花のかたち(1)
初期マトゥラー仏の構造と華厳思想
八木橋司 1995年


<Part-1>


1 考察の背景

[ディーダルガンジーのヤクシー像]
仏教美術の幕開けを飾るに相応しい美しい彫像として、「デイーダルガンジーのヤクシー像」(パトナ博)をあげる事に、疑念を持つ人は少ないに違いない。この像がマウルヤ朝の宮廷造形に属し、BC・二〇〇年頃の作品とする説は、美術史上ほぼ公認された見解となっている。一連のマウリヤ宮廷造形の特徴である、極めて丁寧な表面の研磨処理が、やはりこの像にも顕著であり、BC二〇〇年説の信憑性を高めている。本来マウリヤ朝の造形全体に対する、ギリシャ造形の直接の影響を否定するのは困難であるが、特にこの「デイーダルガンジーのヤクシー像」においてこそ、ヘレニズム造形特有の切れ味が、明確に封じ込められている事を強調する者は我々だけではない。明快に構造化された面構造の総体に、柔らかな局面の連続性を複合させ、ボリュームを生み出し、空間を拡張していくといった墓本的な造形法と、さらに、三次元的なひねりを含みつつ、かすかに前傾した上体の空間的構築性には、明らかに独特の造形理念が確立している。このような三次元の複合構造を担った人体表現こそ、ヘレニズムが確立した様式に比定されるべき内容を呈しているのであり、これ以後のインド美術史にはついに存在しなかつた、この像だけの特別な表現形式なのである。我々は、この事実の意義の深さを強く認識する。こうした、造形理念の本質に関わる一致が、何の脈絡もなく個別の文化に出現したとするならば、それはむしろ不可解と考えざるをえないのである。

[初期マトウラー造形の特性]
さて、我々のこの考察は、まず初期のマトゥラー造形に見られる、重大な特徴への検証から始まる。当初、我々は初期マトゥラーのいくつかの仏像には、不可解な造形上の特性が存在する事を認識していた。我々の考察は、初期マトゥラー仏のこの不可解な特性の正体を把握する目的で始動したのである。我々は、これらの初期マトゥラー仏と「ディーダルガンジーのヤクシー像」の連続性を、当初から強く意識していた。ガンダーラの沈黙する仏の姿とは明らかに異なって、初期のマトゥラー造形は、「デイーダルガンジーのヤクシー像」のはつらつとした生命感を、そのまま受け継いだかのような印象をもたらすのである。しかし、これは単に印象の表明にとどまるものではない。造形の細部への詳細な観察による具体的な対応関係の検証は、既に山本智教先生の先駆的研究において、我々の考察の視野に存在するのである。ギリシャ造形から「デイーダルガンジーのヤクシー像」へ、さらにストゥーパ造形を介して初期マトゥラーへと繋がる造形理念の伝播発展の流れを、我々の考察は前提としている。

我国の仏教美術史においては、その造形者は仏師という主体者として現われ、今日、我々の前におぽろげにもその姿を伝えている。これに比べて、インドでの初期大乗仏教美術の造形者達の姿を具体的に心に描く事は困難である。その為か、彼らは単に技術者としての側面を捉らえて位置づけられる事がこれまで多かった。これは、歴史資料が少ない為、やむをえない事とも言えよう。しかし我々の検証に基づく限り、特にいくつかの初期マトゥラ一仏の造形者に対しては、技術者的側面によってだけそのプロフィールを結ぶ事は、誤った認識と言わざるをえないのである。彼らの造形の表面的な簡素さゆえに、彼ら自身の造形理念の素朴さを僅かでも前提する事があれば、そこで我々は冒頭から大きな誤謬をもって出発する事になるのである。我々の検証によれば、初期マトゥラーの造形者の認識は、今日我々が知るいかなる造形理念に対しても劣る事はない、極めて高度な理論によつて裏付けられている事は明らかなのである。

ガンダーラ仏とマトゥラー仏の歴史的先行の特定は、かねてからの論考の要点であるかもしれない。しかし、我々の着眼の基盤は、それぞれの造形に表われた創造の理念を、まず合理的に把握する事にある。この認識に立脚した我々の初期マトゥラー仏への検証は、最も重要なマトゥラー仏から解析されえた造形理念それ自体が、崇高な意思と知性、そして高度な造形技術とを合わせ持った創造的主体者の、造仏に対時した解釈学そのものであった事を、我々自身に知らしめる緒果となったのである。この初源の行為を、途方もない創造的な理念の発動として、あらためて認識する事から、我々の理解は始まらなくてはならない旨をまず第一にことわっておきたい。


2 本考察の概要

最初に、考察全体の概要を提示しておくべきと考える。

(1)
最も重要な数体の初期マトゥラー仏の造形は、高度な幾何学構造において成立している。これは、単なる構成上の応用ではなく、造仏に関する理念上の合理性を担うものであり、これら全ての像には、共通する思想的一貫性が認められる。

(2)
これらの像に現われた幾何学の最も明確な要素はペンタグラムである。この作図法を用いた造形は、ストゥーパ造形のいくつかのメダリオンに既に存在している。少なくともストゥーパ期から初期マトゥラー派まで、こうした高度な作図法を伝承してきた造形集団の存在が前提されるべきである。彼らが正確な正五角形の作図を行っている事と、その源流がストゥーパ期までたどれる事から考えて、ここにインドギリシヤ人の造形者の、何らかの介在を考慮せずにはいられない。マトウラー造形の全てを、純粋な地域造形の伝承に帰す事は困難に思われる。

(3)
初期マトウラーにおいて、造仏を可能にしたこの造形理念は、幾何学に対応して導かれ、さらに独特の高度な進展をもって完結した。それは、「華厳経」に展開する世界認識と同じ文脈を有し、当然ながら、さらなる根底では空の思想に親近している。またそれは、「華厳経」で既に現われるという、世界総体を示す言葉「曼荼羅」に、対応するものと考えられ、「大日経」、「金剛頂経」、「後期密教」と、それ以後展開する大乗の思想および、造形のゆるぎない基盤として、位置したと考えられる。


3 カトゥラー出土仏坐像

[ペンタグラムの存在]

「カトゥラー出土仏坐像」(マトゥラー・A1)は、造形的な価値からも高く評価されてきた、初期マトゥラー造形を代表する彫像である。この像の全体構造の位相には、多くの優れた造形が必ず所持するところの、総体としての調和が見て取れる。当初から、その綿密な構造性の背後には、何らかの高度な造形理念が存在することが、疑いようのない事実に思われた。これまでこの像のこうした重大な表象に対して、科学的な解析が行われていなかった事は、考察の発端に際し、むしろ不可解とさえ思われたほどである。我々には、その構造に一貫性を与えている造形理念がいかなるものであるかは、合理的な解析において把握しえる性質のものと直感されたのである。そして、その直感が指し示すところは、この像をインド土着の造形伝統の流れに帰結させる通説に逆らって、「ギリシャ幾何学」の匂いだったのである。しかし、この直感の正しさは、比較的単純に証明されえた。「カトゥラー出土仏坐像」の総体的構造として、明確なペンタグラムがあまりにも端的に提示されえたからである。

[仏坐像の基本構造]
[図版1]を見れば、この三尊像の全体構造が、「頭光の最上部と獅子坐の座面とを直径とする円」に内接する正五角形のテンションに、意図的に重ね合わされている事は疑いの余地がない。デザイン的に表現された「菩提樹の枝の付根が位置する頭光の最上部」、「二人の脇侍の頭部の飾りの底部中心」、「仏陀の左手の指先」は、正五角形の各頂点に位置している。腰をひねるようにした二人の脇侍の胴体は、「正五角形左右下部の二辺」に重ね合わされているのである。この解析は、解析者の恣意が入り込む可能性のある「解釈」以前の、最小限の操作にすぎないのである。この時点で、逆らいようのない事実だけが、まず我々の眼の前に顕わにされてしまったのである。


[図版1]

このペンタグラムの存在を、偶然に帰結させる解釈は極めて困難であろう。我々は、この構造化が明確な造形的意図をもって成された経路を、造形自体に刻まれているこの優れた造形者の創造的な痕跡への考察によって、さらに具体的に提示しえるであろう。

正五角形の上部の頂点が位置する頭光最上部から、菩提樹の枝が、まるで放射されたかのように、左右に勢いよく伸びている。この形状は、自然の植物の在様から得られる性質のものではなく、作為的なデザインである。これは、正五角形上部頂点の位置を強調する事を目論んだ表現と考えられる。これは、この造形者が意図した、現実的な造形に対しての最も顕著なペンタグラム自体の投射である。この仏坐像に図像的に類似したいくつかの三尊像が存在するが、それらにはこのような菩提樹の表現は見られない。この事は、それらの像の造形者達が、単にこの像の図像的意匠のみを踏襲したにとどまり、この像の本質的な構造の存在を、把握していなかった事を意味している(かもしれない)。そして、カトゥラーの仏坐像が強調するこの位置は、単にペンタグラムの一頂点であるという即物的次元を越え、以下順次この考察が示す、この像のさらに複雑な構造の全貌において、その最も重要な地点として、把握されているものなのである。

[造形上でのペンタグラムの展開のプロセス]
他の三人の従者が全て、頭部の飾りを中心に付けているにもかかわらず、向かって右の脇侍だけは、側頭部にかざすように付けており、統一性を欠いている。この飾りの付け方は一見さりげないしぐさの如く見受けられ、さほど気にならないように巧妙に処理されているのであるが、実はそのように見る者が受け取れるように、自然にこの像を造りあげえた事こそが、この造形者の恐るべき技量の表われなのだと言わねばならない。この頭部の飾りに関わる造形的選択こそは、この造形者の途方もない知性と造形感覚なのである。

まず、この像が単純なシンメトリーの配置に基づくという、素朴な認識を排除する事が重要である。中央の仏陀は、左右の腕の状態が異なる、非対称的な姿勢をとっている。これは、図像的必然性において変更する事のできない条件である。さらにこの条件を順守しながら、左手の指先をペンタグラムの頂点に一致させる目論みが重なった為、仏陀の左肩は上部に大きく持ち上がったのである。この結果、左右の脇侍がそれぞれ位置する仏陀の背後の空聞にも、大きな非対称性がもたらされる事となった。

この非対称的な空間に、本来対称的であるべき二人の脇侍を配置する事は単純な選択ではなかったのである。二人の脇侍は、仏陀の動勢との関係を縄密に考慮しながら、これ以上変更しようのない絶妙の位置にバランスを取って配置されている事を理解しなくてはならない。実際は、向かって右の脇侍は、仏陀の肩が持ち上がったのに伴って、左の脇侍より上部に配置されているにもかかわらず、我々の眼はそれに対して不均衡を全く感じない。そればかりか、一見してはその事実に気づかないほど巧妙にこの配置は成立しているのである。

ところが、この像の根本構造であるペンタグラムの頂点に対応する、左右の脇侍の頭部の飾りだけは、こうした創造的配慮に対応させえない困難な要素として残ったのである。向かって右の脇侍の身体に同調させて、この飾りを左より上部に配置すると、ペンタグラム自体が破壊されてしまうからである。こののっぴきならない状況を解決する唯一の選択が頭部の飾りの底部中心をやはり正五角形の頂点上に位置させ、脇侍だけを上部に配置させ、飾りを横にかざしたかのように見せる事だったのである。こうした綿密な考慮の積み重ねによって、この像の完成された姿は、ペンタグラムのテンションのもとに、ゆるぎない調和を表出し、左右の脇侍が実際はかなり非対称に配置されているにもかかわらず、造形全体としては対称観の提示に成功し、それに基づく荘厳感を維持しえたのである。

この一連の事実は、この像を作り上げた造形者が、今日我々が知るいかなる優れた造形思考の在り方に比べても、極めて高度な水準にある人物であった事を、明確に伝えている。この頭部の飾りの位置の選択こそは、三尊形式において必須である左右対称性と、これもこの場合の必須の条件である仏陀の非対称的姿勢とを無理なく一体化し、さらにそれを、回避できない根本構造としての、ペンタグラムのゲージ上で両立させるという、創造理念の本質に関わる危機的困難を乗り越えて、高度な総体的構築を完成させた、この造形者の創造的な挑戦の痕跡として、強く認識しておくべき事項なのである。


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