花のかたち(1)
初期マトゥラー仏の構造と華厳思想
八木橋司 1995年


<Part-2>

4 マトウラーの造形理念

しかし、この像が伝えるさらに深い造形理念は、我々により重大な認識の変更を即すものであった。
我々は順次進展する解析に伴い、こうした造形上の対処にも増して、さらに根本的な認識として、この仏坐像の構造が我々に伝える歴史的事実の意義を、率直に受けとめなくてはならなくなったのである。それは、この像に代表されるいくつかの初期マトゥラー仏は、大乗経典の発展に付随して、教理上の要請として造立されたという解釈が成立しえないという事である。これらの仏像が内在する造形理念自体が、仏の概念への優れた「解釈学」として完結しており、これらの像がこの理念に基づき、自足的に生み出されている事が明らかとなったのである。そしてこの「解釈学」は、「幾何学の完結性(完結した仕組み)」の把握にのっとった高度な研究の帰結においてのみ、初めて成立しえる性質のものなのである。すなわち、この理念は、優れた仏教思想であると同時に、幾何学の研究の必然的な展開でもあった。この事実において、マトゥラーの造仏の理念それ自体を、完結した独白の仏教思想として理解する以外、我々の認識には選択の余地はないと言わざるをえないのである。「幾何学の完結性(完結した仕組み)」を人為的に制御する事は不可能である以上、教理上仏像が要請され、それを受けてマトゥラー仏が内在するこの造形理念が形成されたという解釈は成立しえない。また、そのような短期間で、こうした高度な研究が完成することも有りえないのである。この幾何学の探求は、おそらくマウリヤ造形にその発端を有し、ストゥーパ期を経て継承発展し、初期マトゥラーの優れた発想によって結実した、数世紀に渡る長い歴史的所産であると我々は理解している。この「幾何学に関わるストゥーパの造形集団」の伝統は、歴史的に大乗の空の解釈と文脈を共にしているであろう。カトゥラー出土の仏坐像は、こうした創造的な探求の流れの完成された姿なのである。

我々の考察は、この像において確立している理念が、むしろ積極的にこの時期の大乗思想の進展の局面、すなわち華厳思想の出現に大きく関与したであろうと推測する、十分な根拠を提示しえると考える。それはこの像の構造が、単なるペンタグラムの応用に尽きるものではなく、歴史上その時その場所でしか生まれえなかった、優れた知性の造形活動を通した特異な思考の展開によって成立している事実を提示する事で、順次明らかとなるはずである。


5 マトゥラーの造形理念の本質

我々の解析が得た、より本質的な事実の解説に向かう前に、ペンタグラムに関わる興味深い作図を理解する必要がある。以下に簡略な説明を述べることにしたい。

[本来の基本構造の作図]


図版2

[図版2]は、正三角形を描く為の作図法のひとつであり、ギリシャにおいて一般的なものであった。中心の円を、作図を開始する基準の円と考えてもらいたい。左右の二つの円の中心は、基準円の直径上に位置する左右のそれぞれの半径の中点にあり、基準円と同じ半径の円である。このゲージ上に図のような位相で直線を結ぶ事で正三角形を作図する事ができる。


図版3


[図版3]は、基準円に内接する正五角形の作図の過程を表現したものである。正五角形の一辺を導き出すには複雑な過程を経るが、その第一の操作は、「基準円の半径の中点を得る操作」である。この操作は、[図版2]での、正三角形の作図法における左右の円の中心を得る為の操作と同じである。


図版4

[図版4]は、基準円に内接す一辺を半径とする円を作図したものである。[図版4]の作図の上に、[図版2]の作図を重ね合わせたものが[図版5]である。


図版5

こうして得られた図形から、基準である中心線を残し、全ての直線要素を取り除いて、円だけの位相を見てみると、そこには大変に美しい図形が生み出されていることに気づくのである。[図版6]がそれである。


図版6

この図形は、ペンタグラムに基づく黄金比や、正三角形に基づくルート比などのテンションを内在する幾何学の合理性に準じたゲージであり、カトゥラーの仏坐像のペンタグラムを、さらに検討した結果見い出された構造である。カトゥラーの仏坐像は、この図形を基本構造として造形されている事が、解析の進展に伴ってさらに明らかとなったのである。

この図形は、初期マトゥラー仏の主要な三体、「カトゥラー出土仏坐像」(マトゥラーA1)、「マトゥラー出土仏立像」(マトゥラーA4)、「アヒッチャトラ出土弥勒菩薩立像」(デリー博)の構造の内に、共通して見い出される。図形に対するあつかいは、それぞれの意匠、あるいは像への認識によって異なっているものの、この図形を構造の基盤として造形されている事は、三体全てに共通している。さらにこれらの像以外に、大きく破壊された他の像の中にも、この図形の構造に基づく像が存在する可能性があるだろう。仏教以外の造形においてもその可能性が存在するであろう。


「花のかたち」
この図形の意義は、造形上の間題をはるかに越えて大きいと一言わなくてはならない。我々は、この図形に初めて到達した時、机上に出現したこの図形が「花のかたち」を思わせる事に感動し、大きな驚きを感じた。だがその驚きは、必ずしも、このように単純な円の組み合わせが、これほど豊かな表情をもって、我々の意識に映し出された事に対してのものだけではない。我々は、と共に直観していたのである。我々は、ここに現われた「花のかたち」が、大乗仏教史を貫いて咲き続けた「花」の起源なのではないかという認識を得たのである。当初我々自身、大胆すぎる想像とも考えたこの発想は、その後の検証を経た現在、もはや我々の考察のガイドラインとすらなっている。我々の解析は、思いがけずにある重要な歴史の局面に出くわしたのである。彼らマトゥラーの人々や、その思想を継承研究したそれに続く人々も、この図形に「花のかたち」を見、そのように呼んでいたものと我々は理解している。


6 「花のかたち」の造形上の意義

我々は、先に述べた三体の像に関しては、図版上の詳しい構造の解析を終了している。仏坐像以外の二体の解説は他の機会にゆずり、仏坐像の解説を中心として、「花のかたち」が我々に提示する歴史上の意義を同時に考察したい。

[造仏を成立させえる論理としての畿何学]
既に冒頭で、この仏坐像がペンタグラムのテンションに構造化されたものであることを示した。しかし、実はそれは解説のきっかけとしての不十分な提示にすぎない。我々はペンタグラムの配置からさらに解析を進め、その結果、この像の本来の基本構造が、「花のかたち」を示した円の構成である事を発見した。それを[図版1]と同じ基準円に対応させて、仏坐像の上に重ね合わせたものが[図版7]である。


図版7


「花のかたち」は重なりあう円の関係の内に、幾何学の合理に基づく多くの比例領域を形成している。こうした円の交差する領域を巧みに織り込みながら、この像の全体構造は形作られていることが解る。幾何学的な比例に準じた円の交差領域を、造形に取り込んだ例は、一般にキリスト教美術特有の伝承として指摘されている。しかし我々の検証の結果、この造形上の発想は、インドにおいて既に先行し、極めて高度に形式化された理念として存在した事が明らかとなった。また、後世のヒンズー教の造形におけるリンガからのシバ神の出現の造形に、単純化された意匠的な類似の表現が存在している事も指摘しておく必要があろう。

彼らマトゥラーの造形集団が受け継いできた作図への認識が、今日的な幾何学の理解に、極めて近いものであった事に注目する必要がある。彼らの造形における幾何学への対応は、結果的に形成される個々の幾何図形の固定的な性質に、現実の造形を還元する為に、それを用いることではなかった。この認識は、彼らの造形理念を理解する上で最も特徴的で重要な事項である。明らかに彼らは、今日我々が一言うところの「幾何学の完結性(完結した仕組み)」を認識していたのであり、その総体性を表象するひとつの現われとして、「花のかたち」の位相を把握していたのである。この仏坐像の造形者も、個々の図形を確定する以前の、それらを無隈に生み出しうるフィールドとして、この作図の可能性を認識しているのである。この像においては、幾何学全体の完結性の現実的な世界への現われである「花のかたち」に、造形される姿の現実的在様を合理的に重ね合わせる事が目論まれているのである。この認識がこの造形者にとっての仏の姿を造形する事の意味なのである。この認識において、この像に見い出される幾何作図は、単なる構成上の技法に帰結しえない、造仏を通した仏教思想の側面を如実に表明しているのである。


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