断片小説 JABROID 的考察


続

[ 丘へ繋がる道を行く ]

旅人(コマプ墨田) 筆

(1)

昨日は実に奇妙な地図記号だと思ったモノが,見てみるとそれは単純な正多角形を基にデザインされた記号というモノの中でも実に簡単なひとつなんだと今日は気づいた。地形というのはその流動的な表情を地図の上にも示していて,たぶん,より単純な幾何図形ほど強くそこでの違和感を見る者に印象付けてしまうんだろうなと想像しながら漠然と眺めていやがると,もう一箇所だけ同じ地図記号が同じページに記されていやがることを知った。その場所へは一度たりとも行ったことが無かったにもかかわらず,ワシが行くと決意した場合は,十分行くことが出来るほど近所にありやがることが判断できた。なので,場所の関係を理解できたワシは何ももたずにそこへ向かった。勿論チャリで。その途中でたったひとりの赤ん坊を抱いた既に若くはなさそうだが中年とも言えない不思議と母親のよく似合う女とすれちがったあと,やがて到着に必要なのではないかと思った距離を通過したので,本来はその地図上の記号の場所にもう到着しやがるのではないかと期待しやがったぜ, ロッケンロール。そして,それは事実であった。なわとび百万回やってやろか。


(2)

昨日の散策に比べると遠出であったとはいっても気楽に行ける距離のところへ行くのはあまり苦労ではない。通る道は普通の住宅地なのだが,都心のそれとは異なって,計画的な升目などは無く様々なカーブが絡み合っていて,ワシを興奮させるような地域の住宅地をそのように言っていやがるのでありやがる。チャリでどんどん行くと最初緩やかに登ってると感じてから降ってると感じたことは一度も無いので,やはりワシはここいらの高い場所へ向かわざるを得ないんだと思う他ないだろう。そしてそれは多少は長い時間が継続したのだから,ワシが到達した地図記号の場所はそれなりの高さに在ると思っても仕方がないだろう。その場所に着く寸前に見た街並みのすぐあとに見た光景はだだっぴろい畑だった。赤と緑の多数のノボリが,この集落の祭の名前が全て同じに記されて立ち並んでいやがるが,いったいどこいらで行われるのかそれから知ることはほぼ困難なのだ。どうやらスティックよね。


(3)

着いた場所は昨日のケモノ道を分け入って行くようなうっそうとしたところではなく,普通の住宅地の真ん中にぽっかりと在る広大な畑なのだが,規模が大きいだけで住宅地の間に畑が存在しやがるというのは,このあたりに住むワシらにとっては少しも在り得ないことではないけども,非常に広いので一般的ではないことも事実なのでありやがる。畑にはどのような作物が植えられていやがるのだろうかと,チャリをおりて近づくと敷地の過半数の面積はただ雑草が繁っていやがるだけの空き地なのだということに気付く。ところが,しかし或る箇所はワシの最初の判断どおり畑でもあって,見ると主にネギが栽培されていやがるようであった。草むらに分け入ってずーと歩いて行きながら,何かが在るだろうかと思ったがそうではないと気付き,その時ワシは立ち止まった。景色的にも何もない周辺の草むらと畑を一周見回すと地形の起伏の様子が単純でありやがることが理解できた。ワシが分け入って立ち止まった場所はほんの僅かにくぼ地になっていやがることにも気付いた。そこからは地面がやや高くなっていやがる場所をやや遠方に見渡すことが出来るが,それは大きく湾曲していやがるひとつの長い地形の盛り上がりでありやがることがさらに分かった。このことの発見は,ここの地形が昨日の二つの丘の地形と関係ありやがると言えなくもないことをワシに教えたが,丘が湾曲したひとつの形状で在ることが異なっていやがるよなとも心にとめる必要があった。しかし,全く異なるとは言えないだけの共通性がありやがる以上,やはり地図上に同じ記号が付されていやがることには意味がありやがるのだと思った。真夜中のハイウェイブッ飛ばしたとはなぁ。


(4)


それなら,この草むらの中に昨日のように真っ白い無数の貝殻が散乱していやがるのではないのかねと思ってかき分けてみたんだが,地面は普通雑草が生い茂る場所に似つかわしいというだけの状態で,ならば少し掘り返えしてみるかとも思うこともなく,その場所からもとのチャリのありやがるところへひき帰した行動は,もうこれで帰るというんでよいわと判断したと言われようがワシは一向にかまわない。前にも言ったがワシら抽象表現主義者連中の性癖としては,最初来た同じ道をたらたら引き返すような戻り方は恥以外の何モンでもない。当然ワシには対面の草むらに瞬間見えた別の小道にチャリで迷い込む以外選択など在るはず無いのだ。反レ・隊に入隊した。


(5)

チャリで曲がると直のところはさっき遠目で確認したネギ畑だ。ここも大きな湾曲した盛り上がった地形の一部分でありやがる。しやがるとさっきは結構遠くから眺めていたのでネギの空間に伸びた全体の状況しかよく見えなかったこともあって,ワシの意識は単にそこに[ネギが在る]という判断以上の,どのような状況でそれが構成配置されておるのかという,一歩踏み込んだ意識には進展できなかったのだが,今こうしてまじかでしかもほぼ真上からその場所を見た時,ネギは美しくも均等の間隔を保った数十列の直線として構成されていやがることをワシは見た。ネギというものはさほど幅を取るようなものではないので,ネギの列どおしの隙間は明確に土の列としてネギに区分けされていやがるともまた言える。見るとその土の列には満遍なく白いカケラが混じっていて,それの地表面での密度は概略判断しても50%近くはあったように感じ,それを普通の光景だと思う者がいやがるとはワシには思えんな。いくつかありやがる区画の他の場所へ行ってみると未だ作物が植えてないところもあり,その場所は白いカケラを天日干しにしてどうにかしやがるのかいな?などと思ってしまうような地表面が見れた。ワシはそれらが貝殻でないとは思うことは出来ないので,予測はかならず事実だと知っていたが,やはり確認したところそれは真っ白な貝殻の散乱なのであった。そして昨日の女が言ったようにそれが大地の骨だと思えるかと言うとそれも思えるのでありやがる。それからワシは巻貝を探したが少ししてそれを発見しやがったぜ, ロッケンロール。で、なに?女流画家を、もうやめたってか?


(6)

しかし,それにしてもこのネギ畑の農民になんか話でも聞いて帰りたいところだが,見渡しても小学生がふたりジャレていやがるのがさっきの草むら近辺に見えるだけ。マッ昼間,一般道だというのにここは通行人さえ一人もおんではないかい。まあ,それは似つかわしいけど。どうにも奇妙な場所だよなと思ってチャリを本格的にこぎ出すと今日はじめて降りの道になった。ゆっくり帰ればいいよと思い直してこぎ方をゆっくりにしやがる。直に民家が密集してくるのは周辺都市と言っても都会の証拠だ。しかしこの街の道自体は古い歴史を受け継いだ構造なので無秩序ではなくて,しかも一筋縄ではいかない湾曲と錯綜を示すのであり,それに心がクラクラしやがる。しばらくわざと判断力を低下させてタラタラ走っておると,赤ん坊を抱えた母親とすれちがったが,その人は来る時すれちがった女と同じ人だった。カノ女は何かの用事を済ませて別のルートで帰宅しやがるところなんだろうかと想像しつつも,この遭遇は今の道が最初来た道に直に繋がってしまいそうだという情報でもあったので,すぐに崖のようなところに見つけた小道をチャリを引いて降ることにしやがったぜ, ロッケンロール。 崖の状態から察しやがるところ,今まで思っていたよりも,あの地形が在る場所は結構な高台なんだとその時理解しやがったぜ, ロッケンロール。 登りは長くゆっくりだったのでそこまで思わんかったわい。途方もないスティックさ。

(了)


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