擬装都市部残像盗撮断片

調査第一係 班長 コマプ墨田



[怠惰な選択]
壊れているかもしれないのに、そのままでもやれるのを幸いと、しばらくかまわないでいた地下演舞場で使うための変容装置がある。現実にその装置がどのような状態なのかを判断できる専門家を雇っている店があるので、数千個に及ぶ地図上の直線と曲線による分割面が見い出せる首都有数の廃屋都市からは、列車に乗ればほんの二個目に設けられている駅を下車して向かう手ハズが、午後3時過ぎてから出発したのが原因で、これでは行かないないうちから夕方になってしまう状況にあった。となれば、ワシはそこへ行かないことにして、壊れているかもしれない変容装置を意味なくしょってでも、夜になる前に別に行ってみたい昼と夜の中間の、廃屋都市の中心部と周辺部の中間地帯を通過するという限定された活動の魅力へと心が動いたのはしかたないさ。当たり前だが、それをやめさせることが出来るのも自分以外にないと一応の腹は括ってのことだが、結局自分でそう決めればよくもあることだった。たった今廃屋都市の中心部駅から乗車してここへ来た夏の終わりの審判12号なのだが、この廃屋都市周辺部から歩いてもとの地帯を目指すというなら、この当事者が密かに気にしてた唯一もうひとつのあの店に立ち寄るようにも出来なくもなかろー。それが今のワシだが、それを実行するために迷い込むべき路地を見つけることなど、そんなのは実際かなりたやすい。








[労働者]
その結果その店へワシは着いた。そこはウッスッぺらな間口の幅しかなく、説明する場合は奥行きに長いと言うのは妥当だろうが、店全体がさほど広くないんで、ごく一般的な比率の直方体の室内空間としてまとまっている。そこで来る客のために男がひとり働いている。開けッパナシの入り口に僅かに一枚の赤い布が下がっていて、一応はそれが屋内の内部と外部を区分けする役割を果している。しかし、風でそれはひらひら揺れているので、内部と外部の境界に厳密性など所詮ないのだが。





[テーブル]
こうした場所の特徴として、内部はいたって単純な場合が多い。奥行きより僅かに短かく細長いテーブルがギリギリ室内に設置できる位置に、それは壁と平行の関係で組み込まれてあって、敷地面を基本的な二つの領域に分断する機能を果たしてる。誰かが店にやって来ると、その長いテーブルの向うに来訪者が立ったことにそこで働く男は気付くようにしかこの環境は出来てない。内部は整理された僅かなもの以外なく、完全な合理性が保たれている。男は何も言わなかったが、ワシはこの長いテーブルの自分がいる側のいずれかの位置に座るべきだと直感し、五個ある椅子の奥から二個目に座ると、視線がテーブルの向うの空間を望める角度を得たことに気付く。すると、そこはひとつの屋内に作られたもうひとつの個別の機能をになう区画で、そこは外部にほとんど開放されているといっても、男の仕事の為にプロフェッショナルな整備が尽くされた、訪問者が踏み込むことが許されない空間だとただちに分かった。






[窓]
男が立つ側にもその男だけが通る為のもうひとつの入り口が、道路側から見て今ワシがくぐった入口と同じ面に並んで設けられている。また、ワシが座った場所から真っ直ぐ見たその先にはこの屋内で唯一の窓があって、ここも開け放たれて外部と繋がっている。その窓のすぐ向うには外部の他の建造物の窓が全く同じ大きさでこちらに面して重なっており、そちらも開放されていた。まるで二つの建物の屋内はこの位置で連結されるように計画して建造されたかのごとくにワシは感じた。視線を延ばすと最初薄暗いだけと感じた窓の向うでは老人が夕刊を正座して読んでいるのが段々と見えてきた。こうした光景を見た者であれば、たとえこのワシでなくたって、最初の憶測など捨て去って、この窓の重なり程度は偶然だろーとの気持ちが心をよぎるんじゃないの。で、その問題の窓の左側に残された僅かの壁には4段の棚があって、様々な形状の開口部のある回転体が整然と並んでいて、同じ形状のモノは重ねあわされてもいた。





[うちわ]
ワシの横にある壁に薄汚れたポスター程度の紙が貼られていて、男が作ることが出来る幾つかのものの名前が書き連ねてあり、それには短い名前だけの表記と短い解説部分を含むやや長い表記とが混合した状態で手書きで記されている。上段右から五つ目の名目を読み上げたところ、男はヘイとか言ったようにも思えたあと作業を始めたので、文章の形を結ぶ以前のひとつの固有名を声にしただけではあったが、これがワシとその男との間で取り交わされる労働とその報酬に関わるこの場所でのひとつの契約の成立を意味したなと理解し納得した。夏も終わっていないのだから外気は熱い。さらに男がそれを作るために強い熱を用いるので屋内はさらに高温となる。それを耐えるための用具としてテーブルの上には3つのうちわが置かれていた。今日までうちわなど気休め程度の道具だと馬鹿にしてきたワシだったが、これは使わせて頂く方が自分のためだと思ってそれであおぎながら、椅子が五脚あるのにうちわが三つなのはどのような法則によるのか、しばらくそれをワシは考えていた。気付くと先ほどの窓の向うの老人が道を通ってるのがチラッと見えたので、次に窓の方に目をやるとそこには中学生がいた。




(平成15年度後期報告)


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