JABRO演舞場QQQ 追跡-Vol.2

葛飾北斎
画狂老人卍的世界

from 2006年4月 追跡者 COMAP墨田


ターニングポイントとしての為一

為一とはひとつになること。視点を統一するこの覗きからくり(遠近法)は自由自在いつでも完全に機能するものとなった。だが、それは世界を覗く術がただの一種だというまことに横暴な自由でもあることが判明する。わき起こる多様な覗きの欲望がかくしてお縄頂戴状態となってることはどう考えても忌々しい。実際の世の中こそは、拡張し、変移し、折り重なり、意表を突き、留まることのない強靱な姿をいつも見せるのである。そうしたものを人形のように収まり良く切り取る装置がこれなのである。思うに装置と呼ぶにはあまりに限定過るんじゃねぇのと。いつでも正確に機能するそいつ、否、正確にしか機能しやがらないそいつに、ちょいとペテンの歯車でも差し込んでやろうか。そうやっていくつかの新しいからくりを作ろうじゃないか。今度はそういう旅回りと行こうぜぃ。と、ここで為一は終了となる。

参考サイト

北斎年譜 http://www.book-navi.com/hokusai/life/hokusai-index.html

北斎「為一」期 1820年(61才)〜1833年(74才)
「富嶽三十六景」制作 1831年(72才)?
「琉球八景」制作 1832年(73才)?

北斎「画狂老人卍」期 1834年(75才)〜1849年(90才)
「富嶽百景」初編 制作 1834年(75才)
「富嶽百景」初編 制作 1835年(76才)
「百人一首うばがゑとき」制作 1835年(76才)?


突入!「百人一首うばがゑとき」

かの高名な北斎為一集大成「富嶽三十六景」から画狂老人卍路線への転向は、モノクロ本の「富嶽百景」のアバンにまず現れるのであるが、とりあえず百景の方をすっとばして(いや百景こそ決意表明カキコミ付きの意欲作な訳であるが)、スペシャルワーク「百人一首うばがゑとき」の方に突入してしまおう。実は百景のコピー本が廃屋四畳半から発掘できておらないという個人的事情もある訳だが、これぞ最大興奮爆裂領域にいてまえの心情も大なのである。これ「百人一首」を乳母が絵解きするというキワモノ企画である。乳母の絵解きなので学術的背景など微塵も無い。しかも北斎配下の乳母であるからには傾向としてかなりアクラツ無責任な内容となるのは必然で、ところどころはまともなものもあるのだがおおよそ一筋縄では行かないシロモノである。この古典文学頂点「百人一首」テキスト過激解体(一部ブッた切り)に「ポスト富嶽三十六景」であるところの遠近法解体戦略が組み込まれた二重アバンの醍醐味なのである。このシリーズ、色刷りと線画下絵合計88枚が現存するが、テキスト解釈+作画の傾向ごとにいくつかの領域を確認できる。それによって北斎の人間像もリアルに見えてくるのである。以下、手元にあるこの偉大なる図録書籍、Peter Morse著「北斎 百人一首うばがゑとき」(高階絵里加訳 岩波書店)から図版を、有吉保著「百人一首全訳注」(講談社学術文庫)からテキストを引用しながらその分類解説を行う所存である。「百人一首うばがゑとき」以外の図版引用の出典はその都度記入する。

Peter Morse著「北斎 百人一首うばがゑとき」(高階絵里加訳 岩波書店)
有吉保著「百人一首全訳注」(講談社学術文庫)


恋の苦悩

ではまず、趣旨が解りいいけどもまだまだアクラツ度60%水準の一枚から行ってみたい。

49 大中臣能宣朝臣

みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつ物をこそ思え

現代語訳

宮中の御門を守る衛士のたくかがり火が、夜は燃えて昼は消えてしまうように、
私も、夜は恋しさに燃え、昼は身も消え入るばかりで、絶えず物思いをすることだ。






歌の主は従者をしたがえ深い瞑想に入った後ろ姿として画面左隅に描かれている。この姿で十分痛ましい雰囲気だが、画面での扱われ具合の方が遙かに痛ましい。夜通しの労働を終え疲れ果てた衛士らのリアルな現場の方が絵ヅラの主役と成ってしまってる。それは喩えで言ってんだっつ〜の(w ま、北斎配下乳母が高貴な公家の恋愛心情など理解できるはずも無く、高等文芸技法たる比喩表現など当然分るはずない。公家恋愛モノに関しての北斎配下乳母の鈍感具合はこの傾向で一貫している。画面構成はそれほどアバンでもない。


39 参議等

浅芽生の小野の篠原忍ぶれど 余りてなどが人の恋しき

現代語訳

浅芽の生えている小野の篠原、その「しの」のように、私は忍びに忍んできたけれど、
いまはもう忍びきれず、どうしてこんなにあなたが恋しいのであろうか。




忍びに忍んだ恋心を感情移入つつ歩いて来たその篠原なんですが、ガキンチョ軍団がたった今全部刈り取りました。アクラツ度70%。しかし、何とも情緒のない霞の表現だよねぇ。焼き畑の煙みたいだ(笑


67 周防内侍

春の夜の夢ばかりなる手枕に かなひなく立たむ名こそ惜しけれ

現代語訳

短い春の夜の夢のような、はかない戯れの手枕をしていただいたために、
つまらなく立つ浮き名が、口惜しゅうございます。




宮中ラブラブ関連ブッた切り抱腹絶倒作なのだがカラーに成ってないんだよね。悔やまれるぬぁ〜。この歌とワンセットになってる話がネタ。

周防内侍が物に寄り臥して、「枕がほしいのです」とそっと言うのを聞いて、大納言忠家が「これを枕にしなさい」と言って、御簾の下から腕をさし入れてきたので、とっさに詠まれたものである。(「百人一首全訳注 67周防内侍」解説より)

北斎配下乳母向かうところ敵無し! アクラツ度120%


97 権中納言定家

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ

現代語訳

いくら待っても来ない恋人を待つ私は、
松帆の浦の夕なぎの海辺に焼く藻塩のように、身は恋い焦がれていることです。






詠み手の立場完全消去。或はホントに焼かれて煙になったか? 「67周防内侍」を越えるアクラツ具合と言えなくもない。働く庶民の活々した姿が見事に描かれた作品。人物以外はほぼ単純な抽象色面のようなもので、それらが画面を渡り合ってダイナミックな空間を切り出している。(この造形上重要な作例は詳細別箇所で検証。)

以上、浮世離れ公家様関連の代表作である。このカテゴリーはどうしても画面構成の話よりネタ解説に頭が行ってしまうんだよなぁ。ま、やむを得ないかと(爆


メランコリア 自然への思い

そうした深い歌人の心にさえも容赦なく乳母は無粋介入してくるのである。

24 菅家

このたびは幣も取りあえず 手向山紅葉の錦神のまにまに

現代語訳

この度の旅は、あまり急なことなので、前もって幣の用意もできかねました。
この手向山の、錦のように美しい紅葉を手向の幣として神よ御心のままにお受けください。




すっとぼけ衛士連中再登場。旅の途中牛が寝てしまったもんでどうにもならない。牛車の中の主人に二人が言い訳を伝えてるところ。「いつ出発できるか神の御心のままでございまして、とりあえずは錦の紅葉でもご鑑賞下さいませ。」てな具合でしょう。アクラツ度75%。


28 源宗于朝臣

山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思えば

現代語訳

山里は、冬がことに寂しさがまさって感じられることだ。人の訪ねてくることもなくなり、草も枯れてしまうと思うので。




人も訪れない草も枯れ果てた冬の山里こそマタギの天下なのである。人気が無いのをいいことに他人の庵をブチ壊して暖をとるとはとんでもない連中である。 アクラツ度→ 北斎配下乳母70% マタギは200%じゃぃ。

いよいよこの作例あたりになってくると、造形上の話も述べなければ成らないのである。上述の「97権中納言定家」と、この「28源宗于朝臣」に共通した絵画上の特質として、「遠近法的役割を果たす諸要素の積極的排除」というのがある訳である。「富嶽三十六景」でこれでもかとばかりに多用された「消失点に統治される奥行線」「距離感を暗示させる類似形状の連鎖(霞雲や波など)」は、この二作では一切用いられていないことに注目するべきである。抽象化された少ない構成要素を画面枠内に組み込んで、形態同士の力関係のみで空間に拡張感を与えるというアンチ遠近法的な空間表現がここでは目論まれているのだ。「百人一首うばがゑとき」の最高傑作のいくつかは明確にこの路線追求の成果なのである。北斎亡き後炸裂する絵画理論の元祖作例と呼ぶしかない数点についてはこの後順次分析を行うことになる。


3 柿本人麻呂

あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む

現代語訳

山鳥の長くたれさがた尾のような長いこの秋の夜を、恋しい人と離れて、ただひとり寂しく寝ることであろうかなあ。




あしびきのぉぉ〜〜〜、やまどりのぉおのぉ〜しだりおのぉ〜〜〜と、まさにその通り長々しすぎる表現が伝えるところの秋の夜の風景が画面対角右半分に描かれてる。奥の家の窓からいかにもナイーブそうなポーズで歌人がたった今見ているのは、ぬあがぁ〜〜い尾っぽの山鳥そっくりの薪と煙!歌人の場所からは死角に設定されている逆半分の領域では、漁師どもが巧妙な連係プレーで黙々と漁をやってる。しっかし、こんな小川でこんな大げさな仕掛けでやるのかホントに!

この図はそれなりの奥行き空間も意識されており、「97権中納言定家」「28源宗于朝臣」あたりと比べて分るように、画面構成が「百人一首うばがゑとき」の中では特に煩雑な一枚である。しかし、先行する「富嶽三十六景」とこの図の空間形成を比較することで、画狂老人卍での北斎が踏み込んだ領域がどんな世界であるのかという主題を把握することは容易となるのである。

下の三枚は「富嶽三十六景」で駆使された遠近法的要素が個別かつ強調的に現れた作例である。左の「信州諏訪湖」は消失点を意識した奥行き線を川の輪郭曲線に当てはめてオーソドックスな一点透視の空間を形成している。中央の「東海道金谷ノ不二」では、前景から遠景に向かって配置する形態を連鎖的に縮小することで遠近空間を生み出している。右の「甲州石班沢」は北斎特有の遠近技法と言えるが、前景と遠景に大きさの異なる類似形態を配置しその間の空間を抽象的な連続分断線で繋ぐという方法である。この作例の場合、前景の<漁師+岩+網>が形成する三角と遠景の富士とが遠近感を打ち出す対応形態である。その間は画面を水平方向に渡る波と霞となってるが、この領域は遠近感を強化するために分断幅が徐々につまるように描かれている。

補足 一応ここでシチュエィションの確認なんですが、「富嶽三十六景」が先行で「百人一首うばがゑとき」が後発ですんで。「百人一首うばがゑとき」はあらゆる面でイカれてるので、「富嶽」=完璧 「うばがゑとき」=若干ヘタかも?、みたいな感じで逆に思ってる人もいるようですが、「富嶽」の方が数年先行しております。

富嶽三十六景 信州諏訪湖 富嶽三十六景 東海道金谷ノ不二 富嶽三十六景 甲州石班沢
「富嶽三十六景」図版引用 葛飾北斎展カタログ(江戸東京博物館1995年)

では「3 柿本人麻呂」の方はどうなってんのと検証すれば、為一北斎「富嶽三十六景」の段階で自由自在に使えたはずの遠近表現と全く逆のことだけをやってるのが分るのである。画面全体を統治する消失点や奥行線など設定されておらず、「富嶽三十六景」であれば当然奥行き感の強調に用いられるはずの連続する山並みは奥の方がデカい。一見遠近法的に小さくなってるかのようでもある歌人だって周りの空間と無関係に小さすぎるんじゃないのぉ〜(爆 前景と遠景を何気に繋ぐ霞などの抽象空間要素ゼロ。漁師らは完全に横並び。前景から遠景に順次現れる樹木など「富嶽三十六景」ならばホイきたとばかりに連続縮小させてしまうところなのに、全くその効果を用いておらない。こうした一貫した選択の結果、当然のこと「富嶽三十六景」に見られる広大な奥行き拡張は死滅して、出現したのはまるで舞台セットのごときインチキ感覚の空間である。偉大なる革命の序章ぞぃ(Luck!


32 春道列樹

山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり

現代語訳

山の中の小川に、風がかけたしがらみは、流れようとして流れることのできない紅葉なのであったよ。

先行作 富嶽三十六景 遠江山中 百人一首うばがゑとき 32 春道列樹

上で行った「為一VS画狂老人卍」に関わる考察は、「富嶽三十六景」から「百人一首うばがゑとき」へそのまま同じモチーフのスライドが行われている作例群において、更に明確な方向に進展することができるのである。右が「百人一首うばがゑとき」、左が「富嶽三十六景」でのオリジナルバージョンである。この「32春道列樹」は「18 藤原敏行朝臣」「97権中納言定家」と共に、為一から画狂老人卍への移行要点を捉えるのに実に都合いい作例なのである。上述「3柿本人麻呂」で検証した卍北斎の意図が全く同様、それ以上に明快にこの作例に現れている。「富嶽三十六景 遠江山中」では前景と遠景に過剰な程の格差をつけた類似形態を配し奥行きの空間拡張を生み出している。それに対して、「32春道列樹」の方は、折れ曲がった川が奥行きを若干演じているとも言えるが画面全体での主軸効果としては用いられてはおらず(このような遠近法の分断利用は他の作例にも現れる)、それ以外の構成要素に至っては全て奥行きの拡張効果が出ないように綿密に構成されているのだ。画面手前の川から後方の横積みの角材まで、完全に画面水平方向を強調するように配されている以上、意図的に奥行き感を殺してると言うしかないのである。この作例では完璧なる舞台セット空間が完成している。この選択が導く結果として、「色彩対比の最大効果」という別の絵画上の目的が達成されていることにこそ注目しなければならない。

しかし、今回の北斎配下乳母の絵解きの方はいつになく謙虚なんで、そっちの面でものたりないなぁと思う人もいるでしょう(笑 この歌の場合大げさな比喩表現がない写実主義であるところが乳母のフィーリングとマッチしたのかも知れないですな。北斎配下乳母と言っても全部暴れ回ってる訳じゃないですぜ(笑 しか〜し、全登場人物が繰り越されているのも笑えますが、富嶽ではまだ赤ん坊だった子供がカメを引っ張って出てくるあたり、画狂老人(ボス)の方のはやっぱ一発かましとりますねぇ〜。

   


18 藤原敏行朝臣

住の江の岸に寄る波よるさえや 夢の通ひ路人目よくらむ

現代語訳

住の江の岸に寄る波の、その「よる」という言葉ではないが、昼はもちろん夜までも、夢の中の通い路で、あなたは人目を避けようとなさるのでしょうか。


先行作 富嶽三十六景 上総ノ海路 百人一首うばがゑとき 18 藤原敏行朝臣


二つの船本体のデザインはほとんど同じであるが、注目すべき重要な変更は帆の表現にある。「富嶽三十六景」側は風により翻った様をリアルに捉えており単純な線描でありながら完璧な三次元表現に成功している。船体は構造上側面一面しか見えない為に、描かれた場合は平面化(非空間化)してしまうので、後方に縮小されたもう一隻を配することで相互で三次元効果を生み出す選択を行ったとも思われる。これにより、前景領域に自立的な三次元空間が表わされた事にもなる。対して「18藤原敏行朝臣」側は、一隻への限定に移行した上に、帆は一面だけを見せる実に極端な選択を行っている。これは三次元表現を難しくする選択という事でしかない。新たに配した帆の表面のラインさえ立体感を補う為のものではなく、逆に平面感を強調する効果しかもたらしていない。元々船体は側面一面しか見えていないのであり、ついに帆と船体は一つの平面形状として一体化してしまったのである。しかし、先行する富嶽側では実に巧みな空間表現を難なく行っている以上、「18藤原敏行朝臣」で北斎が行った新たな選択こそは、表現上の戦略として強固に踏まえられた意志だと考えなければならないのである。富嶽側は、近景(船)と遠景との極端な収縮効果と、さらに画面を横断する遠景陸地ラインを湾曲させる選択を加え究極の遠近効果を生み出している。「18藤原敏行朝臣」も富嶽以来の一般的な前後関係を踏まえた形態連鎖に依存してはいるのだが、少なくとも遠近法的拡張を過剰強調することは意図的に避けられているのが分る。

歌の解釈の方は乳母はあまり興味ないようでもある。というか、現代語訳を読んでさえ自分は意味がよく分らないのだが、きっと乳母もそうだったのかも知れないと推測(笑 アクラツ度→不明


97 権中納言定家 (←再)

既述の図版であるが、実はこれも「富嶽三十六景」からのスライドバージョンだったのである。上述の二例と比べると変更要素が多いのだが、これも先行「富嶽三十六景」図版と併置して造形面での解説を行いたい。「富嶽」側中央付近の木挽き職人は釜焚きの男女に変わっているがポーズは先行作を引き継いでいる。画面全体の基盤は前景に凹型の構造を作り中央に抜ける空間を示すというもので共通している。先行する「本所立川」の方は実に巧妙な表現である。前景の凹型形状は微妙に素材感が異なる角材群を綿密に連鎖させながら強力な一体構造として表され、その中央を抜けて広がる中景の家屋群はぼけた藍色の色面の中に遠景地平線を暗示させるように連続的縮小を示している。完璧な三次元空間拡張が成立している。しか〜し、ここまでの作例同様、対する「97権中納言定家」の側は、抜ける空間とはとりあえず言ったものの、実は大して抜けてもいないのである(笑 手前凹型構造とは言ったもののそれぞればらけた個別形態では?と突っ込まれたら確かにその通りでもある訳である。だが、ムーブメント的にこれらは連鎖してるのであり、このこと(固有の性格を持つ形態が力関係により組み合うこと)こそが革新的だと理解しなければならないのである。一見バラバラに配置されたかに見えるそれぞれの単純形態は位置と動き(ムーブマン)において画面上で確実な連携を行っているのである。そうした新基軸によってこの作例はダイナミックな空間切り出しに成功している。

詳細は後述するが、要は遠近法排除に傾倒し始める画狂老人卍北斎がにらんでいた絵画表現上の可能性こそ、完全次世代先取りだったと言うことなのである。またそれは、遠近法の内容を見極めた果てに初めて転換し得た強固な論理に裏付けられた切り替えであり、偶然や感覚的類似(優れた芸術家は感性で同じようなことをするとかいう理屈)などに全く帰結しない性質のものだとまずは知る必要ありと言えよう。

先行作 富嶽三十六景 本所立川 百人一首うばがゑとき 97 権中納言定家




続く→遠近法解体新書 「富嶽百景」(1)  画狂老人卍的世界 INDEX

間の検証をやる根気が無くなったのでとりあえずこっちに結論まとめました。↓
「画狂老人卍的世界 プレ-キュビズム絵画の確立」(結論的まとめ)


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