断片小説 JABROID 的考察


続続

[ 丘へ繋がる道を行く ]

第二の丘での断片的考察>

旅人手帖(コマプ墨田) 筆


(A)


昨日行った場所だが,その地点から言うと,最初向かった道に加えて,その道と直行しやがるのに近い角度で交わっていて,やがてワシが自宅へ帰るために通過しようと決めたもうひとつの道はいずれも降りだった。つまり,あの場所を中心と考えたほぼ直行しやがる二方向の先に在る地域それぞれとの高低関係は確認されたのでありやがるが,これらとは異なるあと二方向のそれについてワシが知らないままでいたって特に問題はないとはいうものの,やはり行って見る事にしやがったぜ。ロッケンロール!昨日と同じゆっくりした坂道を行く途中,またあの子供を抱いた母親とすれちがうのではないのかとなぜか予感しやがったぜ。ロッケンロール!ところが,さすがにそんなことはある訳はなかったのでありやがる。それから,少し行ったところで二人の子供の手を引いた見知らぬ女とすれちがったが,カノ女こそは母親なのではないのかとワシは今も思っていやがる。その女とすれちがったと思うや否や,ワシが目的地に完全に到着していた出来事も相当重要だが,だとしても,この道をそのまま抜けて行くことで,確かめなくてはならないワシの今日の使命の半分が達成されることは百も承知なのだから,ワシはペダルを引き続きこいだのである。しかし,ほんの僅かの間ワシの足腰が行うその作業は継続されたのちついに中止された。それには,道が緩やかに降りとなったという原因が根底にあったのでありやがる。ゆっくり降りきったところからは平地でありやがる。擦り込まれた人が立体主義者に向かってなんでクチナシの花なの。


(B)

このあと,もしも,残っていやがるもうひとつの方向を確認しようと再び中心地点へ戻って,残る最後の道をチャリで行った時に,それが万が一にも登りであったとしやがるならば,山岳地帯でもないこの地域全体が非常に奇妙な地形を局所的に形成していやがることになるのではなかろうか。最初の道を来てからこの場所に降りきるまでの周辺の風景の洞察においては,そんな印象など全然ワシは受けた記憶はないことを告白できる。そのため,この時ワシは中心地点へ再度戻り,残るただひとつの道へ向かったならば,その道を降ることになるのではないだろうかと,やがて自分がおかれるかもしれない極めて近い将来の状況を予測していたのでありやがる。そしてその後直にワシは再び戻って最後の道を行くことになった。その道もまた降り坂だったのはワシの予想と同じであった。ほんとにソリャ,モウ大変なんよ。


(C)

降りきると池があって子供らが遊んでいた。この池は弁天池という名前でありやがることを初めてここに来たワシが知っていやがる理由の候補は誰でも幾つかあげられるだろう。池の真ん中に池の名前に見合ってホコラらしき建造物が在り,それほど大きくはないのでありやがる。チャリを乗ったままターンさせて,第二の丘の上へまた戻ろうと決心した時,そういえば,これまで漠然とあの地形を丘と言ってきたワシだが,たった今それは丘と言う概念に露も反しやがるところのない代物なのだということを,このワシは証明して見せたとあらためて知って自ら深く感動しやがったぜ。ロッケンロール!弁天が本当にあのホコラにおるのであればこの今のワシをどう思うのかな,なんてと思うまでもなく,すでに丘といっても誰にもはばかるところのない丘へまた戻った。その理由をこのあとワシは直に書くつもりだ。真夜中のハイウェイブッ飛ばしたからってナニ。


(D)

行うべき実践の全ては弁天池に到達した段階で完了したのではないか。何故そこからキミは帰えろうとしなかったのかと誰かに問いただされたとしても,ワシは再び丘の上へ戻りたい理由があったので,その意見にけっして屈しやがるつもりはないんだよね。丘の上に戻ると昨日は茂みのようであった雑草の平原がきれいさっぱりに刈られていて,刈った草の小さな山がいくつもポコポコと並んでいた。さっき二回だけここに来た時に,数名の労働者達がこの作業を行っていたので草は全て刈られてしまうだろうなとは思ったが,だからどうだということもないことではないだろーか。それで,ワシは昨日この丘で最初に貝殻がありやがるのをみつけた地帯へ行くのだが,そこはネギ畑であった。ネギの列の間の土の列にずーっと撒き散っていやがる真っ白な貝殻の破片が延々ネギと一緒に広がる光景をデジタルカメラに撮るつもりでデジカメを持参した人物がワシなのだ。この行為は本来自分の必要のためではないのだが,かつての恋人だった友人と係長をしていやがる友人に,ここの写真を無理にでも見せてやろうと思ったことが主な理由としてあげられるに過ぎない。幾枚かの全体の光景を撮って,次にネギの列の間に貝殻がいっぱいありやがるという状況を撮ったので,個別の貝殻がどうなってるかも少しは撮ることにしやがったぜ。ロッケンロール!しやがると,完全な形をとどめていやがる貝殻を見つけようと思うと苦労がいりやがることが分かった。貝殻は相当細かく砕けていやがるものがほとんどだな。故意に砕いたのだとワシが想像しやがるのは,やはりところどころに砕けてないものも見つかることによる。自然に砕けるのであれば完全なものは見つからないのでなければなるまい。そう思ったとき実はワシは或る東北の古代文化に関わる調査の話へイメージが向かっていやがった。とはいってもコレ,農作業の長期的継続の結果なのか,最初に貝殻をこの場所に撒いた時に同時に行われたものなのか,簡単に予測しやがることは出来ないよな。このように思った次第でありやがる。でも,すみれセプテンバーラブとかをなぜ歌っていたの?


(E)

最後にこの丘のもっとも高いところはどこなんだろうと思って見渡すと可能性の強いところがあったので行ってみると,案外小さく限定してここだと言い切れる場所がありそこにワシは立ってみた。それからその位置から100メーター以上は離れてはいても弁天池までは行かないあたりの低い場所まで歩いて行って,同じ地点を見てみると小高い丘が望めた。その場所でもう帰ろうとワシは決心しやがったぜ。ロッケンロール!チャリは丘の上にありやがる以上そこまで戻らざるを得ない自分だが,僅かの距離を苦しいと思ってなどはいられない。チャリに乗った時反対の道を降りて行くことを当然ワシは選んだがそれは間違ってはいなかった。自信はありやがる。だが昨日の帰り道と全く同じに帰る気はなかったワシとしては,昨日安易にすぐ曲がってしまったところを曲がらずに直行してみると神社があった。丘を挟んで神社と弁天池は対称の位置に在ることが理解できた。この二つの場所への坂道はワシの家から丘へ向かい到着して通過しやがる一本の道より傾斜が各々急だから,丘はこの道の方向に沿って長くなっていやがると主張できる訳だが,それは見た目にもあからさまなのでありやがる。といっても,自分がBBCの女スパイだということは最近まで誰にも話したくなかったし〜。


(F)

いずれワシは,大きな丘陵地にあった地形のその最も高いとこを取り巻いて貝殻が散乱しやがる場所がありやがると,誰かに話して聞かせるに違いない。その時,丘が或る方向に長かったり,対称的な場所に弁天池と神社があったことなども言うのかもしれないが,ネギ畑と貝殻の破片が広がる奇妙な風景を話さないことは考えがたいと思うので,やはり事柄のインパクトとしてはこちらがワシには大きいと言える訳なのだ。ワシは少しも砕けていない幾つかの貝殻を集めて道端に一列に並べたり,なるべく正確な四辺形になるように並べたり,或いは一個づつで写真を撮ってもいた。その時完全な巻貝を探したが,昨日は簡単に見つけられたのに,今日は見つけられなかったのは残念とはいえ,そんな場合もありやがるのが生活の一コマというものだな。貝殻は通常ワシらが言ってる綺麗というのとまた違って,綺麗さの向うにさらに余計な人間的な感情を思い起こさせない神聖な感じを細かい残骸となった破片にいたっても,どれもが持っていやがる気がした。そのため貝殻をここから持ち帰ろうとは誰も思わないに違いない。とはいえ,これはあくまでもワシの主観だ。昨日と違う帰り道は在るにはあっても遠回りとなることはキッパリと承知していた。ワシらのような連中にそれが苦になることはないんだよな (雨でも降ってない限りはね)。丘を完全に降りきってさらにずーッと行くと大木の切り株が道の脇にあった。コケと小さなきのこが生えた切断面の割れ目にバラの花束が納められていた。あまりに不可解な光景に思えたので止まってそれを見た。チョッと見てから直にワシは行った。

連中,Dadarhythm だから,けっこうブッとんでたらしいです。


(了)

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