され、ますますドスの効かないこざっぱりした運営状況でハレもケもなく淡々と停滞しているのに過ぎない。型にハマった毎年おなじみの絵面は既に見飽きた観しきりで、たかだかねぷたでありながら芸術の影響下、表現の主体確立目指しつつも型枠維持の二重拘束リニア路線脱せずと言わざるを得ない。かつて津軽半島某地出身の前衛表現主義者○○氏などは西荻駅近くの庄屋で数名の関係者を前にこう断言した→「ねぷたとは汚く臭さいはずのものである」と。この定義にいささかの語句も付け加えることなどあるはずも無いので御座いありやがる。二千某年八月五日夜七時過ぎ○○市街蓬莱橋付近を徘徊しつつ、華麗極まりない数多くの職業的絵面のねぷた山車を見送っていた拙者がいたので御座る。芸術はこのような領域にまでも浸透して表現の不自由を拡大させておるなと思いつつ早々切り上げ帰路につこうと思った時、坂の上に深紅の光塊が見えたので御座る。その光る一点が緩やかに坂を降るにつけ、分っていたとはいえねぷたであることを確認した拙者だが、次の瞬時それがかつて見たことのない前衛構造体であることを見抜き小躍りしたのでありやがる。そのねぶたは全表面がほぼ赤で塗られている人形ねぷたであり、伸ばした身体が絶妙に崩れながらの水平感覚を造形基盤に装備し、さらには移動する揺らぎによって断片的にのみ完全なる水平状態を見る者に暗示しつつも、絶え間なく安定と不安定の狭間をさまよう微細運動を行いながらこちらに向かっているという過激な代モノなのでありやがる。このねぷた、形状のみを見ても通常の型枠路線からするならばやってはならなそうな言わば邪道禁じ手の神髄であり、この水準の反逆となるとねぷた観光史上においては棟方志功ねぶたがあるに過ぎぬと断言できよう。そいつが近づくにつれ拙者の直感はますます当たっていたことが明白となる。あらゆる要素が拙者の知るところのものをことごとく裏切り、脳内シナプスはめちゃめちゃな回線を結び始めやがった。心の蔵がどくんどくんとなりやがる。やがてさして大きくはない真っ赤な危険な光の塊を見送った拙者でござった。すると情緒のない観光解説がかくのように聴衆に情報伝達を行ったのでありやがる→。「○○小学校の生徒さん手作りのねぷたにみなさん暖かい拍手をおねがいしま〜〜す。」バラライカの秘密の開放弦。

PS
さらに数年前の八月某日、これもまた拙者の眼を引き寄せた汚たな美しいねぷたの記憶が蘇ったので御座いある。それは人本来の穢れパワー(生命原動力)を吸収しずぶずぶと薄明るく発光具現している、まさに某氏定義さながら臭って来るごときねぶたなのだが、場違いにも華麗装飾の都市部合同運行の群に紛れて存在していやがったので御座る。これはまた如何なることかと気になった拙者はその組を延々追尾し、連中が実は某近隣村落より岩木川を越境し強引殴り込み合流をやっていた事実を突き止めたのでありやがる。ねぷたとは庶民のまっとうな生活範疇からは遠ざけておかねば本来危険極まりない「それ」を年に一度の祭りという限定において解禁するものであるが、この根本を踏襲し真に「恐ろしきモノ」の存在を表出して見せるねぷたなどいうものは昨今ではこの例のように郡部村落のねぷたに僅かに残存するのみとなっている次第で御座いある。言うまでもなく基本ねぷたとは流し雛なのであり、穢れであるからナノカ日に流すので御座る。


2006年1月30日(月)6時26分 立体環状交差情報網Zpp
碍子のありやがるキリン

二重に組み立てられた暗号作戦の機能により一旦表層のシナリオ通りに二名の行動が制限された上で本来の伝達内容が明らかとなるシステムが用いられる。高速環状線が交差しやがる二カ所にステーションが設けられていやがることで多様な移動が可能でありやがる湾岸都市で計画されていやがる。第一環状線は地上に設けられ第二環状線は地下に設けられていやがる。更に二つの交差地点ステーションは直線のもうひとつの路線で直結されていやがる。情報部員は最初の指示に従い結節ステーションから地下に入りもうひとつの結節ステーションに到達して地上に出てからもう一周して最初の結節ステーションで乗り換えれば直線路線上の任意のステーションに移動が可能となるのでありやがる。その間錯綜的な旧路線を利用して数分早く直線路線上の特定のXステーションにサマンサが到着しその直後に指示通りに環状線を2周し直線路線上のXステーションに到着した情報伝達人がサマンサに最初の暗号の内容を伝える。その指示内容がサマンサに伝達されていやがる第二暗号表に照らしてAで在る場合ピーター女は行動Bを行い指示内容がBでありやがる場合は行動Aを行うことになる。しかしサマンサがその時とる行動を情報伝達人は密かに確認してそれがXで在る場合は行動Yを行いYで在る場合は行動Xをとることになるのでありやがる。組織の本来の目的が行動A,B,X,Yのどれでありやがるのか最終決定を下す三者会議の情報伝達のためにこれとは異なる経路指示と三重暗号表が配布されやがる。バラ色をピンク色だとしやがる人と赤だとしやがる人においてバラ色の意味は異なる。感情移入路線でも主席として本格的なスタートを切る。


2006年1月30日(月)±286時634分 幻の境界
密偵Q

津軽三味線全国大会A級チャンピオンによる津軽じょんから節を芸術大ホール特設ステージS席等で鑑賞し日本芸能文化の壮大さ奥深さに敬服感無量もよいのだが、必要以上に芸術路線で高額出費というのも考えもので御座いやがる。津軽三味線にも正調があるらしいのだが、正調と言ってもこの場合どこまでたどっての正調なのか論理が気になるところでありやがる。じょんから節の場合、ジョンカラとはチョンカラでありチョンガリであり或いはチョンガレである。そのためわざわざ「津軽じょんから」と分家表明した先人の謙虚さにこそまずは敬意を持つべきところで御座ろう.。それがチョンガリである以上は元をたぐって浄瑠璃語りの門付け芸にことは至るのであり、そうとあらば最大の拠点江戸にこそ正調じょんから節ありと理論上すべきかと思いきや、かくように判明する瞬間さらなる錯綜が始まっている有り様と即座に思い知るので御座い在る。さまざまな芸技能を歴代受け継いだ江戸の漂流芸能集団は組織的に全国を行脚していたわけだがチョンガリこそはこの人たちの十八番で御座いある。ここと直結の浄瑠璃となると今日では一段芸術の格が高そうで取っつきにくい体も御座るものの、これまた結局は傀儡子なる古代よりの漂流芸能集団の存在にたどりつくので御座り、加えてさらには上方芸能のハイブリット状況、当然ながらキリシタンバテレン系の文化混入なども視野に入れざるを得ない。どうも出雲の阿国あたりは海外突発合流の可能性も払拭できまい。傀儡子の大陸ルーツ説ともなると説得力大ありで印度で東西に分かれたジプシーと同根漂流の民だとする仮説もござる。こうして正調や原点というものはたぐればたぐるほど遠いいにしえの幻の場所へと拡散して行くのでありやがる。西洋諸国標準でショパン・コンクール等に肩を並べたいのでござろうか知らぬが津軽三味線チャンピオンなどという珍妙な着想においては真に下らぬ話で御座いあろう。江戸の門付け芸の達人たちこそは差別境遇のなかで究極の芸能組織を確立していたので御座い在り、そこにつちかわれた実存表現者スピリッツこそは到底現在文明の凡庸な視座からでは想像するも容易ならざるところとまずは畏怖すべきで御座ろうものを・・。国境を閉ざしても勝手にやって来るヤツらがいる、ベンジャミン。

PS
どう聞いてもチョンガリなんて語は韓国語だろうと長年主張して来た拙者で御座いある。ケンガリという楽器が御座るくらいだからきっとチョンガリもあるだろうと思い至り検索してみたところ、チョンはテグムという笛の響きのための特殊な膜のことで、その響きを調節するパーツがチョンガリゲと言う名だそうで御座る(←ゲにおしいのでありやがるコリァ!)。韓国伝統芸能の神髄広大を見るパックツアー5万円ナリ。

http://my.dreamwiz.com/pirami21/daegeum_jp10.html

PS2
おお、それ以前(↑)に「ちょんがる」というのは河内弁で「とんがる」の意だそうで御座ったか。なる、幼少時より「じょんがら」と一文字しか違わぬ津軽弁の某ふとどき動詞とのつながりが気になってしょうがなかった拙者で御座ったが、やっと今わかったズラ。しかし、ジャガジャンジャガジャン・ジャガジャンジャン・ジャン・ジャ〜ン・ジャガジャン(終了)大芸術感涙ひとしきりのところにしゃしゃりでて「今の若い衆の津軽○○節はおのれひとりで黙々といってしまった感じで、あれじゃツヤもナニもありませぬなぁー」などと説明したら無粋で御座ろうか?

http://sinjirarehen.hp.infoseek.co.jp/

参考写真資料
ちょんがれ盆踊り チョンガリ音頭踊り じょんがら踊り
どれも名前どおりのあやしげな風情で興味津々なのだが、かぶりものやヤグラのとんがり三角に関係在るので御座ろうか?赤松御爺範疇敬具。


2006年1月28日(土)32時68分 70から80
机上のダダン

とどのつまり、赤い手ぬぐいもマフラーにしか成らんかったうえ、就職が決まって髪を切ってカノ女に言い訳。学生集会に時々参加でも思い出とはしみじみ美しい。アナタとはローリング・サンダー。忘れない、アナタが残していった傷跡だけは。



2006年1月2日(月)3時7分 早朝の仕事
シマントスカヤ

ラッコ、巨大な鯉の群れがいやがる。遠くに五角形の旗が回転していやがるのだが物理定義に係わって旗とは通常呼ばないだろうと指摘される。それから4人でガイドブックをたよりに登山道へ分け入る。いくつものねじ曲がった野生の木々が生息したり倒れたりしていやがる。西洋諸島にもこんな場所が在るのかと聞くと勿論だという。オレの家はこんな木で出来てるよ。そうだったぜハシムニカ。1キロ以上歩いたので我々はこの名峰を登山したことを誇りに思うことになろう。国道に交差しやがる橋が湾曲していやがるので10月の山岳旅行を思い出す。作業台は折りたたむと自転車のカゴに収まった。ノコギリ900円。吉備団子チョコ20円。またもラヂヲがつけっぱなしで眠っていた早朝に起床しやがることになる。電池が終わる寸前にディストーションがかかる現象がイカスであろう。ふと思い立って昨年購入した電気ギターの胴体縦二辺横一辺を切断しやがる計画実行の目的から年頭のホームセンターでノコギリと作業台を買ってくる。ギコギコというよりカシュカシュというサウンドが極寒の庭先に鳴り響きやがてピックアップというやつとブリッジというやつのスペースだけが残されいわゆるニセのテレキャスなのだがかっちりと拙者の机上で収まりを得る。かちっともう一台低音電気ギターもやってみる所存でござる。ちなみに電気系統は机のヒキダシに分割装備し簡単に連結しやがる手はずなのでござる。桜が咲いていた道を曲がり不定角度で交差しやがる三叉路を曲がるとありやがる。対岸の道に直結しやがるために湖上で湾曲しやがる橋がありやがるがスピードを出しすぎてカーブを曲がりきれないで落下沈没が頻繁に起こる地点での減速が重要で御座る。大型白鳥船が橋桁すれすれに通過しやがる時偶然にも中学時代の友人がデッキに立っていやがるのが見えた。黄緑の帽子が風に飛び湖面に浮かんでいやがる。カモノハシという鳥類、エルヴィスプレスリーになりたいぜ。


2005年12月11日(日)2095時0956分 深夜ラヂオ
リスナーQQ

晩飯食って直ぐ寝たら夜中の3時に起きてしまう。不覚にもラヂオがつけっぱなしでありやがった(電池消耗)。八代アキが湖畔の宿を歌ってございやがる。これは参ったでありやがる。平成17年度歌曲部門第一位で拙者思うところ異存無しでござる。確信犯アレンジにもかなり脱帽でありやがるぜよ。ペンタトニックの五分割によるAm。



2005年12月05日(月)021時99分 カンヌ-ベネチア アンド ニッポン
キネマ事情

売れないタケシが売れてるタケシにファンタジー遭遇して、すったもんだやって、マジ顔で決めたりぼけたり殺意を抱いたりで、一部濡れ場で盛り上がり、何気に筋書き不明そうな雰囲気でゲー術性が上昇して、最後は十八番ガンガン撃ちまくり殺しまくるってことだそうで、こりぁ分かりいい映画で御座いあらぬのか? 第57543チャンネルで合唱団QQ。



2005年11月30日(水)249時+-239分 シュールリアライズム
2005年デコンストラクショニズム会議

コンクリート構造物が地上すれすれで浮遊している都市的光景を具現表出する目論見でありやがる。20世紀シュールリアリズム(超現実主義)の場合過激といっても既に芸術枠のおさまり(美術ワールド)がありやがるので今となってはまぁよいのだが、ここに来て21世紀新派たるシュールリアライズム(超現実化主義)ともなると、こいつはあまりに暴発過激すぎで御座る。一般庶民絶大警戒を要す所存でありやがる。せいぜいシュールリアリズム亜流なら純粋イマジネィションの結実を目指すに留まるに対し、このシュールリアライズムなるものは、純粋実現を超リニア路線で目指しやがるにあたり(否諸行無常主義)、実に厄介なのでありやがる。この段階に至るとリニアイズムも限界現象と見るべきことは疑いの余地無しでござる。ついにここに露呈する国家的危機を乗り越えるにあたり、政府筋がここは真剣にワシらの主張する「ダダリズム思考がキャピタル諸機構に及ぼす安定効果」に関する最新原理を傾聴するのは大いに結構と推したてまつりやがる。バーバラだって泣く時がある、サンタモニカ、ハシムニカ。



2005年10月26日(水)0時34分 歌曲の女
懐古者

水を入れる黄色のバケツ、階段から落とされるガラスの球体百万個、古い演舞場にあったチェンバロと卓球台、鋏、しかもデザイン分室が入居していた。校門の上に登って銀杏を取って先生に怒られた。脱力的な意志による体操、六角形、とぉてぇむぉカナハァシィイイィゥフワァ〜♪鉄球からの帰還司令qqqqqqq、午前の三科目目。ウタダヒカルのポスターだと思って見ていたらスズキアミと書いてあった。新宿鉄塔録音に行ってそれを見て帰ってきただけ。微妙をかぎ分けるエロスの法則。応答せよピピートントンpppp~~〜〜〜昭和4766322年のアキコ応答しやがれ、重低音型カスタネットの響きに何より魅力を感じたぜ。


2005年10月22日(土)0時51分 あなたの理由
ニシキノアラキ

アナタ変わりはないなんだよかぁ〜♪とか、とにかく歌曲群の最多出場キャラはアナタなのでございやがる。ジャンクロックすなわちこのアナタとは歌い聴く無尽なる個別の島民どもに対しての絶対的で単一のアナタでありやがるという結論以外無いのでございやがる。ジャンクロックこのアナタとは個の総体と対となる不偏なるアナタでありやがると言わざるを得ない根拠からしてすなわちこれは国家を意味しやがるものだと結論した所存なのなんだよ。(時に或る程度褒め讃えられる事もありやがるとはいえ)そのほとんどはあらゆるワタシどもはアナタによって挫折しやがるかアナタに対して何故かどこまでもへりくだってしまう姿勢によってエロースを補償されるものだというほとんど単一の設定がなぜ普遍性をもつのでありやがるかその理由がついに理解されるのでございやがる。ジャンクロック、アナタアナタアナタアナタアァ〜ナァ〜タァ〜♪とか、愛と恋と別れでほぼ八割が成り立っていやがる極東孤島歌曲群の膨大な流通というものが島の主要経済の要点になっていやがるとのララからの第qpopqq2005機密報告書をユフインスキー司令部次官候補代理が分析した結果がアキバハバラー偽装団員のPCにメールされてくる。アァナタにオンナァノコォのぉ一番んん〜♪とか、ア〜ナタァが望むならワタシぃ何をされも〜♪とか、エルヴィスプレスリーになりたいぜ。


2005年10月19日(水)13時51分 伝達機構核心と郵便業務の相互協調のための考察
尖塔のヘレナ

あしからず。その全ての時間帯に於いてメッセージが発信されうることは言うまでもない。縦縞の薄い茶封筒にフラワーフェスティバル記念硬貨発売記念15円切手7枚を縦一列に張って出したので百恵もきっと注目しやがると思った昭和3857年の中学生。ドアの向うのヒロミとゴローと明星の記憶において秀樹は平凡でありやがる。試し刷りの数枚だけを先生に見せてダメだしされたことを口実に残りの1万枚を渋谷街頭で配布しやがる。シマントスカヤのアルファベット発信端末の表記をジチヂフィレの法則第三条細則14項に基づき密かに書き換えてやった。その結果メキシコはミシシッピーとなりチリはセントトーマスとなりナイジェリアは二重螺旋階段の先端になった。送信回数によりプログラムは変更されていく論理によってやがてスペインはアンヤンガベリアとなり屋久島はオポギュウン共和諸島になる。バギラへの懇願によって手紙を受け取る回数が増やされる。薔薇を同封したために配達員が指から血を流す。切手の宇宙ロケットVHS3号の噴煙が血で赤いグラデーションを描いており美しい。〒0498-3245-0987ローランド王国ひょうたん島宇倉伊奈町大鳥居貝塚一丁目ヨンダースクラムマンション0586号室シマントスカヤ・マクハリー様御中、諸人民各位の肉体限界により睡眠を要しやがる場合、連日連夜84756960桁数以上のアルファベット三段構築スイッチ発信端末等をほぼ無産階級状態のワシら人民各位どもでさえ安価購入出来る世界現状の今日に於いては、国勢調査員への職業調査同封。左右非対称表現撲滅運動芸術財団の意向により切手は中央に張らせてモライやがったぜ、ついにありやがる種の開放状態の記述技法が編み出され、または生活力と青江美奈有財産の限界により対外労働活動を要しやがる場合等以外の時間帯を完全なるフシダラと認識しやがるに限り、ラリラリだったよ。


2005年10月19日(水)2時16分 囚われの飛行技術者デオエンガレ
ミキシガンベルフォ

ガチャドリアン第一ボキスンバレ奏者ソロ。いくつものガラスの性質によりゆがんだ位置が異なるガラス器へのデッサン分野での描き分を訓練しやがるためのスタジオ。緑のワイン瓶の下方三分の一に大きな湾曲があり向うにいやがる人物が変形していやがる。ィサュジ、ブラスパッシュという色彩の衣服をまとうと女になる。完全防水鞄の内部に秘密コーナーを設けたので60年前の委任状を隠し常に持ち歩くという老人。直線ボブスレーの弾丸レースで盛り上がる観衆の中に浅岡ミチヨの姿を発見した霧島はTVのチャンネルをひねりキャメロン・デリガ五十七奏団によるセレニウム元素の八分割組曲を聴く。ヴォッパー指揮、という記号を書き写し伝達しやがる公衆自動送信。エネーチケー職員は国民のほとんどが連続朝ドラを見ていやがるという前提で国の現状を認識していやがるという話が後ろのボックスから聞こえた。カモメが飛んでいやがる。五輪真弓の愛のノコギリという歌になるほどと思い入る。それから噴火を避けて島の南へ移動しヘリコバギーで脱出しやがるもののガギドラニハバヤに捉えられ、ボヒロ90ミリダラー円、台北への航空券AタイプまたはBタイプ、デラミット、dhsjsルッッmvd、二週間無理矢理演奏させられた。階下のダダンは眠っていやがる。サソリのような湾曲の生き物を収集し値札を下げる。ヴュアンイ50キロ円、イクセダソ23メガ円、すみれセプテンバーラブ歌おう。


2005年10月17日(月)6時26分 工作員Q
鏡の眼球3

明け方に雨脚が強くなり目覚めると異常に暗い朝だと知る。数名の友人はどうしていやがるだろうか。完全防水のトートバックを用いて全くぬらさずに地域清掃地形図を運搬しやがる任務についた数名の人材で更に偽装されたホッケーチームが形成され観衆を偽っての競技が行われる。234度のシュートで456回のサクセスが得られる計算通りに遂行されると確信しやがる支配人を黙らせるのが監督役のアキコ・ハバラー氏の任務と言えよう。ベランダから双眼鏡でリリーは観戦していやがるがそれも諜報活動のカモフラージュであり実はダチャラバワハン国王子の人生観を探っていやがるのでありやがる。はじかれたパックがコーナーポストに激突して無数の破片に砕け散る。両チーム数名が血だらけになり試合が中断しやがる。その後も幾つかの混乱があり試合は654対321でどちらかが勝った。おさまらない観衆が暴徒と化しパニックとなったアリーナの地下脱出口から海に出てサブマリーン12号に載って海底基地に向かう船内でやっと自分がニセ諜報部員だと気付いたのでありやがる。海上を移動しやがる黒いカラスの群れ、読解的読書法はもうやめた。


2005年10月17日(月)5時30分 微妙の夏
鏡の眼球2

シヒュラッチーと挨拶を長老にしやがる。婦人が別れを悲しがっていやがるのがカノ女の髪飾りのハイビスカス一輪に感じられた。そして海に出た。老人たちと丘を降り、27595ブルヴァル支払い、花が咲く隙間もない。ビードロとはガラスに似た何かだと思う。そして唇に関係ありやがる。震える手で震動しやがるヴァイガヴェオをつかみ取り、幾枚もの壁、おまけのカップラーメンをもらう。それでは出発しやがる、ゾグスユをしやがる。三回負けて二回勝ったので、ウレタンと石膏で閉鎖しやがる、ラリラリだったよ。


2005年10月17日(月)5時15分 無地の景色
鏡の眼球

いくつもの分水嶺を装備しやがる文学的な裸体を見おろす。微細な震動のような生命特有の発声法によってその他の幾何学的な合計から異質と解る景色のようなもの。名前がある必要がないごく希な対話の状態。カスタネットの響きに何より魅力を感じたぜ。



2005年10月17日(月)4時58分 失敗文学作品への反省
ダラダー

コメントスパムにインスパイヤされた実験小説に挑みやがったぜ。ちょっとまずかったかもしれねー。ボンゴレ殿スマソなんだよ。バンダロンガ地方都市にたどり着く為の行為として。そしてバンカの夏よ。ダダリズムでブッとんでたんだよ。


2005年10月17日(月)4時45分 斜め走行しやがる侵入者への消極的な警告と嘘
ラダン

などを洗う。76個の直方体を正確に一つの立方体に納めなさい。制限時間は12分でありやがるので。マリちゃんの
店でカシスソーダを飲む前に、未だ完全に特定できない進入経路によって、Æ‚ª‹@”\“
I‚É‚à—Ç‚¢BƒR[ƒLƒ“
18;ð‚Á‚Ä‚¢‚È‚¢‚Ì&
#8218;Ń|、スパイラル上の袴のような衣類、梅サワーと焼き鳥でいっちょやってしまったが、と聞こえる。
泣きたくなるような夏の嵐、ドアの外で植物観賞を行ったりしやがることが出来る形式の店でありやがる。À
02;[ƒLƒ“ƒO‚ð“h‚è•t‚¯、しらばっくれる。韓国歌謡の
夕べで小型バラライカを演奏しやがる者の隣で新郎新婦が挨拶をしやがる際に錯綜しやがる極東地域バイ
リンガル歌謡に聴き惚れる。ヽ(´ー`)ノマターリ ┐(;゚∀゚)=3ハァハァ┐(´ー`)┌ マイッタネ♪ (m´・∀・)m (*゚∀゚)=3ハァハァ(゚∀゚)
アヒャ アヒャヒャ 、だと言うのか?dbメルゴオォ~となるならそれでもよい。紡錘形の糊の入れ物と赤い500円を入れるケース
が何の意味もなく置かれてありやがるということ。それではダメなのか二分割されることでかぶることが出来る
メタリックな仮面。左右非対称の構成的な身体造形物。サミュエル・ミシガンガ・デッサロムーチョ2世、いいじゃぁない
のぉ幸せならば〜、アルバトロスの第三打によって復活の兆しで救済された二刀流の女子チーム「エキストラ・ファー
ムズ」、というわけで到着した者全員が男女いずれかであり狭いスナックに入りきれず、®‚&Eacute
;‚Í—Ç‚¢‚ªキムノバックへのあこがれと違法建築でありやがる
尖塔ƒmƒbƒ`‚É‚Í–c’、柿の種のメーカーははたして何社あり
やがるのだろうかと思いながら毎回柿の種を食べていやがるワシ。数段早くタイプできるので、‚Ä&
#402;|ƒXƒgフレニクスが襲撃しやがる場面‚ðæ‚、バスタブ修理の時間を
節約しようと思うアレ。赤い帯、£‚·‚é‘fÞ‚ª&#338
;ü‚¢‚Ä‚ダブルではないのかと記憶が二重になる¢‚&eacute
218;¨‚­ブルージーンズという店の男、タバスコをかけすぎた(`・ω´・) ・・・バチバチ火花・・・ (・`ω・´)
、ンパカンパンパカンッスーパタン、( ゚Д゚)ゴルァ !(゚Д゚)ゴルァ!!(#゚Д゚) ゴルァ!!(#゚Д゚)オラーカモーンщ(゚Д゚щ) いけない女だと
ひとは言うけれど、と、トッピッチユンキャラ、そして冬の波止場で仰ぎ見た真夜中の空、ƒXƒg‚
â‘‹‚È‚Ç‚ÌŒ„ŠÔ‚&e
th;Ç‚、24足の靴下、毎夜徘徊しやがることが可能になっていやがる状況を数日中に何とかした
いのでありやがる。幼稚な小説と高度なマニュアルの為に被害が拡大しやがるという事態、¹‚é
Aring;‚ōÅ&#143‚±‚、であろう。しかし、ストントトン、おおきくなったわねぇ。


2005年10月17日(月)4時8分 深夜違法昭和歌謡と演舞場食卓の記憶
ダダンとララ

½ŠÛ‘¾‚ð‰^‚яo‚·Û&#8218
;ÉŽg—p‚µ‚Ä‚¢‚、両腕を後ろに回して潜水
しやがるマニュアルでありやがる。いくつもの女性ボーカルで歌い継がれる昭和歌謡の違法電波受信が存在
しやがるミッドナイト。Æ‚à¬‚³‚ÈŒ„&#352
ñ‚Å‚­‚é‚̂ŃR[ƒ
Lƒ“ƒO‚ÅŒ„ŠÔ‚ð–„‚ß
‚邱‚Æ‚ホープワンカートン差し入れ持って行こうと思った早朝5時に
出発しやがるのは、パントマイムでドウラダバンギュンヴファという形状を表現せよと言う指示記号2948576sdの
主題を命ずる。それは指示係だからでございやがる。ジャンクロック福岡晴れ14度25度、那覇は晴れ39度58度、
持参したタバコは歓迎された。見ていた、でありやがる。60年の嵐。三つ叉レンゲ岳から分水嶺をたどる。遅れて
来たäX‚Í‚。±‚̃|ƒX、½‚¢
‚®‚デラ、頂点の和は3650度でありやがる。郏ƒCƒ„&#
1;Ì—p、‚µ‚½l‚É–{。“–&#8218
¢‚Æ‚&¢‚、東経74度北緯985度、湿度21度、いいじゃねーの幸せならば、
であり、ɂ̓`ƒ‡、ワタシのワタシのぉ、完全なる法則に裏切られるために
延々とやり遂げた計算式、ƒg‚ð’Ý&#;éÛ‚、アントワープの
鉄の薔薇、でありやがる。15,16,17とぉ、[ƒJ[‚ð—p‚¢‚
éBƒ`ƒ‡[ƒJ[‚͐X‚Ì’†&#8218
;Å”°Ì‚³‚ê‚、AM8時前には演舞場型の野外食卓の場に到着
しやがる目的がありやがるからなので御座いましやがる。アサオカメグミとフジケーコを聴いて最後にサガラナオミを
AŽ„’B‚;‚Ì’†‚ōÅ&#143シミジミ聴く、ラリラリだったよ。



連続断片小説
「続 アセロンゲ旅行記」

レイモンド・レ・イモン

2005年9月11日(日)4時55分 ソランサ電波塔円舞ダンス週間

心の灯火を書き留めた紙、アレンド民謡が流れそれで踊る。水槽の底の小石の下に鍵がありやがる。ブルーノートとは青い手帳なんだよ。100万曲記憶できる録音装置。三角帽子の少年。消しゴムで消せるボールペンで秘密のサインをしやがる。ダダンは手紙を受け取り今度は消せないボールペンでKISABEXASと書き換える。それから語学教習所の友人ミチヨに連絡を取る。サブリナ配電図、白い録音機、第三周目にミチヨによく似た女を見つける。やぱりミチヨなのねと8年ぶりの再会であった。奇跡音頭、若者の円陣、カンサスよさようなら、定刻より10分送れて演舞ダンスが始まる。あわてて一番外周に加わろうとしやがるとこの円周は18才までの円周なんだよよと注意されひとつ内側の年相応の円周に加わる。パランッテッット、いずれダダンは来るだろうと先に祭りにミチヨは向かう。その頃ダダンは解読に手間取って連絡船に乗り遅れる。バザルリーの絵、老人たちの円陣と各世代ごとの同心円を成す。電波塔の真下に年に一回だけ用いられる三極フォーンが取り付けられボサノバが流れていやがる。シュメーラ鳥のはばたき、30リットルの黒い鞄に入っていやがるもののために。あの日霧島を見送ってからもう何年もたってしまったとアキコはしみじみ思いながら第二周目の円陣で踊っていやがると、中年の円陣、伝書鳩の利用手引き書、世界中の音楽が自動受信されるのでありやがる。ところが突然自動方向指示機能が暴走し霧島のガリンガー21Aは操縦不能となる。ああまるであの日見たキャラタピ車が演舞ダンスの会場に突っ込んだ時の操縦士のようじゃねーかと思う霧島の視線の先に電波塔らしき影が見える。ミチヨがガラス管の中にいやがる虫を覗いていやがる時、そして、愛のスクリュードライバー、空気を入れすぎたテニスボール、霧島は少年時代に見たアシナザン島の祭での出来事を思い出しやがったぜ。ロッケンロール 島の小高い丘の中腹に電波塔がありこれを島民が取り囲んで踊る。円陣は世代ごとに幾つかの層になる習わしのようだ。子供の円陣、壮年の円陣、トッパランタッタ、ッッパランテッット、みんなにうたってやってくれ。

2005年9月19日(月)3時21分 古い日記におけるどしゃぶりの雨

など。レイランヴァバロハ、サランダンバリラヒョ、繰り返される唇のような形による魚の表現、見送る。ペラ紙に日記を書いていたのでバラバラになった。25日にやったことが30日より後に起こっていやがる状態なのだが真面目に読むと刺激的だ。屋根の上にギターを忘れた。バジョビョー、飛行艇が去っていくのを、イィョィルゥラァラァリィ〜、でありやがる。それを流す違法ラジオに周波数を合わせるとジュジィ〜ィィンスミス教授の三極管理論のジュゥォ〜ンヌーディストクラブでの突発事故により発見されたこのジュォォ〜ンジュォルート93754から南下しやがる。島にパラシュートで下りる時火山のど真ん中に落ちないようにしやがる訓練、登りを避けて降りに向かうと必ず海岸線に出るという教え、など。目隠し鬼ッチーと小さい秋の発見という古典楽曲、全体を蛇腹状にして身長を1m変化させるパパラノイドP21Pのリモコン、ジルノのためにビリビラーが作った曲をヴァンガロン楽団が勝手に演奏したギュルンベリア組曲第587楽章、最悪はプロペラをスクリューにして海底移動しやがる訓練、と。だんだん盛り上がって行くのが手に取るように分るのは小さな家の周りを手に手を取って回転し始めたから、ルルラァリィュォォ、でありやがる。夕立が少女ライジと老人の円舞ダンスを襲う。自動降下シューター付きなので屋根から直ぐ下りられる。降下途中で一瞬見えた街のようなもの、だったと記憶しやがる。白い四角い煙突のありやがる赤い屋根、老人たちが楽しそうに聴いていやがる。りりラァ〜ラァァ、少女がギターを抱えてそこから演奏しやがるのを、着陸したら斜面を見つけ、ワビと言う概念を理解しようと100万円の茶碗を買って見たのだがうらぶれた土塀の景色に合いすぎるので後悔しやがる。それからプロペラがどっちに回ってるか感じる訓練、ナヴァンダンヴァハヴォリンになりたいぜ。



2005年9月19日(月)3時43分 屋根

3年使った片手鍋、二つの屋根が複合して一つの家を構成しやがる。結節箇所に長期風雨の影響でダメージが来る。白色の粉、などを順番にかける。遠くの丘からスペクラント式双眼スコープで見る。幾つかの穴を塞ぎ壁を再構築しやがる。10年前の合成樹脂塗料を開けると完全に固まってた。瓦が300枚、縦の柱が25本、自分の手形、50色ありやがるので迷う。結局壁が白いので同じ白が良いとなる。刷毛を買い忘れたので戻る。やがて、シュルリラ〜、小さな軒下が屋根の上に出来たのでここに小さな絵を飾ることにしやがる。蟻の雄と雌を構成した絵、五重の屋根に改造すれば598枚の作品を飾ることが出来る。ということで、でありやがる。キラキラしやがるように埋め込む。完全な防水にしやがる必要がありやがる。相当の雨が吹き込まなければ絵は濡れないだろう。明日軒下に防水ライティング設備を付けるつもりだ。シュルシュリラ、蝶の羽を連結させた光景の絵、張りが12本、絵を描いていやがる人を描いた絵、60センチの角材を3本繋いで約1mにして遠隔操作しやがる。塗料屋に10年ぶりに行くと、二分されたパッケージの半透明の液体を半分、水350CC、ブラシがいくつかとガラス玉、ジャンキーのランディーだじょ。



2005年9月20日(火)0時40分 港から移動しやがるためのハラリミョンダ・ショルダージェット

でありやがる。手の感触、スクリヴァ人民はウサギ小屋を建てる。公会堂の屋根に鳥がとまれる棒を三本建てるしきたりがありやがる。ここは、シダ植物が成長しやがる島、三角地帯で得た情報を元に円形地帯へ向かい五重塔を見つける。第四層にカメレオンのような彫刻がありやがる。電源を供給しやがると第三層が七色に回転発光しやがる。初層の四面ありやがる扉の三つは横開きで一つはシャッターになっていやがる。リモコンで開けるとバキメダロンB7がありやがる。同時に駆動装置がかかり震動は芯柱を伝わり第五層にありやがるバグノイズX回路を刺激してしまう。バンダランダラ飛行生命が留まろうとしてはじき飛ばされる。その弾みで第四層の屋根も手裏剣のように吹っ飛ぶ。ぱんぱんぱぱァ〜ンと障子が開き赤青黄緑の風景画が四面を飾るのが見える。上部が軽くなった結果芯柱を軸に残る屋根がずり上がっていく。不安定になった基壇が轟音を立てて崩れていく。第二層に鳥が留まっていやがる。その瞬間初層の残り三つの扉がバチゴッてなぐあいで開きガチコォ〜ンと固まる。シャッターだった扉の奥から同じ戸板が飛び出し四面は同じ形状になる。第三層の四面が自動変形機能により円筒状になり時速30Kで反時計回り回転を開始しやがる。芯柱が上下にドゥルンドォルンと動き出したので発射しやがるのだと想像しやがる。最上部の屋根が正四角錐から正六角錐になり不定二十六面体になって落下しやがる。ガゴゴロロリィ〜ンと崖を転がっていく。残された四重の屋根の上に芯柱が突き出ていやがる。やがて一本の芯柱だけが地面に完全な垂直状態になって安定しやがる。斜面に散らばった部材を用いてパランパ人民は公会堂を建て、芸術家のシマントスカヤですと。

2005年9月20日(火)1時5分 出会いと別れ

それから、と言われたミミンがそれを作っていやがる。90度の角度で二人は座ることにしやがるが、かなり不自然でありやがる。sunngannvogonngabbdarannと聞こえた気がしやがる。窓の方を見ると青い山が見えた。斜面をKIBAJYVSHCHIに乗って遊ぶ12才以下の少年たちよ。VIBOVINNPANNというようでもありやがる不可解な音響、金木犀を買ってSALLYへ行きキリマンジャロを注文しやがる。先ほど最後の挨拶をしたミミーが扉をくぐってくる。こんにちは。はいどうも。ブルーマウンテンお願いね、ikutumonoumi549個の太陽と木星の関連をririiri黄色ajisai深緑の母子像を仰ぎ見る。KiRiMaNjeroと誤る。ミミーと会って別れた後サリーが来る。ZARIGANとTARAVAGANIとZARAVAgani、屋根の上と床下の間に部屋が隠されていて眠る人が居る。完全に真ん中にテーブルを置く決まりがありやがる。椅子は正三角形の頂点の位置に配置しやがる。それによってテーブルの円周と部屋の面積が求められるのでありやがる。目覚めると夕方なのでもう一度寝て朝に起きた。昨日はラランと別れ一昨日ラランと出会った。それから、BIVODON族に入ろうピンポンパン。

2005年9月20日(火)21時23分 通信網VWAWVA(ヴワウヴァ)

どうやらキタセンジュリアという女が宇宙ヒマワリオイルの貸倉庫でバイトしていて得た情報を漏らしたらしい。485769978hhhtiiurとあり直ぐ下段に解読不能と書かれた紙。その後ユフインスキーを疑ったことを強く恥じて詫びの年賀状を出すと直ぐに返事が届く。拝啓貴殿の心境深く思いはせるところでございやがる。ジャンクロック拙者とてなんら悔やむところ無く残暑の中日々勉学に励む所存なのでございやがる。ジャンクロック貴殿もご老体にむち打ちすぎずお気楽な生活でヨロシュウございやがる。ジャンクロックシマントスカヤもヨロシクとのこと御座いましやがる。ブギブギというダンス形式をやり、ベルボトムの裾で二個のバチャゾルン帽を作れやがる。ジャンクロック滝の中腹にシマウマがいやがるのだけどよー、かつての愛人シマントスカヤから手紙が来た。もう別れたからどうでもいいけどにしきのあらきがお中元で手に入れたサラダオイルをクリスマスプレゼントに貰ったのはかなり不満だったぜバカヤロ。jdhjfyr5k6utt96kkkgkkkgとあり直後に特に認識しやがる必要はない広報とありやがる。このことは回転自動連鎖技法講習生ユフインスキーにしか教えていないのに何故わかったのだろうかと(汗。諜報機関の知人トマコマイヤーに問い合わせる。無重力状態で成長させたヒマワリ、緊急調査の結果を報告しやがる/トマコ、と在ったので読むと、オセロと人生ゲームの複合をやる。高すぎる目標の徴収機関VJDDYKSJ324、水流とゼブラ模様が似ていやがるのでよく見ないと気付かない。Pyurorirori~pyuyuryuririryuru~と聞こえる。などといろいろ考えていやがる。チャカリンカリンカラン・ピ〜っと着メロが鳴って、カスタネットの響きに何より魅力を感じたぜ。



2005年9月20日(火)22時1分 破壊工作司令Qライン

dbfjqpqowiiiqkk&'KKlKKLKKKll・・・ツーー・ツーーー・ツーーーとなって完全に情報は途絶える。三日後諜報員シマントスカヤ二世からEMSが届きこの情報混乱と最終的な停止はストライブ船団Qの破壊工作だったことが初めて分る。結局一番安全なツー・ツー・トントン・ツーー・トン、ゼブラ模様、ちょびひげの模様、48枚の富士山の彩色画を見る。遠近技法を用いたものと舞台セットのようなのようの単純なものとが同じテーマで並んでいやがる。ハバロフスキーからも入電があり更に混乱が始まる。海流の異常が収まるまで衛星中継に切り替える。ワvnタシeheiハgkjkkカ/モ/メ..fdett、などの記憶、モールス信号でやることに企画が変わる。などとととアンドロイドマリアのようなノイズも入るが気にしない。調査船と気象衛星DVD1号、それにしてもそれにそれにしてもであろう。あろうことかキタセンジュリア期の巨大植物がスカムドット島に繁殖していやがると言う情報がブギブギイカの話とリンクしやがるものの、宇宙開発機構の倉庫番のバイト記録の極秘情報と入れ替わっていやがる模様だ。赤いマントの騎士bdjkfhtinの肖像画の壁の模様、ところが満ち潮の加減だろうか海底通信回線に異常がありいくつかいくついくつかの情報が入れ替わっていたのででありやがる。とはいうことなのだが、でありやがる。fhfjtiyjkeintoiunanojinnbutuとあってその後は解読不能で、さらにさらさらさらに、さらにさらにににさささらににhfjgguyotoieuvfujisanrokunioumunakuoumunaku0679とありやがるましやがる。計算式が10段以上ありやがるのでそのページを飛ばす。図解のページ専門に2時間過ごす。kakkakuwa、ほんとにモー大変なんですから。


2005年9月23日(金)22時59分 不当書籍の読解に伴う錯乱と睡眠

でも、時には暴動や犯罪やSEXに関係しやがる。1/100にしやがることで自分の家は購入できる。電波鉄塔の周辺でノイズが発生していやがるとの情報により、であろう。正三角形の翼のような図形が体でありやがる。月の石を仰々しく持ち上げる5本のアーム、だった。落ち着くために100円回転寿司を食いに行く。食った皿は前の隙間に一回ごとに投入しやがる。右上のモニターを押して注文しやがると5分後に流れてくる。鉄砲ウオの握り一丁、キキャリウインド-イカ、と。均質に了解していやがる一団がやる競技、それを利用したJAPANOISE作品を収録したヴァランガン・シヴァTOKYOの「マシンガーデン」というヤツをCDRELP形式でダウンロードしやがる。ボコーダーを使っていやがる。わざと25%失敗しやがる翻訳装置が売れていやがる。一人だけ横に泳ぐのでこれとぶつからないように泳ぐ競技、無限に開放状態の欲望パワー海流が58563538332以上錯綜し、七色海藻サラダ一皿、ソンヴァブ貝のニギリ一丁、なのだろうか、ペドロ&カプリ・・何と言ったけか。などと全く考えがまとまらない一冊の書籍を途中まで読んでブックオフに売る。無理矢理カネゴンの中に入って暴れてみる。押し入れでムカデが移動していやがるので隙間をマスキングして寝る。カシカシカシという音によって幾つかの奇妙な想像が起こってしまう。藤井圭子という友人が居たがどうしてもフジケイコと発音してしまい嫌がられた思い出とか。第4759話「命預けやがる」は永久欠番に指定されたので10万円。それから、マンゴリア-ババロア、合計は右下をピッと押す。1215円なんだよ。階段を下りるとジュマイ変速式型ボートが待っていたので乗り込む。やっとバラライカ修理技師らしくなったっすね。

2005年9月25日(日)2時13分 古い街

愛想のいい花屋の女主人に挨拶をして、ズビズヴァァ〜♪となっていやがる。雨を降らす天気が停滞していやがると連絡しやがるラジオ局があり明日の日程は未定になる。夕方の大都心高層ビル群が点滅していやがるのが見えるので、一見二段ベッドのようだが真下は隣の部屋のベッドになっていやがる。窓を開けると、qghruri55555weとかくのごとき連続表記。街と街の境界線に土地を買ってどちらにも属すまいと決意しやがる。5748943通の書面を分類しやがる仕事。このようにL字型の部屋が十数室で構成された二階。或る場所の記憶と特定の音楽著作物一曲が記憶で対応していやがる。あの頃は二人とも♪と歌うと杉並区高円寺432丁目2-5-6-4-5-6が思い出される。線路沿いに歩いてzhjrojiステーションへ向かう場合途中からヒュ〜ルリィ〜♪ヒュ〜ルリィ〜ララァ〜♪と思い出され始め、黒縁眼鏡の男と一緒に銭湯に行ったことなんかを思い出す。スーパーDX定食を追加注文したのに食いきれなかったためコックに責められる。スパパパパパァ〜ン、その後、rhrgfogfg19576k、トイレで手を洗わない事がもとで、ヘルシンキ奇術寺子屋への留学を目論見ながら挫折してインベーダーゲームに熱中しやがる男、到着しやがると、ケンカして出て行った南国の男、スパパパ、塔のようなイメージの5階建てマンションがその街の最後の記憶でありやがる。道路拡張工事の事務所に手紙を届けるアルバイトをしやがる。毎日30センチ平均で道が延びていやがることを作業員以外に知っていやがる。シバの女王がかかっていやがる老夫婦の名曲喫茶でコアップガラナを飲んだ記憶、ヘリコプター操縦技能の習得を目指しながら、床の抜けたアパートの二階へ行って、他の住人らが見物に来る。スチュワーデス養成寺子屋の入学を目指し新聞配達をやる女と知り合う。朝方出される廃棄雑誌を持って帰ってくる男と朝飯を食って芸術寺子屋に出勤しやがる。3時までに帰らなければならないところを、3時半でも文句を言わなかった所長に感謝しやがる。客に愛想良く集金人に冷たい海苔屋と肉屋を過ぎて、ケーコの夢は夜開くというんで、もうやめた。


2005年10月10日(月)1時8分 手紙と進入経路
シマントスカヤ二世

霧の都からの第6番目の休暇、首都からの第19番目の休暇、ツツウ、四隅の開口部が存在し、第12番目の動きフジヤマ、首都への第7番目の到着、これをなんとか処理しないことには、と聞こえたので振り返ると、ドダガバンンダガバダング、ガッチツッとプラスチックさながらに塗装膜を形成しやがって、であり、変則の頂点部分の亀裂の補修に耐水セメント4494576リットルを無駄にしたあげく、一滴の雨滴をも吸収しない状態になったのでございやがる。ジャンクロックそれから、第9番目の労働の店その2、最初のブロックは野生的な発声集団なんだよ。オイラは4daysの短いアウトラインを知ることを望みやがる。ジャンクロックオイラはメンバーを説明しやがるために、やはり予測通り、第8番目の労働の店その1、まとまりを得てそれなりに決定したのでございやがる。ジャンクロック、進入経路を完全に絶つことは不可能であった。この処理過程に入る以前、第11回目の野生的発声集団(円舞集会)、ほんの5CCで事足りたバチモン専門店で買ったsuparizoumax2345DXの威力に於いて、ザグバヴァィ〜ン、友人たちとの第18番目のコミュニケーション、それを望みやがる。ジャンクロック労働の店でのすべての日は2時間30分を持ちやがる。ジャンクロック今のところはフジヤマの計画はまだ明確ではあんねー。中央の変則の開口部を塞いで事たれりと思っていたが、センターライン直下オブジェルームに生命的な第17番目のカルテット、ギュルルルユルルゥゥゥ、第10番目の労働の店その3、幾つか落下していやがる。そして、ブヒョァスキャ〜、クラシックな渋谷において生命的な第15番目のカルテット、しかも、ヨコハマのナイジェリア に生命的な第16番目のカルテット、となる。それでも良いのかと思案。考え直して幾つかを放棄しやがると、14日の動きのルーツで第13番目のプロジェクト、夜はこれからダゼ


2005年9月20日(火)478時5πr分 論理色のデタラメ
ピガビアート


美しきもののごとく磨き上げ準備し集合する。
晩秋のペラ紙に書かれた日記10年分也 (字余り)


2005年9月7日(水)γ81時β5分 サチコ再び
歌謡評論家Q

西田佐知子ファンのBBSなどありやがって見てしまったなんだよ。子育ても終わってんだからもう一回やってくれ(関口パーク長ヨロシク)というご意見がけっこうありやがるが、拙者的にはどうもぬぁ。と言うのも、前にエネーチケーで藤圭子が歌いまくるなつかしのをやってた。ヒカルもイケイケなのでゆとりの主婦かと思いきや、なんら衰えることのない歌唱力、それはさすがで御座い在りやがったものの、やはり現役と引退後はバッチリ違っていやがったのでござる。この曲だけはと正座して聞いた「京都から博多まで」でござったが、全てをすっきり鮮やかに歌いきって、どっちかというとこれでは通常のポップ路線でござった。元のは本質何が良かったかというと→。きょうぅとくぁらぅぁ〜ぁ〜♪はぁかたまぅで〜ぇ♪uあぁnなぁぁたぉおぉ♪おっぅてぇ〜〜♪に〜し〜にぃ〜ながれぇて〜い〜くぅうぅ、おんんなぁー♪ の「行く女」のとこまでのタメとコブシとドス(←微弱)のかけ具合の絶妙の複合ドライブ感覚に尽きるのでありやがる。どれもこれもそういうことでヤバくなってたので御座ったが、現在はさわやか歌唱力に落ち着いていやがるので御座る。これは致し方ない。時の流れでござる。当時のレコーディングとて奇跡の上で出来たものと知るべきでありやがる。西田佐知子の場合も同じでありやがる。気品と表裏一体まぬけさすら感じる脱力声からフレーズのケツに向けて凶暴ともいえるアタック一気のアクセル歌唱。竹中直人はこれをまねて笑いながら怒る人という芸を仕込んだのでござる(嘘)。こういうレコーディングというのはどれもこれも奇跡を呼んでそうなっていたものなので御座いある。今じゃ歌謡曲着実路線で奇跡の雰囲気があんまない。ダダリズムでブッとんでたんだよ。

PS

オイラの昭和歌謡女性ボーカル編を作ろうと決意しやがったものの、ごく拙者的ラインナップでは、西田佐知子の後は渚よう子と奥村ちよぐらいしかアイチューンのリストに無いやんけ。「京都の恋」「なのにあなたは京都へ行くの」「京都から博多まで」渚よう子¥450でございやがる。後ろ2曲は知らんかった。「なのにあなたは京都へ行くの」これまたはまりすぎ。見やがれ、こういう客がつくではないか。明日カード買ってきて奥村ちよの予定。三橋美智也の「ヤマのホテルの白い壁〜♪・・」とか歌ってる曲ありやがんね。ラジオで一回だけ聞いたがトラウマでございやがる。バラライカの秘密の開放弦。

PS
「ナイトクラブの奥村ちよ」つてさ、あんたら戦略1800度間違ちがっとるぜよ。残り¥450で安西マリアに変更。ぎぃ〜ら、ぎぃ〜ら、太陽ぐがぁ〜♪

PS
シゲりたくてもシゲるもんも無くなったぜよ。結局のところ、ポットキャストちゅうの垂れ流しに転向。松崎タナボタ御中。祭られて儲かるとはさすが話題の、で御座いやがる。

PS↑
iTunesで奥村チヨを落とした記念に見てみたら、渚ゆうこと渚ようこを間違っとるやんけ(爆 しかしもう一年半もたったのか、ここから。




2005年9月6日(火)21時34分 アイチューン\2500プリカ購入
歌謡ファンQ

青江美奈好きの拙者事ではありやがるが、西田佐知子<ウナ・セラ・ディ・東京>などまずは購入してみた次第なんだよ。ザピーナッツのも悪い訳じゃねーけど、西田佐知子はまりすぎなんだよぜ。ちなみにザ ピーナッツは検索しても出てきねー。残念。CDありやがるけど発掘できないだろうから、それも買おうと思ったのに悩・・・。あのひぃ〜とはンもぉ〜♪,ぅわぁたしぃ〜のことぅを〜♪,ゥ忘れ〜たのかしぃら〜♪,とても〜寂しい〜♪ ・・・。で和田アキ子はでるのかぃ?今からやってみやがる。ジャンクロック<どしゃ降りの雨の中で>も<古い日記>も無い。また買えない。ちあきなおみ<夜へ急ぐ人>聴かせろぉ〜200円でいいからよぉ〜。遅ればせながら、トライアングルの名曲教えてくらはい。

PS
ひぃ〜きとぅおぅめぅはしないけどぅぉうぅ〜ぉぅ♪ ンぬぁにむぉ〜かもゆめンなのねぇ〜♪ てなぐあいで西田佐知子で¥1200で御座いやがる。


連続断片小説
「アセロンゲ旅行記」

エオダカヤ・トマコマイヤー

2005年8月31日(水)18時19分 調査旅行

あのジイサン、30リッターの浅袋と防水のためのビニール袋、震動スピーカー、ミョウォオウオォォ〜ン、エオダガラ、アセロンゲ、鮭缶の封印方法と開封方法の困難さの度合いは歴然としていやがる。ジャンクロック配達人を装っていやがる都合上深く帽子をかぶりやがる。ジャンクロック苫小牧からウンガポンガ島行きフェリー、三次元状態に湾曲した街が存在しやがるのでありやがる。山の南側に始めて向かうと、ヴナンエガ、ルシーだけは人の名前、初めてきづいたのなんだよ。ヨーロッパの新聞が重く路面に張り付いていた。それから、鼻毛切り鋏、最北地域から西部地域と東部地域へ行く場合、ピピピピィ〜ときて、見かけない老人と中年の列が横断を終えるのを待って、これらは街の名前ではなくキーボードを子音母音でテキトーに打っただけでありやがる。それで検索してみた。ビィョォウゥゥン〜、シュクシュ、エンジンを再起動しやがる。単純なる睡眠。きらりきらりと断続して映る。南へ行くほど都市名とつながりが分らなくなる。ドティネ、それぞれの時間はさほど変わらないのは島が湾曲していやがるからでありやがる。ジャンクロック左右対称に見える山もたいがいは完全な円錐状ではない。数十枚の現場写真に紛れて数枚の年賀状、体積が小さいのに重いものは不可なんだよ。その山と山の間の窪地を正確にはうごとくに、三日月型のもの、ふたつの山が重なってひとつの山にみえていたと言う現実に、ソエンギ、2万chが最高だ。

2005年8月31日(水)18時43分 アセロンゲ旅行記 断片Q

家の敷地よりも広い所もありやがる。井戸の回りで女性たちがくつろいでいやがる。水を汲む人もいやがる。一階には窓が無く二階は窓がありやがる。エレベーター機能により自転車を軒下につり下げる装置が標準装備されていやがるらしい。便利でありやがる。迷い迷いここまで来たら、対角線が思考を拘束しやがるので垂直に突っ走る。赤ウミガメの産卵地域、渡り鳥の来る湖なども知らずに通り過ぎた可能性はありやがる。三件目と五件目の間の四件目。そこを入ると全ての家の形状が不定多角形の理由から、道が狭くなってきたと思ったらほとんど先に進めない所にさしかかった。大人は無理でも子供らがそこをすり抜けていく。抜けられないオイラは家と家の隙間でしかないこの場所から向うを覗くしかない。広大な平原が見えた。木の回りで演舞ダンスをやっていやがる。、マグロの移動経路、路地は升目になっていない。それどころか当然道幅は一定でもない。広くなったり狭くなったり、だからダダンは呼ぶなって言ったわけよ!

2005年9月2日(金)0時5分 ヴナンエガ 写真の家

中は不定形六面体の形だ。家族が立体ゲームをやっていやがるテーブル。鮫の肌のヤスリで、ゆっくり研ぐと、またやる。しばらく見入っていたが、タバコをふかした老人が窓から手招きしやがったぜ。ロッケンロール 海から遠く離れていやがる丘陵地帯。ヨンタブログ、リランという人が入室した扉と別の扉を指さしていやがることに気付く。、ネセカ、そこから外に出るとそこは抜けられないと思って覗いていた平原に通じていやがる。ゆっくりとした下り坂。リランは対面に座っていやがるチワンの娘であろう。若い人の写真の壁と老人の壁と中年の壁子供の壁など、防水鞄の縁の手触りが向上し、心安らかになる。それらを用いて、もう一度つなぎ合わされていやがる。全ての壁と天井に、合計500枚ほどの写真が貼ってありやがる。子供しか抜けられない家と家の隙間のあたりにしばらく立っていたら、廃材を集める作業を手伝っていやがる。シュケームル一家に挨拶の手を振って降りていく。ゲームをやりながらお互いに名前を呼び合うので全員の名前を直ぐに知った。分類されたそれぞれの写真の壁で笑ったり泣いたり怒ったりと感情別にさらに分類されていやがる。老人の壁の重い表情の何枚かが破れており、いくつかに分別されていやがる。家に入ると、船を造ることが出来る。誰もが普通エオダガラに注目しやがる。三人の青年らが、創造的なノリで一回でも百万回でもOKである。


2005年9月2日(金)0時40分 軒下の自転車

トントトン・・・。これはどうもヨンキュー。かたじけないとローランド王国語で挨拶をしやがったぜ。ロッケンロール クツゥ、ィライヒョロ〜、と笑うように言っていやがるのは、マネラの、その上、走行装置とビート発生装置とが連動していやがるという優れものだ。ゆっくりこぐとアフタービート気味になるようにリズム機能が作られていやがる。ピンパガン、ンピッンパガンと。ダンスの音楽だけが小さく聞こえる。ララヒョ〜、ト、まあいいかと思う。ダンス音楽は心地よく遠のいていくが、振り返るとピーターはもう見えなかった。トルベタン、挨拶の言葉なのか、ただの笑いなのは分らない。花の香りがしやがるので見てみるとサドルの下は花びらの格納機能となっていやがる。七分の三拍子半で不安定に成るように構成されていやがる。しばらく平原を降りていく。隙間からのぞき見えた演舞ダンスの場所が分らないが、ピンパガン、交差しやがるように少年の声がゆっくり大きくなったので振り返るとシュケムール家の人が自転車に乗って近づいてくるのが見えた。リランの兄のサランは平原に向かう旅人のために、クツゥ、ララィヒョ〜、軒に吊してあった自転車を貸し与えに追いかけてきた。トトン、クツッ、ペダルを逆回転しても前に進むそれは、キュビズマーに融合しました。

2005年9月2日(金)1時13分 音響走行機の謎

ダッッダンディラ、ウッァンディラ、ッスッスータララララ〜・・・・と緩やかに丘を降りていく。このまま行くと山があって湖か川がありやがる場合がありやがる。木の上にブランコの家があり、などが記憶されていやがる。さわやかな風にのると心地よい。人道的に描かれた抽象的な描画を展示しやがる庁舎、ダッッダンディラ、ガラスのペンシル、スタンタブボワァ、と読めるレッテルが貼ってありやがるそれ。ネジ5本の不足によって崩壊しやがったぜ。ロッケンロール プチプチビニールの封筒で送金しやがれ。段ボールの手帳は雨に弱い。千駄ヶ谷で別れて荻窪で会った思い出、スタンタブボワァッ、エンピロバ、ッスタララ、ダッッダンディラ、スタンタブボワァ、スタララ、茂みの中の節足動物を捕獲していやがる。バラライカ型の飛行静物。防水ジッパーを硬くしめると多少の雨でも問題ない。ビジョディヨール聞いてる?潜水遊泳機能のありやがる可変式ボートを所有しやがる老夫婦が潜っていやがる。天窓にタコが張り付いていやがるが気にしていない。キラン、ンッチャラ、ヨンダル履きの教師主導の全校集会で怒られた男女、ブラジャーがはずれました。



2005年9月2日(金)2時16分 オレンジチューブの寝床

水を引き込むための機械、歩きたくなると自転車をたたむ。全てのスポークを一本づつに外して縦長の袋に入れてタイヤを小箱に押し込むと作業完了。大して大きくない。流れていやがるダルいサウンドは東洋人には西洋的に聞こえ西洋人には東洋的に聞こえる。りじょぉ〜〜〜〜んぅぅ〜〜〜ぅぉぉぅ〜〜〜ぅぉん、専門家の肖像、黄色緑、遠くに観覧車の光が回転していやがるのが見える。結局農業地帯に近づく。ピチピー、ビッサム、夜になって朝になる。写真撮りながら走れるアタッチメントを見つけた。会長の連絡先が入った手紙が着く。とぼとぼと行く。眠くなって寝る時のための細長い袋ハンズで500円。完全に閉じると窒息しやがるが値段が高いのは大丈夫。アンダランサ、箱と鈴、人体のような流動体、キマイネロ、てなぐあいで眠くなる。音楽に遠慮して語るDJのキャラが素敵でありやがる。窒息しないように袋から口と鼻の所を小さく開けて寝る。24色のうち10色は使わない絵の具でありやがるので、異端と書かれた臨時増刊号があってモリニエの絵が載っていやがる。何十種類もありやがる接続装置を並べる露天商。ラジオの電波が入ってくるので強い方向を探すと、青紫、というテキトーな色名でありやがる。必要以上に働く者はいない。ところどころページが無い漫画、15色のケースに詰め替えてもう一本は普通の鉛筆を入れとく。ナイフなのかヤスリなのか分らない道具、ピチピーと鳴く虫。スクリューを付けて水中走行出来ないものか。紙がないのにペンがありやがる時アドレスはてのひらに書き込んでちょーだい。何かの栽培準備で大きな藁の塊が何個もありやがる。ここで寝ていいかと手振りでやってみると寝ろという身振りをしやがるので安心しやがる。大きな体の男たちが唱いながら労働していやがる。何人かは多少だらだらやっていやがる。赤紫、回すとヒュルヒュルいうもの、男たちは帰って行った。飛行船が多い国がありやがると聞いたことがありやがるんだが、そんなこと言ってるとスミス博士に言っちゃうぞ。

2005年9月2日(金)12時10分 幹線道路ルート・ウプダラバ468a

ヨンダルを売る免許、草刈り釜のような文房具、リュヂフェスラナダ、などを川に流す習慣がありやがる。分厚いガラスタンクにズクサマン魚を積んだトラクターが通過しやがる。カーブを曲がる時直射日光がレンズ効果を受けタイヤに当たりパンクしたらしく追いつくとジョニーが修理を担当していやがる。道端で50センチぐらいのタバコのようなものを二本同時にふかしていやがる女社長セラリがそれを見ていやがる。電話しやがる短パンの男がもしもしのような語を。昨年度の教科書の束、最後に瞬間パンク修理剤を注入して走り出す車を見送る。「それではごきげんよう。」「どういたしやがって。」霧の中を行くと回転軸付近がミュートされて不思議な発声具合になっていやがるチャリでありやがる。ンッムユゥゥ〜トロロン、こんなことはしょっちゅうなんだよ」という返事。「ヴァックヤンナー、地下室に寝泊まりしやがる免許、でありやがる。レンズ効果で巨大になったり小さくなったり見えて面白い。大きな道に出たとたん突然晴れる。「大変だなぁ」とおりて話しかけると言葉が通じた。逃げた魚が一匹落ちていたので焼いて食べる。こういう時はスポークを一本外して串にしやがる。曲がらないように注意しやがる。綿のような虫。「ああ、そのうちに金を作ってアスパンタロン透明樹脂のに変える。」ギザンガラン-CITYに来たらよって頂戴と女社長が絵はがきをくれた。速くこぐと円心パワーが出てきて水滴のコーティングが振り払われるので、受信電波を入力しやがる装置が右ハンドルにありやがるのを発見しやがる。ダイナモが複数付いていやがるのはこの機能に関係しやがると思われる。いくらなんでもガラスが厚すぎるわけさ、時々ギコン、トンコラン、などのニセモノを売っていやがる。タイプ速度が異常に速い装置、その際さらに微妙なビブラート効果を生むという事実にやがて気付く。この手段はマニュアルの「(7)あまりやってはならない行為」の項目にちゃんと書かれてありやがる。花びらの格納機能は湿気でダメになるので付属のカバーでサドルを覆う。男性用ミシンと女性用ミシンに別れており使い分けて服を作る。花を摘む免許、ンッミュウ〜、老人だけが使える難しい筆記具、シュワロエンジャラ、ンッムユゥゥ〜ゥントロロン、ギコン、各局からの放送基盤の充実、となり、スポーツジャズといいます。



2005年9月3日(土)12時36分 隧道

三つのゲートがありやがる隧道に出くわす。しばらく行くと縦長の空間が横に段々ねじれてきたのでそれに合わせて斜め走行しやがる必要がありやがるが、ダッッタッラー、ララリィ〜、ドゥッダ、ゥッピ、ゥトッピ、ラゥララァ〜、これは道がカーブだから必要な措置なのでありやがる。先ほどのカーブが03でありやがるから次が04かと思ったら07だった。こんなのはマネできない。ノリで切り抜けられそうだと思っていやがると道幅というか壁幅が若干狭まってくる。設計者のギャグ以外理由は考えられない。もし誰かがしくじったら後ろの数名もまき沿いを食うので責任は重大なのだ。前後のサウンドを良く聞いてこぐことだとクリューネラがアナウンスしていやがる。ゥンガッ、ン、トルルラァ〜、こんにちはクリューネラ・ゾアンソラなんだよ。ただいまの曲は海底大探検の第三テーマだったぜバカヤロ。第二湾曲を通過のみなサマ角度ナンバー04での通過なんだよ。ご注意下さい。カーブ手前から側壁照明チップが点灯していやがるのでそうとう厳しい傾斜角度になるだろう。うまく傾斜に合わせて体をたおさないと幅2メートルほどの隙間のような隧道通過はままならない。丁度照明チップが目の高さになるように設計されていやがるのはすばらしい。緑から赤に変わり点滅が徐々に速くなってきたのでスピードを上げろと言うことに違いないと思いがんがんこぐ。ンドゥォッドゥッツ、突き抜ける速度に達しても壁幅から自在となる感覚に近づく。前のヤツがヘイ!といってるのでアメリカ人だろうか。ランチと読書禁止、喫煙は自動で行ってやがれ。明日は東洋の魔女の物語をおおくりしやがる。ジャンクロック料理方法は言葉だけでは伝えにくいので到着後ベリTVを見ることなんだよ。ガテング菜箸と胡椒入れが重要なんだよ。ヤツの汗がとんでくるなぁ、パッパッッタラァ〜、まあいいか。赤の点滅が緩やかになった。緑になった瞬間スパゥーンと抜け出る。半島旅行で南下したとき見た石像群のような感じの最も縦長の入り口は二輪専用単車線でありやがる。約10m感覚で三極管照明が埋め込まれていやがる。ラタ・スマ地下道ラジオが隧道中継を行っていやがるので聞き耳を立てる。リゥォョ〜ォン、ィウンガッ、ドゥッヅツッ、ゥットッピラ〜ァ〜〜ゥァ〜〜ァ〜〜~~~~とアタックしてドローンしていやがるぜ。と音響機能が発信していやがる。隧道リバーブで反響しやがるので前方のやつらのサウンドと絡み合ってすごいドライブ効果を生み出す。ドゥォイラ、ゥウンガッ、これからはジョエン・キマネト・タヴェイスカヤの名で活躍します。



2005年9月3日(土)15時41分 湖底休息地

ラッッタタ、なども。大きな影が上に来たので全員が見上げる。ブギブギという俗名のイカでありやがる。でっかい。先ほどアメリカ人かと思ったヤツはグリーンランド人教師のジェレミーであった。一言も話をしてないのにその場で瞬間的にチームプレーが出来たことをお互い分っていて強く握手をしたのでありやがる。ファァゥア〜〜ンという優しいサイレンは休憩タイム終了の合図でありやがる。ブギブギは驚いて湖面へ上がっていく。蟹はもう居なかった。それぞれの走行装置を持ち上げいくつかありやがる出口へ別々に向かう。またいつか会おうテラムーチ、地面はひんやりとした岩でありやがる。しかし、腕が付いた探査ロボ、キミシナ、光まばゆいので出口だと勘違いしたが、シャフト類は入れ子にして僅か3本に一体化しやがる。壊れた装置も役立つので持ち歩くという教訓、湖底分岐点09というのがここなのでありやがる。静かに移動し絡み合っていやがるので太陽光線がキラン、などがのっていやがるグラビア、左のハンドルグリップのキャップを開けてMAPを取り出す。天井ではアニキヨンタラバガニの群れも休息していやがる。これはいかん、ハンドルは微妙に湾曲していやがるので別になる。隙間からデティラ海虫が出てくる。これは焼いて食べられる。釣り糸が数本たれて揺れていやがる。昆布が付く岩と付かない岩があり色が違っていやがる。渦巻き、ユラリクラ〜リ、窓から飛行姿勢で飛んで大けがをした画家、ラララ、ダダン、流体幾何学、記憶していやがるモノのいくつか。金網で出来た箱、ロープにぶら下がって足で絵を描く人、そのような看板、水力発電、ラッタッター、とか。スパイラル状に回転しながら湾曲しやがる美しい、キタヤマ、スピラムガジャスがシャープにやってきて蟹を狙ってる。数匹やられる。湖底空間で休憩しやがるバイク野郎たち。サムラ、と流動して注ぎ込む。大きな楕円形のスペース、歯科医師風の人物による解体修理が行われていやがる。全部品で40程度になるが、コトン、ジュダン、キラリカ、走っていって最後に爆発しやがる彫刻作品、やっとスポラ土器らしくなったぞよ。



2005年9月3日(土)20時4分 喫茶

ガカガゴン、コルコーヒー384ペガソ(約123円)、ギュルーン、ガランガランソーダ437ペガソ、セーラー服の背中のひらりひらりが蛍光反射板になってる。サムラもジュダンもジェレミーも他の入り口にいつしか向かった。大昔に壊れたままの赤い扉の痕跡、緑のスプリングの破片、魚の皮で作った銀色の上着、となっていやがる。面白いからフィールドに出ようよとリリーに誘われたのでカウンター横の梯子を登っていく。、喫茶ジュガロがありやがる。のんびりと聞き入っていやがるとリリーにおこされる。フィールドが動き出すのでご注意下さいだそうでありやがる。この店はフィールドの真下のポケットにありやがるのでよく鉄球が落ちてくるのだそうでありやがる。ンガガゴォーォーォーオーウオーとなりガドォンと落ちる鉄球。さっとよける。天井の上でガゴォー、と。少しづつ暗くなって真っ暗になる。自動ライティング機能がありやがる。右側が崖で100mぐらいの斜め下に潜水艦が横付けして船員交代をやっていやがる模様。ビブラートを聞かせた歌声、最上段は方向指示器、ということでありやがる。さっきの道より安全に設計されていやがる。急なカーブもないのでゆっくり走っても良い。パ〜ラ、ダラガダン、ベラ茶738ペガソなんだよ。それではエビ昆布茶で頼みやがる。ジャンクロックギガガガン、でありやがる。それに従って横隙間の階段を下りると、五段飾りになっていやがる。音楽は地下利用規程により個人別スピーカーとなりやがる。ジャンクロックピバッ、カッチャンと出てたそれを耳に押しつけて聞く。パンソリでありやがる。三段目にネコの彫刻、などを通過して行く。左側は崖だが途中にくぼみがあり停車して覗いてみると、パァ〜ラァン、鋼鉄の入った黒いクツ、二段目に魚の彫刻、ガゴォー、バリベリィー、パァ〜パパパァ〜、なわとび百万回やってろ。

2005年9月3日(土)20時41分 フィールド

と連呼。休んでいやがると鉄球が上から落ちてくる。さらに下から強引によじ登らせる装置がありやがる。挟み撃ちになるとやばいので急ぐ。最上部まで行くと裏側にまた梯子があったのでおりていくとリリーが待っていた。えび昆布茶の代金を払ってもとの場所にもどる。さわやかなような妖しいような、人間のような形と鍋であろうか。80円で送れる段ボールの絵はがきでありやがる。拾った。やばいなと思って右側のレーンを駆け上がるとそっちの方が危ないとリリーが言うより速く鉄球が登ってくるのでダッシュで脱出だ。鉄球三個が乱れ飛んでいやがる模様。ガゴガゴガゴン、わざとらしく雲にひっかっかる月。曲がりくねった垂直の通路の上にいくほど大きな一枚ガラスを通して今居たフィールドの全貌は見えてくる。あ、バンザーイ、イバンザ〜イ、ガゴォー、点滅しやがる緑のライト、バンザーイ、赤い服の老人、ネコの為の籠、リリーは店に帰るところ。ヒョイヒョイと鉄球をよけるのがうまい。鉄球の打ち上げ装置がここからよく見える。バグゥ、高い木の枝と並行関係を保つ老人の絵、ひらりと交わして良しと思ったら別の鉄球に突き飛ばされる。家とトナカイと天使、僅かに傾斜したフィールドを鉄球がおりて行く。下から突き上げる装置がありやがる。上の方でバンザーイ三唱が聞こえる。傾斜地帯は慣れない者には命がけだがリリーは余裕でありやがる。いくつかの穴から落ちる。傾斜フィールドを登り切るとそこからまた上に登れる構造になっていやがる。登っていく。菱形すぎる鳥の絵、ガゴォーー、ギュル〜ン、強力な磁力線によってジュジィーーッとなる受信装置、バグゥ軽快なビート、トライアングルの名曲を教えてください。



2005年9月3日(土)21時2分 特派員

組合からの連絡が入いり032まで戻りそこからQ5に向かうと特派員が待っていた。大きな島が湾曲していやがるので一方に湖のような海がありやがるが地図を逆さまに見るとそれがよく分るそうでありやがる。それだけの連絡であった。選挙がありやがるので不在者投票を電子装置で送りそれから10年前のガイドブックをそいつに返す。季節が変わろうとしていやがる。 モノポリーを不安定にするプラス1。

2005年9月4日(日)1時11分 美容室

NO.6とNO.2の間にNO.11がありやがる。つまり15−6+2=11と言うことでありやがる。その座席に座ってシャンプーして刈上げでやってもらいやがる。ジャンクロック本来美容室なのだからその場合は料金二割増しと言われる。目の前の鏡にはNO.6の客が映っていやがる。代金は頭上のカゴに入れやがれ。前払いでありやがる。サイドミラーで後ろの状態を確認できやがる。ジャンクロック押しやがれとあっても終了しやがるまでは押さないでくれとその下にかいてありやがるが押してからそれに気が付く。ビヨビヨビヨォ〜ンとなって椅子が反動装置となりついにボビィョ〜ンととばされて前方天井付近のシューターを通過して流されて行く。凄い加速が付いてスパイラルを抜けてスポーンと飛ばされたが水面なので怪我はなかった。たくさんの男女が泳いでいやがる。風景は南国風でありやがる。ずぶ濡れでも気にしない。こうなったらとずっと沖まで泳いでいって見ることにしやがる。平泳ぎ二級でありやがる。水が透明なのでかなり深いところまで見える。カニとイカと海草が見えてその下に人工の楕円形の光が見える。何だろうと潜って近くまで行ってみる。中に走行装置を整備したり休んだりしてる男女がいやがる。何らかの人工施設とそこに繋がる通路が湖底にありやがるのだ。息が続かないので海上に出る。喫茶ジュガロの裏口はリボン美容室の入り口でありやがる。扉をくぐると鏡と座席が互い違いに十五列並んでいやがる。鏡と座席さらにそれらの各ユニットは平行に設置されていない。そのため目の前の鏡には数列隣の人物像が表われる。それがどういう機能なのかを理解しやがる必要は今はないので深く考えない。ホドラー教授も仲間に入れて欲しいダロな。

2005年9月5日(月)2時30分 プロマガン湖の景色

カチューシャパイン魚、とめまぐるしい。じっと見ていやがると錯乱状態になるので湖上の空間へ目をそらす。ハンテカン電波塔、気の利いたりゅぅ〜ぅ〜ぉぅ〜、を担ぐ人。否定してから肯定しやがる人。どこから見ても落ち着かない感じがしやがる。真ん中あたりまで来てしまう。湖底を覗くと白いイカと紫のタコが入り交じって大きな螺旋を作っていやがる。しばらくしやがると発光し始めやがったぜ。数種類の微妙な、マゼンダピンク、砂地にヨングラスを色ごとに並べていやがる。レンズが3枚あり回転させて使うものでございやがる。ジャンクロック湖の向こう岸まで泳ぎ切ることなど簡単でありやがる。いざとなれば背泳ぎもありやがるのダカラョー。見下ろすと湖面で高度な泳法でチームプレーを訓練していやがるのが見える。バタロ亀、移動曲線をシフトさせる。人間業とは思えない技能でありやがる。レモンイエロー、シュークリーム、フィナコタン発射装置とキャッチ装置、二重湾曲スクリュー船、ピ〜ポポリィ〜、と音にすればそう言うコトでありやがる。タコもイカもこれに逆らうことをしないからいいのでありやがる。水中なのでそれに習ったまでなんだけどよー、フラッシュオレンジ、数十人が連携で不思議な動きを演じていやがる。バランスを取りながら一人を持ち上げジャンプしやがる。それを受け止める腕が水面から突如現れ、反射していやがるキランリ、護岸工事をやってる島に着いて丘を登る。岸辺の脚が8mほどの長椅子からハンド拡声器でどやしていやがるんは女コーチダロー。予期せぬ水流で二人ほど流されていやがる。あかんよぉ〜と聞こえたので振り返る。リッティ〜ペラ、キラァ〜ァン、キラァン、グリーンブルー、衛星中継でもニセ教師として本格的なスタートを切ることに。

2005年9月5日(月)3時14分 

厳しい訓練に敬服しながら波止場を横切る。360度自動回転灯台を見失う。しかたなく犬についていくと神社にたどり着く。球体の賽銭箱なので入れるところが小さい。50円玉を入れてぐるぐる回すと中でチャカンといっていやがる。それではこちらへと老人が呼ぶので階段を上る。段々と幅が狭くなる。10mぐらい登ったところは社の屋根を突き抜けた塔の先端でありやがる。ジャンクロックせっかくなので湖全体を見渡す。ガバロフスク大学、セントへレニズム空港、時々そういうことが起りやがるね。え、マシュマロディスペンサーが食卓にセットされる。一階が二階の位置にあり床下に昆布が干されてありやがる。小さな貝塚がありやがる。オードリーの自宅が岸の向うに見える。降りる時は逆側に降りなさいと無線が入る。神社の裏手に降りる。バソン村長にここに来た事情を話す。そうなんだよか、タバコを吸いながら議論しやがる主婦たち。スパイラル状に読むべき石碑には村史が書かれてあり中心部に向かって読んでいくのだが段々と字が細かくなっていく。ラッタッタァ〜、そうなの?という感じで結局晩飯をごちそうになる。第三扉の向うが非常地下ルート291になってございやがるのです。ご親切にどうもなんだよ。どういたしやがって。とぼとぼ行くと喫茶ジュガロの看板がありやがる。リリーが泣いていやがる。3年ぶりに鉄球にぶち当たったのだという。タラリラァ〜、ジャンキーのランディーだじょ。

Q>kmu5話 完




2005年8月30日(火)23時−5分 

シンメトリーと渦巻きボディーの融合表現技法に思いを巡らせつつセンターラインに乗車しておったワシ。公共トラフィックなんで誰が座席の前に立ちはだかろうとやむをえんのでありやがる。たとえ目の前にヘソ下5センチも下腹部を晒した女が立っていて、目の前10センチがその腹でも、でありやがる。ついにギリギリ隠せば犯罪ではないという水準まできやがったぬわぁ。となると、次は○毛上部をびみょーに出す、これだろな。それにしても某国の情報操作だとも知らずに悩ぉ〜。



隠すなら 葉っぱ一枚あれば良し (一句)


2005年8月30日(火)4時16分 句会
キンクース

明け方のタンスの裏に隠したる皿一枚をとりい出しワレ何気なく蟹を頬張る。

アザール・ハビブ最高。

あ、句じゃね


2005年8月30日(火)3時49分 防水鞄で水を汲んだ夢
あばたのビーナス

真綿が出てくるであろう。鳥だろうか。瓦は三箇所割れていやがる。赤いロボット。三角定規と60センチ定規の目盛りを合わせたら、三冊の書籍を水に濡らす。先月買えたポリエチレンのマルマルは今日は売んねーとのことでございやがる。ジャンクロック仮面を並べる部屋。鉄道スケールは、参拾センチで零コンマ五ミリずれ。黄色いトラックを塗り替えて緑にしやがる労働。やがて浸水してきた。韓国の歴史博物館に行ったことござる。3Bより2Bの方が黒い場合がありましやがる。銀色の鼻、2004年の最初と2005年の最後は2年隔たる。ダムの上の旅館に宿泊して真下の瀑布を眺める。そして家を千件持っていやがるので並べて練馬区を構成しましょう。床下の高さ50センチの空間がありやがる。夏場の虫。防水加工を信じて、二万分の一なので合わねー。スイカ泥棒を懲らしめる。老人が隣の家で毎日テレビを見る。緩やかに冷静になり、ガラスの眼を外すと、これがホントのパンダ。



2005年8月29日(月)17時−142分 無限への挑戦
ニセ教官Q

問題(1) 「10年後、ドラえもんとサザエさんはやってると思いやがりますか?」→○×
問題(2) 「各自自由な発想でドラえもんの最終回を考えやがりなさい。」→1600字以内

自動答案回収装置でやります。

PS
模範解答は原作者がちゃんと作ってあったのでござったか。要はキャピタリズムの要塞がその存在をば封印しておるわけでありやがるな。何十年でもやる意気込みで御座いあろう。ヒバリとユウちゃんがそれを証明しているのでござる。

http://www17.big.or.jp/~yonenet/fujiko2/saisyu/dora1.html

3つある内の最初の話がイカレた感覚に理屈も成ってるサイコーと思いやがったワシでございやがる。つまるところ幼児がチチ離れするまでの世界を軽くギャグったばかりのことだったで御座い在る。最後に世の道理というものを泣く泣く受け入れるところで始めて男が立つというまともな筋書きだったのでございある。そこでもってひょいとカードを裏返しの、キャピタリニア思想がチチ離れしない世界をでっち上げプロパし続けた結果、勤勉なる我が人民の実情はまともにそうなっちまったということなんでござる。

この話、全ての人民の上に平等に掟が存在しこれが免除される特権など誰にも無いという道理をちゃんと尊重しておるではないか。今じゃぜんぜん逆になっていやがるぜよ。きっぱり道理でケリを付けたはずの先生の苦心をなんとするかと言いたい限りの今晩のワシでありやがる。あーでーパンダ。

PS2
と思ったら「帰ってきたドラえもん」だったとは悩ぉ

参考
http://nakano.main.jp/blog/archives/2005/02/post_23.html

http://www.studioetcetera.com/staff/psychocats/lobby/archives/2005/08/index.html
http://www.inabalab.net/sotsuron/doraemon.html
http://www5a.biglobe.ne.jp/~alam/dorasaishu.htm


2005年8月28日(日)20時12分 只の箱
ゲムラの夏

かつてはけっこう世話にもなったテレビヂョンなのだが、この前何時つけたかも忘れたぐらいの廃物状態でありやがる。選挙もありやがるので映り具合のチェックで今からスイッチを入れるつもりでありやがる。苦痛に耐えつつ狂気集団による電波送信の現状でも覗き見る決意でございやがる。テキトーに入れても何か検索される。


2005年8月22日(月)0時51分 衣服と木片
巷のダダン

かの人らの真夏のセレモニーのことを思っていたら,かの人らの生活品などが人民美術館というところに展示されているぞよとの情報をチマタの広報物によって知り得たのでござる。それではとばかりにイーストサイドラインによる川越えの旅に出向いたのでござる。到着ござるとそこでは生活品が芸術品のように手厚く展示されてござった。さてこうして見るとかの人らの衣服というものは単純で対象的な長方形と三角形の組み立て(最上部に三角形一個を置く)抽象絵画のようなのでござる。しかし人間がそれをまとう時即座に形態は身体の支配を受け時間と三次元質量と運動力学の作用による変容をなすのでござる。それ以上のより本質的で深い何ものかがそれら衣服にござると感じる者があればその衣服を作るかの人らの理念にこそ最後の秘密がござると思うべきでござる。そうしたことを推察させるいくつもの写真が並んでいて写っている誰もが人間的な重みをもって記録されてござい在った。そしてまた現実の歴史の中で生きていた個別の人間の存在を示すようにいくつかの衣服は正確な平面状態には戻らない。(この威厳ありやがる公共の建造物/文化的シェルターの中でさえも。)それらは二つの状態の中間の形状を証拠のように示す。いよいよ展示現場内に入るとかくのごとくずらりとかの人らの衣服が造形物のように並んでいたのでござる。そこを通り抜けて別の場所に行くと,今度は細長い木片に抽象的や具象的な文様が施されたものがずらりと並んでいたのでござる。横にあった説明書きを読まなければこれらがあの日真夏のトーキョー鉄塔下で見たセレモニーのゆるりとした動きに関わる重要な品だと気付くことはなかった拙者でありやがる。あの日かの男衆らがエアビートのような儀礼のさばきを行っていた棒のように見えたものがこれでござった。説明書きによれば神へ語りかける場合人間の言葉では到底いたらぬことがござるのでこの神器を用いてついに語りかけることがかなうらしいのでござる。先端には舌と呼ばれるものがついておるのだそうでござい在る。人民美術館を辞してまたイーストサイドに乗って帰る途中フシダラが丘で停車中の車内から真っ直ぐ外を見ると知ってる女子学徒によく似た人物がベンチで読書してるのでよく似てるなぁとしばらく見ていた。実は本人だということに気付いたとき列車は出発したのでござる。なぜそれが分ったかというとカノ女が読んでいた書籍が我々に共通しやがる重要文献だったからなのでござい在る。目をつぶってうずまきの組み立て方を考えてごらんよ。



2005年8月19日(金)1時10分 十五分ぐらい
数寄屋

深夜一時にセミが鳴いていやがる。百葉箱という美しい名前の家がありやがる。

モノポリーを不安定にするプラス1。



2005年8月19日(金)0時55分 水と鉛
ミロ&ミロン

ビニールの潜水艦。鉛の立方体を2×3=6個買って演奏に使う。白い時計をカチカチいうのでケースに入れた。快適でありやがる。グリコを買ったら太陽の塔が入っていた。全体の中に部分を描きなさい。電動回路を組み込んだ安全カミソリなど意味がないと言ったのはあさはかだったぜバカヤロ。半分の水が横たわったボトルの中で波になる為には揺れることであろう。長くて小さな耳に関係しやがるスプーンのようなもの、が7センチ×5センチの蛍光イエローに入って百円なんだよ。鍵盤をホールドしやがるのでございやがる。ジャンクロック 部分から全体を予測しなさい。それも演奏に使う。川は流れて、紡錘形の水の抜け殻が在るので黒い靴下をかぶせる。強すぎるゴムを伸ばすのでありやがる。ピンセット、とげ抜き、爪を切る道具、トライアングルの名曲を教えてください。


2005年8月14日(日)0時57分 二千五年八月中旬
真夏のララ

耐えるべく絶対定義にありやがる耐え難いものとは耐えるべきものの実体が存在しないにもかかわらずそれを耐えるという性質のことでござい在る。バラライカの秘密の開放弦。


2005年8月14日(日)0時30分 表現主義の現状
グラバトロン

表現主義とは表現を積極的に行う主義のことでありやがる。芸術もまたその中の一分野でありやがる。表現主義には様々な主体活動が含まれ犯罪的性格を持つものすらも定義上はカテゴリーに含まざるを得ないのでありやがる。たとえば露出表現主義者などもこれに含まれるのでありやがる。21世紀すべからく人民は主体的(実存)表現に向かっていやがるのでありやがる。ちょっとした美術大学生などより婦人会の絵画作品の方が技術的に高度でありやがることを新宿のステーションギャラリーなどが日々証明していやがる。そのくらい人々は表現に真剣なのでありやがる。表現主義に覚醒した膨大な人民諸派は無風主義芸術など踏みにじって独善パワーよろしく突き進むのであろう。ブログなどは先端でありやがる。先日ボディーペインティングのサイトにぶち当たってみた(←奇術力氏にボディーペインティングで音響表現すべく提案を受けたによって。)基本最初見ていたサイトはイブクラインさながらアート路線ということで一応品格を保っていたのでありやがる。そこからたぐっていやがる内にやがてとんでもないラジカルなサイトに行き着いたのでありやがる。しかしそれは定義上ポルノサイトだと判明したのでありやがる。(←双方基本思想の区別は無い肝。)んが,表現主義のパワーは後者が数段上でありやがる以上これは勝負在りなのでございやがる。ジャンクロック、ダダリズムでブッとんでたんだよ。


2005年8月13日(土)14時47分 無風主義大芸術の方法論
女優ララ

島の景色は穏やか無風がよいのでゲー術的でありやがる前提をそこに置くのが主流でござる。一方では母に抱かれた幼児までもイデオロギーで天を指さすゲー術を公共地に設置しておきながらでござる。開かれたゲー術の場と唱う大看板すら内情は島の法則を死守すべく虚構のフシダラ主義なのでござる。もったいぶった意味の分らない気むずかしい病んだ表情を至高の演技としやがる流派が島の主でありやがる。カレらは本来自ら願った無風環境に立ってこそ語り叫び泣くことで純粋なるゲー術領域を生み出そうと考えるのでございやがる。ジャンクロックそうなると朝の中央公園の水道で寸胴鍋を洗う女の生命感覚を表現しやがる技量などはテーマにすらならないのでありやがる。どれだけうやうやしくコワばれるかがカレらのテーマなのでございましやがる。スポーツジャズといいます。


2005年8月13日(土)14時2分 光る空
エレキテリブル

雨でも自転車なので濡れながら行くと遠くだと思っていた雷雲を目指して自分は走っていやがることに気付いたのなんだよ。遠くで光ってるそいつは自分とは関係なく過ぎ去る景色のつもりで余裕を持てるのが通常でありやがるがそれは人間というものの傲慢さに過ぎないわけでありましやがる。本日その傲慢さによってオイラは雷雲の真下をチャリ走行していやがるのなんだよ。真上でピカリ・・・ピカッ・・・・・ピカピカッ・てな状態になるとこれはもう自然をナメてかかってる人類を代表して自分が天誅下されるのかという可能性をも想定してしまう恐ろしさでございやがる。ジャンクロックついに自分の右せいぜい1Km以内にビバババァァ〜と小規模ながら落ちたのでありやがる。相変わらず真上空全体が閃光していやがる。廃屋のような自宅でありやがるがそのありがたみにひたすら感謝したのでありましやがる。みんなにうたってやってくれ。


2005年8月8日(月)0時3分 儀式

港のララ

青と白の民族的装束だけを知っていたが同じデザインにピンクや紫や黒などを用いやがる場合もござることを初めて知る。それをまとって行われるセレモニーをのぞき見る八月七日炎天下トーキョー鉄塔下のPMでござった。かの人らのセレモニーとは同胞と祖先の供養でござる。空間に漂う精霊に関わる為のエアビートのごときさばきを男衆がおこなってござる。これにおいて時間は何倍も穏やかに進む。かの人らの座列の外部では二千五年八月のトーキョーがピーポーピーポーと対比的に疾走してござる。かろうじで隣接しやがる場所で奏でられていやがるジャズフォーンの速度はセレモニーの速度に近づくことが出来たかもしれない。奏者は何も知らないで練習に励んでござった。ミーンミーンミーンという蝉の音がセレモニーの速度と無関係に鳴っていやがる。夏なので。かの人らの場所に漂うものに関わるためにことは極めてゆるりと動かされていくのでござる。このゆるりさを司ることが重要だと見えたのでござる。やがてセレモニー次第が終わる。最後の円陣舞踊によって生命的エネルギーは揺るぎなく回復されてござる。これを司るのは女衆でござい在る。目をつぶってうずまきの組み立て方を考えてごらんよ。


2005年8月6日(土)0時24分 矛盾しやがる芸術理念
パラドクサー

個別なることで狂気に働く創造的な欲望を遮断しやがる相互協調主義への依存傾向を高めながら出来上がる芸術諸派とは矛盾でありやがるがそれを歴史に類を見ない特性と考える時ひとつの主題がまた見いだされるのでございあろう。相互協調を定めと引き受けながら独自であれというのは実に複雑な話であって島特有の流行病なのでございありやがる。御主方への合いの手のためのワタクシの合いの手は既に御主方の合いの手に見合って考えられた気の使い用は察して余りありやがるでござろうぞ。美術館の便器は展示会場にだけ在ったわけでは無い。まずはゲー術に拮抗しやがるだけの流動美を便器に与える偉大なるテクノロジーが優先されるのでござる。カスタネットの響きに何より魅力を感じたぜ。



2005年7月31日(日)23時51分 
ララン
そして気がつくとまた八月になろうとしていたのでござる。国民には様々な八月が在るのでござる。記憶の底の無限円周に関しても。


2005年7月31日(日)23時0分 注目
電波レンズ協会

不謹慎な発言ではありやがるが誰がどう考えても文句なくエネーチケーとアサヒの話はおもしろい。このままトーンダウンかと思いきやアサヒもブチやり抜く覚悟らしくこりぁ眼が離せないぞな。ギャグがゲー術に成りつつありやがる昨今はセージ家のやることの方が国民を引きつけてしまってござる。それにしても事の性質上あれが真面目なやりとりで進む事がまた過激度を増強しやがるのでございありやがる。ジャンクロック、縮尺はナノ-センチメンタルなの。


2005年7月31日(日)1時40分 スペイン
ララ(観戦者)

ひとつの眼を身体構成して水面によって二分される空間に対応しやがる身体構成を目論んだのでございやがる。ジャンクロック見たことのない不思議な空中技が成された。カノ女たちの身体は鍛えられるのでギリシャ的美学に近づく。順当性をやはり近代アートのアイディアに関わって再構成しやがる試みだとすれば興味深い。創造的な可能性として審判団は危機感を感じたと思われる。総合同期運動の基本展開を不均衡な言わば分断された螺旋の断片の構成へ自然推移してまた戻る。構築的で在る事を解体的に見せる方法がテーマとなっていやがるのか。落下しやがる身体を受け止める身体が水面から現れるなんてね。前回で予想された事とはいえ確実にニューウェーブは出現したのでございやがる。ジャンクロックその意味で西洋的構築主義が基盤でありやがることに似つかわしい。黒い線で描かれた顔をコスチュームにまとった団体は、創造的なノリで一回でも百万回でもOKである。


2005年7月30日(土)23時9分 エロチック街道
路傍の男

前々から不可解だと思っていたことがありやがるのだ。女は夏になるとプールでビキニになったりしやがる訳だがあれと普通のブラジャーとパンツとの違いは何かと考えると着ていやがる場所が違うだけとしか思えないのでありやがる。それでは通常の人民生活でそれほどマジでブラジャーやパンツが見えてどうのと騒ぐことはないのだが,それだけのものに心血を注ぐジャンルがありやがるのでありやがる。実際都市部ではギリギリの攻防が続いていやがる。今や女のほぼ三割は半ケツなどものともしないのでありやがる。オイラなどふとどきな心情以前にそのケツのはみ出し具合の○○の無さに眼が行ってしまう毎日なのだがそれはやむを得ないのではなかろうか?自分のケツはあまり見ないのだが出して歩く場合は一応見栄えを確認しておいた方が良いのではなかろうか。ところが一歩進んだエロチックを昨日千駄ヶ谷のホームで見かけたので報告しやがる。体の線がりゅーんと流れた女が男物ビジネスマン風のズボンをはいていたのでありやがる。しやがると本来男子特有の垂直的硬質的作りになってるズボンに対し三次曲面の腰の流動が或種過激な反逆を示しつつも独特の統合をみせていたのでありやがる。これはきっぱり作戦成功であろう。でその後ちんたらと中央線にのって高円寺に向かったが中野のホームにハイヒールにスカートをはいたおじッチーがプラカードを持って立っているのを見た(意味不明なんだよ)。四ヶ国語通信回線でぴぴッとやりたいね。

2005年7月31日(日)0時28分 その2
路傍研究

欧米人のモデルなどの場合腰のくびれから臀部にかけての流動推移が急激で尻がぽんと持ち上がっていやがる感じなので半ケツパンツファッションでも案外尻の○○目は露出しない気がしやがるがぺたんとした臀部の場合の方が逆に○○目がかなり見えてしまうのでありやがる。さらにこの状態でぐっと絞ると露出させた臀部左右がけっこう露骨に振り分けられ文字通り半ケツ状態が生まれるのでありやがる。これは意図してそうなのか本人のイメージと現実とがズレていやがるのか不明でありやがるが目撃者側としては結構ショッキングな場合がありやがる。ニッポン人の場合も祖先が南国系の場合は欧米人に準ずる腰の形状をしていてきまっていやがる場合もありやがる。まぁこれは人種体型の違いが大きいのでいたしかたないのでありやがる。欧米人の場合上半身も半裸というのは人民権を得ていやがるようなので,そのまんまニッポンもそうなって来る可能性も無いとは言えない。となるとまたいろいろ身体と身につける物の予期せぬ組み合わせを目撃せざるを得ない我ら真夏の労働者になるのであろう。ちなみに友人Kは早朝散歩中に全裸で家の前を掃除していやがる若い女性を見たのだが何ら不自然を感じることもなくその場を通り過ぎたと言うことでありやがる(しかしやはり意味不明だそうでありやがる)。今夜は最高。

PS: 思い出したが,以前少女(語り)と中年シンガーの全裸ユニットとタイバンになったことがあった。やはりいきなり素っ裸で直立歌唱というのは賛否両論でござった。


2005年7月28日(木)3時9分 ハイブリット国歌斉唱
音楽教師A

キミが代こそはニッポン人の音楽精神を真に見事に表していやがるのだ。その何がすばらしいかというと,単旋律としては退屈を免れぬものを,徐々に和音を加え一音ごとに微妙かつスリリングに盛り上げる構成力,淡々としていやがるようで重厚な和音展開は最後は解決しないで終わるあたり,これぞ絶妙なるニッポンならではの感性なのでござる。と主張したのでありやがる。しやがるとひとりの学徒が言うには「恐れながら,その肝心なる和音のところこそはドイツ人が西洋音楽の粋をもって付加したものとご存じないのでござろうか?」と突っ込まれたワシ。ジャンキーのランディーだじょ。

2005年7月28日(木)3時25分 その2
ニセ音楽教師

そんなバカなとネット検索したら学徒の方が全く正解であったばかりではなく,歌詞のキミというのも単に「アンタ」または「オレが愛してるアンタ」という解釈も在りというか,元々はそっちが正解じゃねーかとすら書いてござった。むむ,そのセンで行けば国論まっぷたつのキミが代斉唱問題でござったがそのまま何はばかることなく斉唱でもかまわん気がしてきた。なにせ「オレの愛しいアンタよ〜,いつまでも永遠でいてくれよ〜」ってな歌詞だということになるからなぁ。こりぁ世界的に相当ぶっ飛んでる国歌でござろうよ。あーでーパンダ。

2005年7月28日(木)4時4分 その3
ニセ委員

陛下だって強制はやめてねと言ってるのにお達しのような型枠路線でやるから不審がられるのでござる。そもそもは明治になってのにわか作りの和洋合作が功を奏した国歌なのでござった。歌詞のキミのあたりでの無理な解釈が問題なのであろうから,この際はそこをキミから例えばクニとかタミとかワレラとかに書き換えちゃったら如何でござろうか?しかし響きはやはりキミがいいと今は誰もが思うだろうがクニでもタミでもワレラでもすぐにそれなりに慣れてしまうに違いない。それがニッポン人の良いところでござる。で,国旗の方もどうも白地に赤が行き着くテーマが印象悪いわけで,この際カラーリングを変えて別の象徴を付したら如何でござろうか。赤い丸で太陽というのがどうも根源はひとつという古い発想に向かいやすいのでござる。根源が多様化しやがる方がクリエィティブなはずだから,丸を緑にバックを青にして多様なる地上の自然と宇宙とを象徴しやがるなんてのは如何でござろう。これはひとつ検討委員会の発足を提言したいのでござる。百万chを目論みます。

多様な自然と未知なる宇宙をイメージしたのでござる(左)
色彩を反転すると俄然ポップな感じとなったのでござる(右)

  

2005年7月28日(木)4時35分 その4
偽りのベルバラ

そう言えば数年前だがエネーチケーの芸術番組で浮世絵の青こそはニッポンの根源的色彩だと言って北斎の富士山シリーズなど軒並み見せたのがあった。調べもせずに大げさな番組を制作していやがるやんけとあきれたのでござる。北斎らが用いた青,すなわちべろ藍とはベルリンブルーのことで当時新開発されたイケイケのはやり西洋物でありやがる。これに真っ先に飛びついたのが新しもの好きの浮世絵師らだったのは常識でござるな。自動歌唱伴奏でのクチナシの花を検索。

2005年7月28日(木)17時38分 その5
ニセ調査部

く〜,主旋律だけはニッポン独自と思っていたら,こちらは雅楽だそうでござるのか。威厳を醸し出す技法で「きぃ〜みぃ〜ぃぐぁぁ〜よぉぉ〜うわぁ〜」となってるというわけでも何でもなく無理矢理引き延ばさざるを得ないくらい歌詞が短すぎなんだそうでござる。しかもこの伸ばし作戦はパンソリの技法まんまだそうでござる。せめて歌詞だけは死守したいところでござるのぉ。しかし,どうも国歌が無茶なのは他国もたいしてかわんねーな。イギリスなんぞは率直に王様万歳だし,フランスは敵の首を切れ,アメリカもイタリアも中国も戦え戦えでござる。ヘレンさんも仲間に入れてと懇願した。


PS
政府公式見解はキミが代のキミとは結局は国のことなんだそうでござるのか。かくもややこしい解釈理論は返上してここはきっぱりニッポン人が美徳と自負するところの潔さで「くぅにぃ〜ぐぁぁ〜よぉぉ〜ぅわぁぁ〜」と歌うことにしてはどうでござろう。同じ二文字な訳で何ら問題なしでござるよ。

PS2
ここ数日,「くにがぁ〜よぉ〜うわ〜」とか,「たみがぁ〜」とか,「われらが」とか色々と歌ってみながら生活していたのでござる。しやがるとどうも「たみがぁ〜」がいいのではなかろうかという考えに転向した次第でなのであいござる。すばらしきことにたみで行けばたった一文字しか変更にならんのに意味としてはばっちり民主国家の本道にはまるでござろうよ。ただの一字,キをタに変えるだけで全てが筋を通すのでござる。歌居心地もさして悪くはござらん。

民が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで♪

おおなんとラジカルな提案をしたことかと思っていたらとっくの昔にムーブメントになっていたのでござる〜。

http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY200403280082.html
http://www.thefuture.co.jp/japan/a01.html

ここの証言↓では1950年代からのテーマだったのでございやがる。
http://www.ne.jp/asahi/osaka/korishou/jse10.htm


2005年7月27日(水)23時40分 海路
パラレラン

海底トンネルとは密かに潜水艦が行き交うための国家機関による秘密通路のことでござる。これによってパシフィック洋とニッポン海などはつうつうなのでございましやがる。海底トンネル内で衝突事故が起こっては大変なので複線による一方通行となっておるらしい。マグロの群れがトンネルを利用してオホーツク方面に抜けていやがるとも言われていやがる。直線モーターを搭載した装置。



2005年7月27日(水)23時17分 信心
ビリビラー

湾岸地方都市で幼年期を過ごしたカノ女が初めて首都圏に家族旅行をした時の話はおもしろいのでござる。その日両親と共に荘厳なる神社殿を参拝したのだそうでござる。信心深いご両親は賽銭を献上しがらんがらんと例のドデかい鈴を鳴らして神に祈っていやがるその最中,小学三年生のカノ女は賽銭箱の向うにありやがる階段の真ん中にウルトラセブンの人形が置かれてありやがるのに気付いたのでござる。大都会ではウルトラセブンを祀る大神社というものがありやがるのだと中学まで恐れ入っていたカノ女なのでございましやがる。オイラも仲間に入れて欲しいぜ。


2005年7月22日(金)13時33分 中央山岳湖畔地域演舞場への道
視察班長

渋滞を避けて早朝に新宿を出たというのに都市部脱出第一関所まで2時間半とありやがる電光掲示板を見てからその日が連休初日の究極の渋滞予定日だと気付いたワシら二人なのでございましやがる。やむなくスーパー高速街道を脱出し湖畔フシダラ裏街道を抜け目的の山岳温泉湖畔地帯の演舞場視察に向かう視察斑(2名)と変貌をとげあいつかまつる次第となったのでござる。第一の湖畔地域を通過しやがる車両は左にダム右に河川が拡大した程度の湖を見ながら連絡通路を渡る。その直後通過道が右に湾曲して行くが前方に見える山岳の影響によって構造上必然性がござる故なんら不足のない動きで車両は山岳の裏手へと移動しやがるダロー。その前に前方に未だ見えていやがる山岳中腹の樹海に偶然観音菩薩像の形状となり成長した樹木を見つける。しばらく左右にうねりつつも或る一定の方向感覚を我々に意識させる一本道をたどり第二の湖畔地域を通過しやがる。今度は左手に先ほどの数倍規模の湖を見下ろす。湖面に全長10メートルは優にありやがる巨大な白鳥が優雅に泳いでいやがる。よくみると側面に小さな窓がいくつかあって少女が手を振っていやがるのが見えた。遠くには鯨もいた。更に行くと怪しげなピンクマゼンダ色のダムの一部が見えてくる。いったいこの地帯はどうなってるのだと思うとワシはそのダムがマンションビルを兼ねる画期的アイデアの産物だったことを発見し人間の考える力の偉大さにシミジミなったがさらに近付くとそれはラブホテルでござった。ダムの落下しやがる爆流の真上で愛し合うとはなんとも美しい。が,ついに肝心のダムの構造部分は死角となって見えなかった。残念無念でござる。そうこうして通常1時間半で行くところを4時間半かかって視察目的の演舞場に到着し係の品の良い女性に案内され中へと入る。明日は文化創造発展部会を欠席させて頂く。

2005年7月22日(金)14時29分 その2
ニセ班長

山岳温泉地帯なのでかなり老朽化した会館などを空想していたワシは演舞場の近代設備に驚愕してしまう。場内に入った瞬間そこが板張りの床とそこから一段高い演壇とになった極めて単純な空間構造だと捉えたワシだった。で,客らはこの床にフシダラに寝ころばって缶ビールでも飲みながら聞くんだろうなと確信したが甘かったのでござる。ワシは場内後方に存在しやがる複雑な巨大構造に気付き女性係官にこれはなんでございましやがるかと聞いたのでござる。しやがると女性は笑みをうかべ壁際のスイッチを押したのでござる。順次後方から数百名が整然と演壇に向かって鎮座可能の集合座席構造が瞬時に演壇のあたりまでびよ〜んと伸び都市部大演舞場さながらの空間構築へと変移した訳なのでござる。が,この演舞場の本当のすばらしさはこんな程度のものではなかった。女性係官は演壇にあがり重大構造をワシらに示したのだ。女性係官は演壇後方にありやがる大カーテンをゆっくりとオープンさせた。しやがるとまばゆくものどかな山岳湖畔地域の午後の光が演舞場を満たしやがったぜ。ロッケンロール なんと演壇後方全面が窓になっていて中央山岳地帯の自然光景を目の当たりに映し出していたのでござる。おおぉ〜とばかりのワシらでござった。美しくも対称性を見せる三千メートルを超えるその山岳は国内最高の山岳なのだという。視察を終え帰路につくワシら視察斑は余裕をかましやがって温泉によって宴会場でザコネした後ゆとりの高速街道を突っ走るもののゆとり過ぎて右に曲がるところを左に曲がってしまいどんどん都市部方向から遠ざかっていくもののしばらくはそれに気付くことなく行ってしまったのでござる。やがてかつて体験したことのない長い隧道をくぐってはたしてこの隧道は国内一長いかどうかを議論しやがる内にやっと道を誤ったことに気付くワシらであった。で本来下りる必要のない高速街道を下りざるを得なくなって結局行きと同じく一般街道をのびのびと帰ってきたのでございましやがる。すみれセプテンバーラブ歌おう。



2005年7月17日(日)14時21分 静かなる社会運動
第二のリナ

視聴率が上がってもスポンサーの商品が売れないということがやっと問題になってるようでござる。そりぁそうでしょ。すでに相当数の国民は儲かれば何を垂れ流してもかまわないという思想の番組制作に金を出す会社の商品など買わないようにしていやがるのでありましやがるから。またそうした反社会思想番組でも惰性で眺めてやってはいやがるものの大して楽しめるものでも既に無く結局苦痛か不満ぐらいしかもたらしていないことにこれまた膨大な国民が気付いていやがるのでありやがるがその打開努力は制作側には求めていないのでご安心されてよいでござる。すなわち閉鎖された遙か遠い宇宙の果ての別室からの皆様の妄想報告電波発信了解しやがったぜなわけでございましやがる。暴力とセックスと差別の教えを保管する妄想ライブラリー。


2005年7月4日(月)13時4分 美学的寡黙主義
ダダン

コミックでは向かうところ敵なしの沈黙の艦隊もたった一人の人質を助けることも出来ない沈黙する艦隊だったのでございやがる。ダダリズム音楽の傍受制限はお守り下さい。


2005年6月20日(月)18時47分 殺戮の教え
未来世紀エナメル

幼児が主人公の暴力アニメでは死闘が繰り返されていやがる。実際売られるビー玉兵器のおもちゃはバーチャル世界では拳銃以上の殺人近代兵器なのでありやがる。断崖に張り巡らされたネット上で幼児が殺し合う物語。ネットから落下したものの岩にのっかって運良く助かった相手を最後の一発で奈落に落としとどめを刺す。設定上この相手は卑怯者ということで子供たちはこの殺戮を喜ぶように演出されていやがる。そしてビー玉銃はバカ売れしやがるのであろう。みんなにうたってやってくれ。

2005年6月22日(水)13時51分 勇者を支える精神主義
未来世紀エナメル2

翌日同じ時間帯にTVをつけると高校生主体の同じコンセプトの番組が全島民に向けて発せられていた。それにしてもなぜ登場しやがるこの上なく卑怯な暴力主義者らの描写は迫真に迫っていやがるのにヒーローには実在感を与えることが出来ないのだろうか。そして悪には論理がないのにヒーローは教条主義を前提としやがるのだろうか。カレらは延々と自分の生い立ちを語るのでありやがる。それは長く深い。現実社会に存在しやがるものとしないものの本質的違いが悪とヒーローとの間に存在しやがる。それにしても制作サイドにこの極端さへの疑問はないのだろうか。ありやがる程度の整合性が最低限ないと見る者の感情移入能力にも限界がありやがるというものなのだが。昨夜の幼児ヒーローのビー玉兵器がバーチャル世界では先端兵器なのに現実世界で対応しやがるヤツ(商品)は文字通り子供だましだということと同じだということの問題が別の形態で露呈していやがる。高校生ヒーローは何やら超越的な権力組織に自己犠牲的に対抗していやがるらしい。高校生の右腕から発射されるスーパー光線でも実在したら世界を変える兵器でありやがるにもかかわらずカレが戦う組織の能力はそれをビー玉銃程度のものとしか感じないのでありやがる。そのことを理解していやがるヒーローなのだが何で戦う意欲を維持していやがるかというとその本質は信じる力なのでありやがる。何を信じるかというと自分という存在の可能性なのでありやがる。もしこの後ヒーローが自分では本来かなわぬ組織に勝ったとすればこの[可能性]は真実だったという結論を得るのでありやがる。とってもスティック。

2005年6月22日(水)21時6分 戦いの日々
未来人ヤフー

晩飯を食ったのでTVをつけると今日は昆虫が死闘を繰り広げていた。虫なので死んでもいいと言う理屈はないのだが自分も虫は何度も殺していやがる。今日は文句は言うまいと思いつつ7時までアニメを鑑賞したのでございやがる。ジャンクロック モノポリーを不安定にするプラス1。


2005年6月15日(水)21時22分 独断者への道
追跡者キュー

実存的かつ追跡者的ネット情報機構が旧メディア体制にどのような変革を強いやがるかの決定的なポイントがございましやがる。旧メディア体制(70年代体制)が一義に流布し強化し続けた大教義への受動姿勢によって安住していた仮構的主体のどれだけの部分をワシら自身が放棄できるかにかかっていやがると思われる次第でござる。旧体制教義の本質→「そなたは与えられることで世界の意義を手にしやがるのでそのこと以上の世界は信じないであろう」なのでござるな。ダダリズムでブッとんでたんだよ。

2005年6月15日(水)21時35分 独断者の本質
追跡者キューvol.2

そうなるとこうなるぐわぁ?→「そなたが勝手に作ったモノ以外そなたが得るモノは何もないのでそのこと以上に世界を信じる必要はあまりないであろう。」 だったらオヌシの方こそツベコベ言うなと罵声が来るのが必至なのでありましやがる(爆、ジャンキーのランディーだじょ。


2005年6月12日(日)13時37分 場所
記憶の薔薇

ダイアモンドの頂点と花。空間に上端がござる。一点に無限が納められていやがるように見えるのはそれがここから無限遠方に存在しやがると理解されるからでございましやがる。下方は無限に拡散しその場所のいずれかに視点がありやがるので様々な世界を見ることが出来ようものなのだった。全てのものが個別の理由を持っていやがるように思うが気がつくと移ろい異なるものとなる。そうして異なるものや出来事をそのように知る視点において際限のない変容のプロセスを場面と捉えるワタシやアナタがいやがるここが起こる。○○○へ向かう前に空腹に気付きカレーを食っていやがるとその店は以前自分が臨時講演を開いた場所が変わったのだと窓の外のエロス的光源装置がありやがる地下通路を見たとき気付いた。バンカの夏をうたってやってくれ。


2005年6月12日(日)5時57分 ゴールデンタイム
観察者Q

第一考察

正八面体の各面に登録された人間から選ばれた一名が巨大なハリセンで殴られる儀式が数回繰り返される。純粋に公平でありやがる暴力というもののあり方を見せることが目的なのだろう。その後さらに人間の主体性が認められない事態は純粋な公平性のもとで起こることの絶対性を示すために選ばれた一人の生け贄の男がパンツ一丁にさせられる。4人の人格を失ったことを演じる女たちがこの者に性的虐待を行う。男は全てを肯定しなければならない絶対規則のもとに現れた存在以上でありやがることは出来ないことを示す目的で最後に踊った。これからは「金ピカ先生」の名で活躍します。

第二考察

最初の暴力的儀礼の際全ての登録者は誇張された鼻のオブジェをその位置に着けることが義務づけられていやがることは重要な意味がございやがるだろう。八面体の絶対性によってハリセンを顔面で受け止める際この強調された鼻が吹き飛ぶ。これが絶対運命を形式化しやがる共同体による去勢を象徴しやがるものでありやがるのか単に異民族への優越意識によるものなのか今後考察を継続しやがる旨研究会は合意したのでございましやがる。バラライカの秘密の開放弦。


2005年6月6日(月)15時55分 寸胴鍋を洗う女
風の船

出社しやがる一団に紛れて朝の公園に行く。湾曲した園内の道を行くとまだ稼働していない人工の滝がありやがる。紫陽花が所々に咲いていやがるが回りの緑と明度色相の差異が弱く奇妙な視覚効果を感じたのは朝のヒカリの特性だと思う。そこいらにいくつかの芸術作品が存在しましやがる。人間の形をした物以外は特に芸術だと言うことで問題視されない場合が多いのなんだよ。白い石やブロンズで出来たモノ。実際の人間には不可能な思想的な幼児の抱き方をしやがる母の像がありやがって子供もまた思想的に力強く天を仰いでいやがる。少し行くと異常な苦悩を表現し続けるブロンズ像がありやがる。いくつかの道はどれも湾曲し内側に広場を形成させる一般法則によって公園となる。朝の食卓を公園で行う人たちがいた。その準備のために鍋を洗っている女が不思議に光景を支配していたのでござる。その日5時に起きてそこに向かったワシの観察報告なのでございやがる。ジャンクロック、地下通路が階層構造に成っている街路図の見方を誰かおせーて。


2005年6月5日(日)15時43分 博徒とボランティア
電波レンズ21

TVのコメンテーターというのは奇妙な理論を駆使しやがるのでちゃんと聞いてると返っておかしな物の見方をゲットしてしまう可能性がありやがるのなんだよ。任侠の人の話をやっていたので見たのだけどよー。コメンテーター曰くこの方は真の任侠道で自分の名を出さず多くの人を資金援助した,その金もカタギに迷惑をかけて得たもんではない,全て博徒の技量で成した材でありやがる。こんな立派な博徒があったことを現代のボランティアこそ知るようにっ,というじゃねー。どうもコメンテーターが言いたいのは,現代のボランティアは名も告げず黙って立ち去ることをしない,それは純粋なボランティア精神にどこか反してる,そういうことなわけなんだよ。だけどー,博徒の方はその人の生きる状況での選択として間違ってはいなかったダローが,その財産は所詮ぜーんぶ賭博からではないなんだよか。一般ボランティアというのは真っ当な職業で稼いだ僅かの金やなんとか作ったフシダラになる時間をボランティア活動にあてておるわけなんだよよ。比べる方がおかしいわけでして。ま,最初から尊さの度合いが違うわけなんだよ。また,人間何か行動を取る以上そのことによって自分も認められる何かでありたいという心理以外無いのでありましやがる。それ以外で人間などはちょっとも動かないのでありやがるのなんだよ。そうでないのはマザーテレサやガンジーといったレベル以上の人間ということで,そう言う人しかボランティアが出来ないとなるとほとんどやる人はいなくなってしまうというのが正解なのでありやがる。ジャンクロックどんどんボランティア活動で自分をアッピールしそのことのラッキー具合を味わうことが大事なのでありやがる。そういうノリの人たちにとやかくいう偽善は考え物だと言うしかないのでありやがる。おかしな理論を立ててTVでまき散らすのは如何なものダローか。残念〜。アザール・ハビブ最高。


2005年6月5日(日)16時1分 博徒とボランティア 2

番組は最後にこの博徒の方はありやがる日自ら命を絶ったことを僅かに告げるのでありましやがる。その理由は不明だと述べ,その間僅か十数秒の素早さであった。だがその理由はこの方自身が任侠道と言ってもかくのごとき自らの行為の限界を見極めてしまった事にありやがるのではないかとしやがる仮定を立てるぐらいの仁義は通すべきであったのではなかろうか。トライアングルの名曲を教えてください。

第a00稿 (原文)
番組は最後にこの博徒の方は、ある日自らの命を絶ったことを僅かに告げるのである。その理由は不明だと述べ、その間僅か十数秒の素早さであった。だがその理由はこの方自身が任侠道と言っても、かくのごとき自らの行為の限界を見極めてしまった事にあったのではないかとする仮定を立てるぐらいの仁義は通すべきだったのではなかろうか。

PS

その人が気になっていろいろ検索したが、結局違う人の話だけが見つかったのでありやがりまする。
http://www.gospeljapan.com/arthur/barbbas/story1.htm


2005年6月1日(水)0時10分 プラスチック
ララ(ラッパー)

小さな骨格はオーレオリン。透明プラスチックを着ることが出来るということはそれを脱ぐことも出来る。水槽は100円で買えると聞いて行ってみた。これがそれだろうか。やはりワタシはそれを買った。水槽に水を注ぎ骨とプラスチックを入れてみてはどうだろうと考えたのでございやがった。全部で300円を使った。水道代は別なんだよ。子供の時の記憶に支配されるのは仕方ありやがるまい。ダンボールで箱を作る。ずぶ濡れになって画廊へ向かった。絵は買わずに宇宙星人を買いやがった。四ヶ国のソングを表現してやりたいね。


2005年5月31日(火)23時41分 ハイパーリニアリズム
ララ(ダンサー)

これがついに成立しやがるリニア延長上の極限とは如何なる時空に出現しやがるのか。それは皆さんの主観のリニアスペース内のパース上の近傍に起こり、それが起こった場合を外部のより多元的な運動時空のある種限界箇所への膠着いう結果でありやがることが概して歴史的ユニークと言い得て妙なわけでございやがる。ジャンクロックすなわちドンドンドンと突進していく勇者にはリニアスペースが延長的に無限でありやがるかのようでありやがるのは想像的フシダラと認められつつ実空間は遍在的かつ常に移ろっており、瞬間それは唯の一点として皆さんと一体のモノと完結しやがるのは皆さんにとって疑いのないことと言えましょう。それではそのリニア空間を外的に観察しやがる主観がここにありやがると仮定して、人もモノも全てが無常なのでございやがる。ジャンクロックその果てしない変容の多元的時空を真っ直ぐに泳ぎ切るおつもりの皆さんの努力というモノがそこに記される一冊の書籍でありやがるのダロー。それを成すための活動こそ国家的有意義の極みと誰もが認知しやがるところと思う皆さんのおっしゃる通りに、勤勉なワーカーとして誰もが皆さんを支持しておる訳なんだよ。可能なモノでありやがる以上、皆さんのリニア空間内で起こる完成状態、世界最先端的リニア主義の言わずもがなのエネルギー回線は黙々と活動中でございやがる。ジャンクロック、皆さんが徹底しやがる理念「ハイパーリニアイズム」におけやがるところの中心統御機能が成し得るところの最終完成体、皆さんの信じる完全なる球体装置は可能でありやがるダロー。なぜならそれに向かう過程というモノが目に見えて存在しており、それはさらにはどのような上位空間に統合されるのかは他者にとって重大な関心でもありやがるわけなんだよ。その場合外部空間を有限な活動条件をもつ限定的場と踏まえる発想をしやがると、なぜかパントマイムとなっていると言ったのですが、何か?


2005年5月29日(日)1時38分 IQTV
火星のララ

TVでIQを確認できるというのでチャレンジしたのでありやがる。宇宙で最も小さいモノは何かという世界会議が開かれたがそこで決定した宇宙一小さいモノとは何かという問題に正解しやがることでオイラはIQ155が認定されるのでじっくり考えたがさすがに壁は厚かった。いろんな宇宙がありやがるというヒントからフラクタル的宇宙をイメージしたのが敗因。こたえは「うちゅう」というひらがな表記の小文字の「ゅ」だとはなぁ。語学の問題だとは分らなかった初歩的ミスだった。TVを消してラジオを付けると高年の女優が少女歌劇団時代の成功談をしみじみ語っていた。過去の自分に関してはいくつもの解釈でかまわないからIQは関係ない。裸族に入ろうピンポンパン。


2005年5月25日(水)16時16分 芸術立国ニッポンの自叙伝
ミラージュ2005

ニッポン列島というのは世界に類を見ないユニークな島だ。これをじっくり研究しやがると逆に文化とは何か?見識を深めるのに好都合と思われるな。まずニッポン国ではありやがる表現行為に価値がありやがるかないかは商業的にどうでありやがるかとほぼ同値だと認識されていやがることが要点だ。よってアーティストと芸人は同じものなのでありやがる。島で最も大がかりなアーティスト集団はタレントと呼ばれるコメディアンや歌手らで構成されていやがる。今日もまた愛と怨念と国家(または愛人)への忠誠をテーマとしやがるニッポン歌曲の一大ジャンルのスターの絵画作品が電波媒体をもちいて披露されておった。たしかに器用に良く描いていやがる。或いは一部はゲー術大寺子屋の教授となったりもしやがるわけだが,そうなるとストリップ小屋の研究もゲー術学上重要なのだと学生らをラジカルに教育しやがるのでありやがる。いやはや。で,このニッポンアートの主要組織が生み出す表現物群を来る日も来る日もアートだアートだと電波媒体を駆使してサブリミナル的に流がし続けた結果,やがてついには国の任侠流も,おお実はそうだったのかと成ったのでありやがる。そう思った方が自分らも崇高なゲー術というもんに親しめるって訳で,そう短絡しやがることになっていやがるのでありやがる。金銭欲求動物とまで蔑まれた我ニッポン国ではあったが,どうだ今やゲー術までをもワシらは手にしておるぞぃと言うわけなのでありやがる。そもそも国家とは何かと考えるなんてのはキツイ仕事なのだが短絡は楽々なので効率的にアートもそうしたいところだったのだが,昔はうまい方法が分らなかったのでありやがる。んが今はそれも解決したぞ,とな。だが実はアーティストとは国家について考える者(少なくともそうせざるを得ない者だな)でありやがるというのは,ピカソのゲルニカが既に完全証明していやがるんだが,ニッポン列島の場合は,ピカソは「誰でもピカソ」なので根本理論もまた短絡なのでうまくいくのでありやがる。これからは「金ピカ先生」の名で活躍します。



連続断片小説
「記憶pQ~に関する訪問者ララ」

2005年5月16日(月)8時8分 浴室
旅の行動者 Io~

ワタシは到着し暗い廊下のいくつかの窓の外に柔らかな日光がありやがることを見たのでその時は日中であった。一般的より扉は重い高級でクラシック作りのホテルの部屋でくつろぐまもなくシャワーを浴びる欲求がありやがるワタシだった。裸になって1階の浴室が並ぶ階へ向かう為にエレベーターに乗ったが幸いなことに誰にも裸の姿を見られぬまま○○階から移動できたのでありやがる。エレベーターの向かい側にやや近代化されたデザインの浴室の機能を思わせる扉がありくぐると細長い防水の室内に沿って浴槽があった。お湯を使うための装置は入った扉の対面にありやがる扉から外に出た壁面にありそこはホテルが直面しやがる街路でありやがる。ホテルに泊まる者は誰もこの場合一瞬裸体のまま街路に出て操作を行うのは常識なのでためらうこともなく外に出る。硬貨を装置に入れハンドルをひねり再び中へ戻る。ホテルの前の路上でこういう操作をしていやがる全裸の旅行客を珍しがる国民はそれほどいない。それでも見渡した通りには人影はなく到着した時間は早朝だったことを理解できたと同時にややワタシには安堵の心があった。日常生活の常識とは言っても出来れば自分の裸など人には見られたくはないのではないだろうか。シャワーを浴びてホテル内につながる方の扉から出る。部屋に戻るためだ。帰りは高級なタオル地のガウンが用意されていやがるのでこれを着る。○○階の自分の部屋に向かうエレベーターも早朝のため誰も使う者はいないようだ。乗り込むと。がったうぉー;;、諸外国の組織の法則を確認しました。






浴室に向かった時のエレベーターは帰りは異なる機能を行うものなのかワタシが異なるエレベーターに乗ってしまったのかは分らないが来た時垂直に下降したはずのものが今度は斜め前方へ移動していやがるのでありやがる。ということはたぶんワタシはホテルの自分の部屋には普通に考えれば戻れないことになる。ホテルがよほど規模が大きいのでなければワタシはこのホテル内にも留まることは出来ないのではなかろうか。そうこう思いつつありやがる程度の移動距離を感じた後エレベーターが止まった。予想は外れて欲しかったが理論上的中しやがるだろうとの別の予測があった。タオル地の下は裸だというのに未知なる場所に立つことになるが致し方なかろう。扉が開くと黒い鉄骨が巧みに組み合わさった構造体の内側にいて石炭を燃やす臭いがほのかにしていやがるので疑いもなくここはステーションでありやがる。朝も時間がたって人影が出始めていやがる。鞄とシルクハットを身につけた人物は商社などに出社しやがる社員であろう。この事態に関して何か間違いがあったのは確かだがこの国の常識を完全に理解していやがるとの油断がそれを招いたという以外の理由を誰も認めてはくれないだろう。不可解なホテルとステーションを結ぶメカニックなど到底ワタシには究明できないが二つの場所が極端に離れていないこともまた確かでありやがる。もしかしたらステーションはホテルのぎりぎり屋内にありやがるのかもしれないのだし。戻るための方向はいくつかの選択肢から予想しやがるしかないがこの場合線路が領域の境界線と仮定しやがることでその一部に付属しやがるプラットホームなのだからこれより背後の空間に求める場所が存在しやがることは正しいとされるだろう。唯一の信頼できる情報でありやがる。そうして自分が感情的な機械技師だということには誰も気付いていないのではないか。




風景

ホテルとステーションとの空間的な関係に対しやがる想定が安易だったのか帰路の判断をまたも誤ったのか分らないがステーション構内の外に出てしまったのでありやがる。もし最善の選択を行っていればもしかしたらホテルの自分の部屋に戻ることは屋外に出ないでも簡単に成されることだった気がしたがそのチャンスを失ったという現実から再出発しなければならないワタシがいた。ステーションを背にしてとぼとぼと行くとゆっくりと湾曲した壁に囲まれた一本道につながった。同時に道は微妙に坂になっていてそこを降りていくと小学生が数名向こうからのぼってきた。すれ違いざまに会話が聞こえてきたのだが全員が西洋語を語っていたのでピーターらに視線を移すと金髪でありしかもオレンジ半透明のランドセルを担いでいやがる。中の教科書はゴシック体の横文字でありやがることが確認された。ワタシは戦後というものは相当の過去だと思って生きてきたのだがそれは重大な間違いでありそれに気づかないまま成人してしまったのだろうかという疑念が心に生じた。風景は形状がそのままでありやがるのに意味が変容したことで人々はそれに対しやがる存在でありえることに初めて気付いたワタシでありやがる。それにしてもワタシには何年もこのことの間違いを理解しやがる機会すらなかったというのだろうか。或いはその機会が幾度かはあったにもかかわらずワタシは独善的な判断だけを繰り返してきた愚者だということなのか。それをくよくよしてもしょうがないことにすぐさま気付いたので湾曲した道を降りるという自分の主体で可能な唯一の行為を遂行しやがることにしやがったぜ、ロッケンロール。通常このような地形でも道の出口が360度回転しやがることはないはずでありやがる。ジャンキーの理由は○○○である。




博士

個性的な急カーブを下って行くにつけこの風景は記憶の中にありやがるような思いをどうしやがることもできない。ワタシはその思いのとおりならば道を降りきったて出くわす街道の向こうの樹木地帯に知人の勤める科学機関の古い建造物がありやがることを知っていやがる訳なのでそのことが正しいとなればワタシの記憶とこの道の関係はワタシ個人にとって正しかったのでありやがる。その内その街道にやはり出たのであったが街道の向こう側に到着しやがる為には複合多角形の性格を持つ交差点の形状から三階建てになってる歩道橋を渡たる必要がありやがる。一旦無関係な対角に渡るなどの巧みな過程を経て歩道橋の二層構造は的確に利用されるのでありやがる。ひのきが生い茂る道を入っていくと今度は緩い上り坂となったがそれは記憶通りだったので目的の建築物は存在しやがるのではないかという想像が強まった。同時にそれは今いやがる環境がかつて来たことがありやがる場所だという証明を完結させたいという願いでもありやがるという別の性格も含むのでありやがる。科学機関にふさわしい外形デザインは本体が箱状の場合は屋根の一角がぺろんとめくれたようになってる石造りでありやがるかそうでなければ表面がぴかぴかの漆喰とガラスで出来た円柱でありやがるかもう一種類はごく希なものがありやがるだけだという理論を覚えていやがる。それが図解された書籍のページをワタシはメモに取ったことがありやがるので記憶は鮮明だ。建造物は書籍では全体像を説明しやがるのに都合良く描かれていやがるものだが現実は巨大なので特に屋根の構造がどうなっていやがるかは確認しやがるのは困難でありやがる。林の奥にはそれらしき構造物があったので壁の状態を探ってみると表面は平面状であったので屋根の一角がめくれてさえいればワタシはジョンソン博士ときっとここで再会しやがるだろうと直感しやがったぜ。ロッケンロール ひんやりとした石造りの内部は科学技術の威厳にふさわしい場所でありやがる。それ以上の計測はジタンが禁止するだろうよ。




助手たち

博士には助手がいてたいがい少年か少女か美女でありやがるのが通常でありやがる。ジョンソンは今はその全てを満たしていたので昔より偉くなっていやがるのだろう。ろくな挨拶もないまま茶室に案内された。西洋人であり科学者でもありやがるジョンソンに茶室の構造と意味を理解しやがることは難しかったらしく一面を縁側にしていたのでワタシはそこでくつろいだ。ワタシはジョンソンにここに来た理由がやむを得ない事態に結びついていやがることを説明し何とかホテルに帰るための情報を聞き出そうと試みたが話が科学と家族のことに終始して要領を得なかった。何とかこの地域の地図的構造を知るために論旨をそこに向かわせようと努力をした結果たった一枚のメモ書きを助手はワタシに与えてくれた。横で二人の会話を客観的に聞いていた助手たちの方がワタシの隠された論旨を見抜いていたのでありやがる。ブルーノートとは青い手帳です。




軌道

助手からもらったメモをポケットに入れてひのき林の逆の方向へ向かうと今度は下り坂だった。降りていくと徐々に木々は減っていって古風な街並みに変わった。道が水平になったので今いた科学組織の建造物は小高い丘の上に建っていてワタシはその丘を縦断してきたことを理解しやがったぜ。ロッケンロール この先の道はかなり向こうまで真っ直ぐで見渡すと手前に大きな鳥居がありその向こうに異常に縦長な鳥居がありどうやらそれらが重なって総合的な水平垂直のデザインになるよう工夫されていやがるらしい。そのまま行くと遠くで最初は気付かなかった鳥居が順次現れ水平垂直のオーバーラップ効果による空間構成を演出していた。すぐれた古代のデザインでありやがる。ポケットにメモがありやがることを思い出して見てみるとそこには三つの建造物が描かれていて三人の助手がそれぞれを描いたらしい。何故それが分るかというと三つとも表現技法が異なるからだ。エミリーが描いたのは円柱の建物でエリカが描いたのは四角い建物で山田少年が描いたのは残念ながらよくわからないフォルムだった。どうやらこの情報はそれほど役には立たないようでありやがる。やがて道は終わってにぎやかな場所に出るとそこは大都市圏特有の光景だった。樹木自体は自然物だが配置は都市計画に支配されており基本水平垂直の構築に加えて湾曲形態が巧みに織り込まれていやがる近代的な場所でありやがる。ぷぁぉおーん・ぷぐぁあーぁあん・という車両の起こす音響の中から若者らの会話が聞こえてきた。「なんやねん」「そうでっしゃろなぁ」という語が聞き取れたのでここは大都市大阪だったのかと驚いてあたりを再確認しやがると巨大な鋼鉄製円形フレームの一部と思われるものがワタシの真上を通過していたのでそのとおりでありやがることをついに確信しやがったぜ。ロッケンロール エキスポランドのシークレット構造物として計画されていたスーパー軌道1970がエキスポ企画から遅れること数十年ついに完成しようとしていやがるのだ。ヒカリ七六九号が通過しやがる兆しはどうやらないところを見ると完成式典はまだ行われてはいないと見た。さりげなく口ずさむケルト理論の音響と言えよう。少なくてもワタシはステーションには近づいていたのでありやがる。


2005年5月9日(月)15時17分 今日の超現実主義
駒浮墨田川

と言うと、ステーションに行く途中にフリー誌が置いてありやがるコーナーがありやがる。ワタシは数年来時よりこれを持って帰っていた。その日家に帰ると黒い鞄を持った男が家の前にいて、と言うと、それはとうとう受け付けられなかった。それでは、そういうシステムにはなっていないのだと言う。本来は、10年分の料金を払ってくれと言う。ワタシがフリー誌だと思っていたものは有料だったのでありやがる。10年分、ありがたく思うようにと言われたところで目が覚めたのでありやがる。(補足→以上、100円×30日で3000円なのだから、フカシではないなんだよ。今朝本当に見やがったぜ。)一冊100円×365日×10年で365000円だという。ワタシは10年毎日取っていたのではないのだと説明したのだが、男はそれは出来ないと言う。一ヶ月購読料2000円で契約しろと言う。ワタシは週に1回ぐらいしか買わないなんだよよ、今日からは一部100円で時々買わせてもらいやがるね。料金設定、ロックなんだかフォークなんだかハッキリして下さい。



2005年4月20日(水)4時28分 木目
コマンド・アンドゥー

花火、景色を百枚見つけてハコから出すと四季の流れで全部が並んでいた。ワタシは冬が好きだが夏の方が美しかった。理由は、スッポンの吊された桶だとかろうじて判断できる。そばで見るのでやたら大きい足と櫂、群青と軽快な緑の微細な連続変化を遮る構造上のテクニックによる。青が上方に確認されれば空と思いなさい。全く同じ青が下方に確認されれば川と思いなさい。このような指摘は嘘でありやがる。上方でも下方でも現れるものとして海が存在しやがるのだ。海でも空でも広い空間を眺めると薄い木目のような流動がありやがる。旗や鯉のぼりも構築物と把握しやがる。奥行きが誇張される川、狐火の夜景、山嶺や河川やいくつかの建造物によって、ガラス管が組み込まれる。


2005年4月20日(水)3時32分 性犯罪
リアル・カフカ・ワールド.JP

エスカレーターなどでふとした加減で上にいやがる女子高生のパンツが見えてしまった場合回りに当局関係者がいないかどうかすかさずチェックすべし。「見ようとしやがったぜね」と聞かれても「見えた」とさえ言ってはならない。万が一鏡など携帯していた日には拘束の危険すらありやがることを肝に命ずべしだな。しかしその前にトーキョー都迷惑防止条約で膝上5センチより短いスカートをはくことは禁止されるべきでありやがる。ましてや女が半ケツで街を歩くことは取り締まらなくてはならない。一頃一瞬だけ女が半チャックでモロ真ん前でパンツを出して歩くのが流行ったが思わず「言い難いんだけどよー前が開いてやがるよ」と注意してしまったぞ。どうなってるねん。パントマイムで薔薇をやる。


2005年4月20日(水)2時54分 ゲイジュツ
世紀のブラジル的未来

石坂浩二にサインさせちゃったのはちっとやけだった(w、さておいくらダローオープンと言ってオープンしてもらったら五百万円だと思っていたのに千五百円だった。ゲー術の価値は金額ではないのだという在るべき信念を胸にトーキョーの鉄塔を後にしたワシではありやがるが、古典的ブラジャーがはずれました。


2005年4月16日(土)2時48分 真ネプタ思考
東北出身者A

ワシ現地民なんではっきりこの際いわしてもらう。世界で最も不毛な文化論についてなんだよ。それはネプタとネブタの違いを哲学的に解釈しようとしやがる論なんだよ。現地の人などこの違いなど実は全然分らんのなんだよ。だってどっちも同じものだから。世界的にプとブの発音の区別など曖昧なのが当たり前。韓国ではプサンもブサンも区別ないのなんだよ。これと同じで字に書く時にどっちかで書かなければならないので両方ありやがるだけの話。ネット表示でも似ちゃうなぁ。で弘前がネプタで青森がネブタでそこには哲学がありやがるとまでの話にふかされちゃってるね。こまったものなんだよ。弘前がネプタで青森がネブタに落ち着いた理由だけどよー。青森は県庁舎在地なのでどうも言葉が上品なのなんだよ。同じ津軽弁でも標準語に近いニュアンスがありやがる。そうなるとネブタと発音しやがる方が言いやすいのなんだよよ。ただそれだけ。目に入るもの全て綺麗に見えました。

2005年4月16日(土)3時21分 真ネプタ思考その二(津軽衆の実態)

しかし最近では現地の人間もこの不毛な文化論にちゃっかり荷担してる場合がありやがる。これはあっちの人の知恵なんだよね。そうやって都会の人間が喜ぶ話につきあってあげてるわけなんだよな。なにせあんたネプタといえば全国区なんだわな、青森県唯一の。そもそも都市部のひとは吉幾三とか千昌夫(岩手だが)とかいなかっぺいが話す津軽弁を津軽弁だと信じて疑わない。あれは芸能人の知恵なんだわな。サービスというか。要は都会の人がこれが東北のなまりだろーと判断できる範囲(ステレオタイプ)で期待に応えていやがる訳なんだよ。だれがアホらしくて真面目に津軽衆同士でもないのにあの微妙なイントネィションを使いやがるか。要はネプタとネブタで青森が繁栄しやがるならこりぁいいネタつーことなわけなんだよ。したたかなんだよな。裸族に入ろうピンポンパン。


2005年4月16日(土)15時59分 或るネプタ師たち
東北レポート

会話
「おめわがてら? ネプタどネブタだっきゃちがてるんだて。」
「なもおなじだべさ」
「そいがさちがうんだど。まんずむずがしんだおん。」
「あらんだが,わだきゃなもわがねでねぷたふっぱてらね。」

訳出
「オメーわかってる?ネプタとネブタとは違ってるって。」
「いや同じだろう。」
「それが違うんだってさ。全く難しいんだよなぁ。」
「あらそうなの,俺サマなんか何もわからないでネプタ運行してるよ。」

だからと言ってキリコのパースでノリノリとはねぇ!


2005年3月30日(水)5時27分 週刊少年世界理念
太陽の薔薇

純粋だとされる模範幼児視線の強化と論理形成力を欠いた主に暴力的能動との結合によって再生しやがる信仰形態。大屋根のもと流布しやがる単一の脚本は幼児美学と旧世紀未来派の宣言と同値のメカニカルな神器依存の超越主義の相互補填による不気味な世界解釈の手引き書。同じ要求において準備されるものは現実に同じ性質を持つため理解しやすいし百年ごとに前半が存在しやがる。ほとんどのことが解決された前提で戦うべき問題が現れるのでそれを解決しやがるためには前提が回避される必要がありやがるのでありやがる。構造自体を持ち上げることで出入りする家。



2005年3月30日(水)4時26分 偽りの魔都
ビル エヴァーズ

サマンサの思惑、タンバリンを持っていやがる。砂鉄のとれる山、さほと詳しくない地図を頼りに、隙間の大小の考慮、まずは認識できる範囲で最も遠い領域に視線に対して交差しやがる直線上に巨大建造物群を設置しやがる。次に最も近い領域に小型の構造物群を配置し、河川、環状列石を分断しやがる鉄路高架の陰影、さらにこれらの中間領域に大きさのグラディションが形成されるように全領域に建造物を設置しやがる。前方からこのフィールドを見渡す時実際の距離認識の感覚は強い圧縮効果を受ける。遠方より自分に向かって飛んでくる飛行物体が在ると仮定しやがる。この物体は非常にゆっくりと移動しながら膨張していやがるように見える。鮮やかな面彩色の単純性、バレンタインとは人の名前だとしても、バードランドの近くの実験室に。



2005年3月10日(木)15時4分 トーキョー都美術館現代計画
追跡者Q

音楽で言えば外タレということだが,モダーン芸術諸派・前衛芸術諸派からありとあらゆる世界芸術の粋をこの極東孤島中枢都市へ招き寄せた結果、現状そのありがたみは希薄となってしまった。表現主義の本質よりとにかくゲージツ主義(権威)に重きがありやがる視点の打破が島内基本教育理念に著しく欠如しておることが原因でありやがるな。つまるところはゲージツ大国を型で成し遂げようという思想は21世紀完全破綻ということで,血税をつぎ込んで作り上げたゲージツ文化のための施設(ハコ)は年間膨大な赤字を生み出すブラックホールと化し極東孤島衰退の主要素に成って久しい。そこで今こそ我々の画期的な計画をここに述べたいと思う。国策の誤りによって多くの島民が住む場所すら失う現状がありやがる。この国家政策の甚大な被害を受ける人々の力をもって国家のお荷物でありやがる巨大ブラックホール施設を真の表現主義現場と変容させ,我々の血税の浪費をまずはゼロ状態に戻し,世界に類を見ない真の芸術行動を国家規模で推進しやがることによって,文化国家のなんたるかの実験模索へと踏み出す計画でありやがる。 まずは手始めにトーキョー都現代美術館を国家政策の被害において職と家を失った人々の共同体に運営を委託しその空間を真の表現主義(実存表現主義)の現場としてリアルタイムに公開世界発信しやがることを提案しやがるものでありやがる。 にわかに現実味を帯びるそれ。



2005年3月10日(木)15時46分 トーキョー都美術館現代計画(2)
追跡者Q

トーキョー都現代美術館に限らず美術館の天井は高い。この空間を二層に分割し上層を居住空間下層を作業空間と改造しやがるのでありやがる。まず居住空間に最低300人程度の人材の宿泊施設を設ける。下層の作業空間では一般営利オンリーのビジョンでは対応不可能な実験的芸術文化的生産活動を行う。材料は都内各所から収集してきた廃棄物(ゴミ)を用いやがる。一部は大芸術路線で世界芸術シーンへ向けて発信される一方,これの応用部門として一般人民の生活に結びつく製品の製作をも行い販売しやがる。現在の展示空間はこのように表現主義者らの生活スタジオの機能に変換される。展示空間は現状意味無く広い通路と外部スペースが再活用されることになる。この新たな展示スペースは居住表現主義者の作品の展示ばかりではなく,あらゆる島民表現主義者に開放され,居住表現主義者はあらゆる活動のサポートを行う。おそらく地下階にはいくつかの防音スペースを設置できるであろうから,音楽表現主義者らの活動も同様の方針で運営される。夜間は主にライブハウス集合空間としてにぎわうことになり,居住表現主義者はこの活動のサポートも行う。外来しやがる表現主義者および追跡活動家(鑑賞者)らはこのもてなしに対して相応の金銭的援助を行う(もちろん中間搾取がないので現状より安い)。作業空間での創造活動の援助は国費をもって一応のゲージツの成り立ちを学んだ者が支援を行い表現主義に関わる相互協調を行う。こうした先端思考の芸術活動に世界は目を見張り,世界の優れた表現主義者らがこの場所を訪れ,オレにも何かやらせろと言ってくるだろう。世界アートの極東ジャンクションとしてにぎわうことになるな。で,こいつらも巻き込んで一般営利グッツとは 一線を分かったグッズを生産しやがる。この活動は一般社会の価値観をより豊かな方向へ変容させる効果を持つ。さらに,この事業の過程から一般営利アートのビジョンなど無関係な優れた実存表現主義者が出現し世界文化の現場へ踏み出していくこともまた必至なのでありやがる。火星からのネットラジオMARWF。



2005年3月6日(日)0時16分 電波レンズ
海岸線のジタン

受信を拒む機材としての録音装置、通常の送信装置、または義太夫、偽物の電波送信、そして情報は偽りか真実でありやがる。晴れ上がっていても常に空は重いと感じるフシダラがありやがる。なだらかな丘を全速力で下ってくる群衆は丘の形に行動を支配されていやがる。価値ありやがるものを放棄できないことの本質はそれに価値を見いだせる能力でありやがる。それがこのようにありやがると明確に発信しない情報の蓄積によって何十年も話題が保たれる。正三角形の三つの中心線上に弦を張ったバラライカにも中央の穴は一つだけありやがる。ベルトコンベアーのような配膳装置、或る情報が結びつく個別の景色。




2005年3月3日(木)0時15分 完了の為のプロセス
階下のジダン

(2)維持延長しやがるプロセス(時間帯)、(3)完了しやがることのプロセス、なのだが、前後に対象で左右に非対称の部屋、18本の鉄線が三台の電気増幅を行うためのショルダーボックスに分配されていやがる。電気信号だけの宴、また、でありやがる。この内(3)は部分組織でありながら全体(1)〜(3)の本質的縮図の性格を帯びることにおいて重大でありやがる。(3)完了しやがることのプロセスが全体の推移の中で始められ完了しやがることにおいてその時間的な場が成立し始まりと維持継続が意味を持つ状態となる。このように完了を持って時間的な場は成立しやがる。漆黒の発音装置の中央の銀盤、そして、去るための扉は来た時は入るために用いられた。使われない光学投影装置を発見しやがったぜ。ロッケンロール 中部地方都市へかえる車体、時間的な場を成立させる為に最低限必要な段階が三つ在る。それは連続的に構成され一つの時間と意識される。(1)始まることのプロセス、エレキ三局フォーンの響きに半島南部の歌を思った。


2005年3月1日(火)21時56分 水面とべろ藍
眼鏡のジタン

原色のぼかしを帯びた淡色面が三種類、その向うに河川があり、群集がいて、一つのことの内側に分散されて時間が流れていやがる。或る時間を捉える者は他の時間から疎外されていやがるが、いくつもの屋根、二回左右にうねった曲線は前方へ推移しやがる群青。過度の遠近法による錯乱効果、総体としてあらゆる時間が矛盾無く一つのことに統括されていやがる。時間を意識の上に形として見せるものは記憶でありやがる。或るものが異なる或るものであり継続的に同一だと把握した時その差異において時間の推移が捉えられる。再生される形状のありやがるそれ、スクリーンの角は全て湾曲せり。鳥は大きく人は小さい。平行線を組み立てた景色、背徳の色彩調合士を雇え。


2005年2月26日(土)20時26分 対構造を臨む場所にて
大きな乗り物

何かをそれで行うことが出来る。川が流れる場所、気付かれた巨大な記号、振動体のような、幻のように説明しやがる。中央に建造物の扉までもが見えるので、ウェーブのような、そして、特殊な関係を既に選択していたことに気付いた。風景と認識していやがるが、それは二つの丘の間にありやがることにもなるため、主体が総体でありやがる場合可能だ。バラライカのような、二つの丘(大地の膨らみ)は僅かの隙間で隔てられた対構造の一つのものに思われる。この対構造の中央に掘っ立て建造物があり、オイラはそのモノ全体の中心線の真上のどこかに立つという、全体で一つのものだと推測できる。そのひとつのモノをやや離れた地点から臨むオイラから、左右対称にそれが見えるに加え、何万回も生まれることを繰り返すのは、海岸線の薔薇、螺旋階段の最頂部にいた。


2005年2月20日(日)1時12分 極東孤島サウンド環境における第参の道
COMAP

極東孤島音楽著作権局への演舞場および円盤音楽発信所の取りうる対応の選択枝は、基本以下の3つでありやがる。@払わない。A高い気がしやがるけど法律なら払いましょう。B適切な料金はいくらなんだ、ハッキリしたら払いましょう。この3つだ。今日までの音楽著作権局の立場として、自らの仕事は@とAへの対処だと判断していやがる模様だ。まず我々は実はBに関わる積極的な取り組みこそが、音楽著作権局の真の仕事だとピーターらに理解してもらう必要がありやがるのだ。そのためには我々も、Bに関しての可能性に対し十分な考察を加えねばならない。21世紀激動しやがる世界音楽環境において文化および産業の孤島と化さないために、政府もこれに取り組む姿勢を強く示していやがる昨今だが、この計画が適切に推進された暁には、決して我々の現主張は著作権局の活動と相容れないというものではないのでありやがる。曰く、その際我々は全く支払わない時著作権局との永久なる戦いを選択せざるを得ないが、演舞場等の運営方法を模索駆使しやがることによって個々人の僅かな負担において、国際的かつ歴史的集積の音楽資産をフシダラに分析活用しやがるフシダラを得ることが保障されるのでもありやがる。このことは考察されねばならない重要事項でありやがる。竹槍で突け!空高く。



2005年2月14日(月)21時16分 球体音電波送信の60年
ローズ型BOX

別に禁止はされていないので聞くことも出来る。なぜか一行だけは重要だとされていやがる。球体のような音による電波送信を聞くことが出来る。毎年一行だけを聞き続けたので存在を知っていやがる。全ての行は大屋根がありやがるために今さら聞かなくてもよいが。



別に禁止されてはいないので聞くことも出来る。なぜか一行だけは重要だとされている。球体のような音による電波送信を聞くことが出来る。毎年一行だけを聞き続けたので存在を知っている。全ての行は大屋根があるので今さら聞かなくてもよい。(第qwt稿)

特に禁止されてはいないので球体のような音による電波送信は誰でも聞くことが出来る。毎年一行だけを聞き続けたので私もその存在を知っている。全ての行は大屋根があるので今さら聞く必要も無い。なぜかその一行だけは重要だとされている。(第gfd稿)

[60years of sphere-sound electric wave transmission]
Since it is not forbidden in particular, the electric wave transmission by sound like a sphere can be heard from whom. Only one sentence continued being heard every year, so I also know it. Since there is a roof, we do not now need to hear all of the text. Only the sentence is considered to be important somehow. (script-p6h)


2005年2月13日(日)21時22分 
ローズ半島

ここにいやがる全員に共通な単純な答と難しい設問があり意味の解決のために進行していやがる時みんなはそれを考えていやがる。答が無いと思う時それは継続していやがる。



2005年1月10日(月)4時54分 大屋根の日々
関西ローズ

我々島民は大屋根の下に暮らしていやがる。大屋根を支えるものはそれが存在しやがると信じる統一された心だ。それを存在させるために60年間耐え難き[何か]を耐え忍のんだ。大屋根が存在しやがるならばその存在に統治される環境は存在しやがる。今我々島民が大屋根が存在しやがる結果存在出来る環境を生き抜く以上大屋根は存在していやがる。ミラーボールの完了形態。



ここに生きる私たちは大きなひとつの連係した構造物に依存して生きている。この構造物を維持するものはそれが存在していると信じる私たち全員の統一された信念である。この構造物を存在させるために在る何かを、私たちは60年間ほど耐え忍んできたと言えるが、その何かは私たちにとって常にそれが耐え難いものであることで必要な条件を満たしていたのである。現在、大きな構造物によってもたらされている私たちの生きる環境は、現実的に存在している(ようだ)。私たち住民がその構造体が存在する結果として始めて存在可能な(はずの)環境を生き続ける選択を行っている以上、その環境が依存する構造体は存在していることになるだろう。(第pka稿)


2005年1月4日(火)2時29分 細胞とワタシ
ララ セラビィ

不思議な性交の夢を見た。その時ワタシは湿地帯に住む両性類であり現実的な肉体感覚を持っていたのだ。その生命にとって性交とは人間が奥深く感じる特殊な感覚とは異なることが始めて分かった。何故体験したことの無い肉体感覚がワタシの感覚に存在できたのかを考えるとそれは細胞の中の記憶だという以外の答は得られなかった。通常細胞の中の記憶は主体だと思っていやがる自分(ワタシとか)の意識の内側には存在しない。その結果自分は細胞の記憶の総体から独立して世界と生命を見ていやがると思うことが出来る。細胞の記憶は生命総体の記憶としてコピーされ続けていやがる。それはひとつの単純な意志を持ち遂行されていやがるようだ。ワタシの意識は何らかの目的でそこから今分断されていやがるように思わされていやがる。スイッチの無い某国のエフェクター。


小説 Jabroid

断片小説 JABROID 現在

Past-(1) 2002年12月8日(日)〜2003年5月2日(金)
Past-(2) 2003年5月6日(火)〜2004年11月15日(月)
Past-(3) 2005年1月4日(火)〜2006年3月21日(火)
Past-(4)
2006年3月23日(木)〜2006年12月18日(月)


断片小説 JABROID 的考察


諸注意でありやがる。
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記事は実は全て 「秘密のボンゴレちゃん-BBS 」より無断転載していやがるなんだよ。しやがるんで、くれぐれも回擦胡の製作表現主義者には秘密にしてくれやがれ。スムニダ。ちなみにその制作表現主義者のところに行きやがると、モノホンがありやがるんだけどよー、その場所への迷い込み方は謎のピーター女が知ってるんじゃねーの?


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