JABRO演舞場-QQQの実態

第三章
ワシらだって文句ばかりではないのだな



著者 コマプ墨田


第一話 金に換算されない利益

そもそも、当局のやりたいことってなんなのかだよ。ネットでは、ライブハウスやJAZZ喫茶を壊滅させたいなどという見解まで出とるね。しかし、普通に考えてそこまで理不尽な目的があるとも思えんけどね。結局、当局の大元が作成したマニュアルに末端の小隊が、方針通り真面目に頑張っちゃうので(ま、部隊としちゃぁそれ以外ありえんのだが)、その鉄の掟たるマニュアルが導くところ、ワシら国民の実生活と世界情勢が激渦巻いちょるリアリズムの只中向けての、ペーパー理念一辺倒の切り込み作戦になっちゃってるのではと・・。なにせ、客席30だろうが20だろうが、最低枠100からの換算でお支払いだとか言ってるんだからね。なぜ担当小隊はそれに疑問をもたず黙々とやっとるのか。それはマニュアルに書いてあるから・・でしょ。で、それで計算されて過去10年分○○○万円だと言われて、はい了解ですという人間がいるか?そもそも、そんな徴収やってる国の機関が他にあるか?無い。もしあったら○○になるな。マスコミも大騒ぎになる。しかし、このあたりの情報を表に出さなければ○○にはならないな。つまり、払わん人間が悪いと思わせとけばいいのだ。極最近まで雰囲気路線でなんとなくそうしとくことは可能だと思われて来たのではなかろうか。しかしそれは違うな。ワシら国民としては、要するに業界内でやってくれてる分には人事でスカシかましてよかったというに過ぎぬ。ところが、今回の一件で誰もがそういう問題ではもうないのだと了解を完了したのである。

ようするに、当局側の当初の分析はハッキリ言って全然なっちょらんのではあるまいか。机上の空論マニュアルを部隊に配ってきっちりたのむぞと言ってもだね、やれることとやれないことが在るわけじゃない。やれそうも無い事やれと言われた部隊としては、こりゃ生きるか死ぬかとなると、敵は払わんあいつらだと思うしかないな。で、結局特攻作戦状態に突入で泥沼化、というあたりでは。


パート2
前ふりがダラダラして来たので、本論へ向います。

まず、著作権の内の演奏使用料徴収というのはイバラの道みたいだなぁ。いちいち足を運んで、ふざけんなと言われて、何とかとってもビビたるもの。一方で携帯着メロなんて〜。国の会議の記録なんぞ読んだら、演奏権徴収の不足分を録音権の分で穴埋めしてどうのなどと書いてあったわ。しかし、採算取れないからこの分野はやりませんとは言えんだろうしな。そんでもって、なんとかせんとならんので頑張ってる。しかし、ゲージツ的素養が無い人ばっかがやってるので前しか見えんのだな。

再三ワシも書いてきたように、ライブハウスやJAZZ喫茶というものは、国の経済政策からはただの厄介者に見えるだけかも知れんけど、文化業績としては結構大きな意味があるのだよ。しかも、それは、さらに今後世界表現交流の上で拡大するだろう。ところが、そこで培われるリアルタイムの表現の可能性というもんには、今のこの島の方針などでは、その最も重要な部分に何のサポートも出来ないということは分りきってるね。ま、それについての期待は既に誰も持ってないのでいいのだが、結局は、この可能性を細々とでも継続させるための、表現者と表現を尊ぶ協力者らの具体的な個人努力の集積、これによってのみ今日その文化領域は存在しえたことぐらいはちゃんと理解するべきだね。80年代以降の文化受難において、それは全くの個人の尽力の集積だけで成されて来たんであって、その日々は表現の現場を死守するためのギリギリの体制を構築する歴史でもあったのだよな。で、その努力の結果は世界交流の上でもう出ている。今世界は日本のサウンドを聞きたがってるのだよ。こうした世界交流のなかで、サウンド表現主義たるやあらゆる表現分野に関係し、シーンを選ぶことなく絡み合い、新たなアート領域自体を生成させてる。そんな活動が毎夜ライブハウスでも試みられてる。サウンドと映像についてぐらいは、ま、文化庁も分るとこだろうけど、そんな次元ではないな。これからはあらゆるアート領域が錯綜し結合し、世界交流を増大させていく。世界サイドから見て、それを可能にする重要な現場、これを結ぶ情報ネットワークの担い手にあたるのが、ライブハウスと個人の小規模オルガニゼーションであることをまず認識してもらいたいな。つまり、世界のアバンな眼と耳がまずとらえてる場所はそこなのだよ。

こうしたライブハウスとJAZZ喫茶を含む個人経営の飲食店が、まさに個人努力でギリギリ死守した文化領域を、経済至上主義の見地から当局は、無ければ無くても一向に構わないと言っているのであるな。しかし、それは誤りなのである。この場合の誤りの意味は、ここまでくどくど書いてきたワシらサイドの理屈に尽きない。ようは、ワシら表現主義サイドと当局サイドがクソ面白くない対立を延々続ける必要が本来あるのかという話をここからするんでヨロシク。



さっき最初のとこで書いたように、ライブハウスやJAZZ喫茶など相手に徴収して回ったところで、集まる金額など着メロのいったいどのくらいの比になろうかね。しかも、それを徴収するための経費は、どんだけかかるのさ?人件費の方がはるかに上回ってるんじゃないの? さらに、訴訟までして数百万徴収してだよ、それはそこでの結果が出たとしてだ、で、それが法律上OKだとなってもだね、そんな行為と理念が国民にあからさまになってしまうことによる音楽業界全体でのダメージがどのくらいのことかを考えるなら、そんなやり方は一般企業ならまずやらないだろ。音楽は気体の様に流れて自由に呼吸できるものだと思ってるのだよ、全ての音楽を受け取る人々はね。その総体を相手に訴訟をやってると当然考えなくてはならんのだよ。言っとくけどRIAAは訴訟社会が当たり前のアメリカでの話で、ここは日本だ。そのRIAAだって泥沼化の様相ありだ。そのあたりを全部ひっくるめて考えると、今の当局の方針で真面目に徴収活動を行って得られる結果が業界全体の利益ではない事をまず考えるべきだな。

そこで、ワシが当局ならまずライブハウスとJAZZ喫茶などの表現活動を援助してきた領域を、少なくてもカラオケ徴収のテリトリーからは外す。その上で、新たに先端文化事業部などとそれらしい名前でもつけて、これらの店がどのような著作使用を行っているかを調査し、それに応じていくつかの徴収に関するパターンをつくり極力店側の営業状況に対応した徴収を行う。

当局はライブハウスというものが一形態しかないという前提にたっている。これがまずは大きな間違いだろ。ライブハウスに関しては、少なくても3つの営業形態を想定して事にあたるべきだよね。

A) 当局管理曲を主体に演奏を行う店
B) 一部当局管理曲の演奏を行う店
C) 全く当局管理曲の演奏を行わない店

で、結局のところC)の店に払えと言ったって、払いたい訳ないでしょ。払う理由も無いわけだし。それを無理にでも払わせるための努力は始めから不毛なんだよ。C)でやってると店は言っても、バンドが勝手にやっちまうこともあるわけだが、そうしたあたりを店側の責任で追求して契約をせまるなどを続けた結果、当局への根深い不信感を高めてきたのだな。当局はそんな方針をとるべきではなかったのだよ。ウチはC)のライブハウスですと申告してきたら、そこに対しては当局管理局をやらないようにバンド連中に言っておいてくれ、もしどうしてもやるんなら、一曲○○○円払ってくれな、で、キッチリ演奏記録つけといて欲しいんだよな、それが無いと上には通らんからね、ということを了解してもらってC)であることを認可する。B)の場合も基本同じだ。ただ、やる比率によって、アンタの場合はこりゃ包括契約にしちまった方が賢いぜとか言えばよかろう。多くのライブハウスはもともとC)かせいぜいB)なんだよな。で、そこでたいして金にはならんところでクリエイトしてる訳だよ。A)に関してはワシの見解でも、当局が払うべきだと言うのは理不尽だとは思わんけどね。しかし、個別の経営状況を無視してまで取ってどうするのだ。ようするに、そうしたこの島特有のいわゆるお役所仕事が、音楽業界全体の不信感を増大させてしまった貢献度はまことにデカイ。その結果が業界の本業での売り上げの損失に深く関係してる事を理解すべきだな。

ま、ワシが言ってる方針だと、間違いなく徴収する金は当局の机上の空論での換算からはるかに少なくなるだろうね。しかし、結局徴収コストと強制徴収によって残るマイナスイメージがグンと下がればいい訳でしょ。それによって、音楽業界全体のイメージ回復が成されればいいわけじゃないんスカ?なにせ今は最悪なんだよな。どう考えてもこのままじゃまだまだ悪くなる一方だろうし。こうしたあたりを全部一体に考えて利益とは何かを哲学してもらいたいわな。

しかも、おそらく机上の空論換算がたとえ多少うまくいったところで、それはその後の管理体制維持にかかるコストと徴収額のバランスで見てどうなのかね?だって、店というのはドンドン入れ替わっていくわけだから、当局はずっとこれから今見たいことをやり続けなきゃなんないよ。音楽愛好家から永久に憎まれ続けながらね。それよりなら、ライブハウスの側が、これなら当局に少しは協力してもよかろうと思えるシステムを構築した方がこの先よかないスカね?ミュージシャンもリスナーも表現の現場も、すでに情報と交通において世界シーンと通通なんだよね。この状況に見合った全く新たな展望をしない限り今のギャップは拡大の一途だ。


第二話 やるとなったらメンドーなのは確かなんだよ

で、ワシの長いことの疑問なんだが、なぜ当局管理楽曲の無断使用の責任が全面的にライブハウス側にあるのかというこった。これもライブハウスの形態で状況が違うかも知れんよね。たとえば、A)の形態の店で、店側がバンドに今日はビル エヴァンス ナイトでたのむぞ、などと、いわゆるハコバンを雇ってるようなら、これは確かに店側に責任があると当局が主張してもまあ分る話だ。だが、C)やB)の店などは、出る連中の表現の自由に口挟むことはないでしょ。出る連中のサウンドを尊重しながら、営利をもギリギリ捻出させれるかがこうした店の技量なんだね。ただ、やはりバンドの中には、カバーってことで人の曲を独自解釈でやってみたい場合もあるわけだよね。ま、これは諸外国ではライブハウスのような表現の現場で行われる分には、ここまで厳しい取締りなどはやってない話を聞くのだが?そこまでやっちゃぁミュージックシーンはどんどん萎んじゃうぞってことぐらい音楽に関わる立場なら考えるだろうからね。そこまでやっちゃって、曲を受け継いで発展させてく音楽の本質まで拘束するのでは当然問題がある。このあたりに、表現者の権利とそれを越えた文化的意義の重大懸案があって、世界はこれをどうするかと実験模索してるんだね。この実験自体が21世紀のクリエィト-スピリッツでありアートなんだよ。ま、この島に生まれた不運としては、この場合のありえない選択肢がありえる唯一の現場だとしっかり理解して、状況対応せざるをえないのだなぁ。それが現実である以上、そこに論点をまず持ってくしかないんだな。

ということで、話を本線に戻しますわ。ようするにハコバン雇うような店でないかぎりは、通常バンド連中へ何を演奏するか指示してることはまずないよ。バンドが自分の全力表現をやってるにすぎない。ならば、たとえあるバンドが表現の必然から当局管理楽曲のカバーとかフレーズコピーとかにあたる演奏をやった場合、これを著作権侵害だとして損害賠償を求めるなら、その相手は曲を使ったバンド側じゃないのかい?ところが、当局は出たバンドがたとえ1曲でも当局管理楽曲をやってたら、過去10年まとめて店側が払らうべしと言ってる。この理論はどういう法律によって正しいとなっているか全国民は疑問に思っているんだが、当局サイドが主張する以上は、それなりの根拠はあるのだろうと漠然と思ってはいた。ところが、国の機関での著作権会合の報告が出たんで読んでみたら、そんな話にはなってないんだわ。(以下引用)

演奏会場提供者、音源提供事業者、カラオケ機器のリース業者、CDのプレス事業者といった例示に挙げられている者全てに対する一般的な間接侵害規定の導入は、我が国の法制にはないものであり困難であるが、教唆者・幇助者に対する差止請求権を明文の規定で認めるべきであるとの意見や、特許法のように、一定の客観的・主観的要件のもと類型的に限定した形の間接侵害規定を導入すべきであるとの意見もあったが、一方で、現行制度においても運用によって適切な対応が可能であること、差止請求の場合のみに間接侵害権も含むことを明文化することにより、他の条文では間接侵害権者は対象にならないという反対解釈を導く可能性もあることから、導入するにあたっては、配慮を要するとの指摘もあった。(文化庁「文化審議会著作権分科会報告書(案)」第五章 一部引用)

とな。ま、これからのやり取り次第ではその間接侵害規定とやらがOKになっちまう可能性もあるとは言っても、今んとこは、間接侵害で店に請求というのは、それはやれない話なんじゃないのかね?そうしか読めんのだけどなぁ。だとすると、なんで出たバンドがやったただの一曲か二曲が証拠で過去10年分MAXで○○○万円請求できるのかまったくワシには分らんのですよ。さすがにそんな○○な理論までは政府も認めていないはずだと(↑)を読んだんだが、それってワシだけ?しかし、このやり方で、本来たいして当局管理楽曲なんぞやってはいないライブハウスが、一方的に責められたいくつかの話は一般情報になって久しいのだけど。ワシが当局ならこんな愚かな方法は、たとえ何らかの解釈テクニックで合法になるんだ?としても絶対に取らない。

まず、店側がまったく管理楽曲などやってないのだと言っても、バンドがやってしまう場合はあるのは仕方がない。当局はこれを鬼の首でも取ったがごとくライブハウスを犯罪者扱いするね。んで、文句言ったら訴えればいいし、裁判所はライブハウスに味方はせんので必ず勝つ。それで、当局はそれでことが終わったと思ってる。しかし、それは違う。その出来事の全体をその店に関わるバンドとそのファンとがまず見届けるのである。それは、どんどん巷の話で広がるのである。ネットでも広がるのである。情報は蓄積されていく。そうした事例をドンドン残して行くと、音楽自体に関わることは、重苦しく、時には危険な行為とさえなるのだという肉体感覚を、国全体にやがて蔓延させてしまうのだ。ワシならまずこれこそやってはならない筆頭項目と考えるな。実はたいしてやってもない店へ無理やり過去10年分払えと強要したなどという事例が重なれば、国民の間にオイオイ著作権てのはあること自体やばいんじゃないのか?というストレートな反応を導いてしまう。これが最もまずい。島の大メディア側は、口コミの情報などは大したもんではなかろう、情報とは我が手中にありだと未だに思っているかもしれないが、そんなことはない。たとえば、どこかの駅に立って通る若い連中に注目すると、ギターやサックスを持って歩いてるなんてざらにいるよね。聞くヤツとやるヤツが相当オーバーラップしてんだよ。このことだけ考えても、ライブハウスでのネガティブな口コミ情報はリスナーへ向けてのダイレクトな伝達となるというのは分かろうもんでしょ。ここでの情報の発生は非常に大きな影響力をもってるってことだ。ボディブローで静かに蓄積していくマイナスイメージはやがて音楽産業全体に大きなダメージを与える。

すなわち、ある店がどの程度の割合で管理楽曲をやっているかを調査した上で、個別対応を行なわないと、著作権とは不当な徴収の根拠に使われる程度のものに過ぎないという考えを国民に流布させる結果に至るわけで、抹消の一店舗の出来事で終わらせられる問題ではないんだな。よってワシならば、1割もやる可能性のない店なら、アンタのところは確かにオリジナルのバンド中心なのは分るが、そうは言ってもカバーをやってる時もあるだろう、その場合はキチンと個別で払ってもらえんのか?その額は一曲○○○円だな、という話をまずする。逆にもうほとんど管理楽曲やるハコバン入れてるんであれば、これはきっちり包括契約ってーのでやってくれよと言うのも否定はしない(注1↓)。その方が店側には有利になる場合もあるかもしれない。(←というより、そうなるあたりの金額設定をやらねばならないということだが。)だいたいこうした店はまったく払わないなどとは言わないだろう。営業状況を無視しての支払額を突きつければ「払えない」とは言うだろうけどね。それは日本語では意味が違う。

こうしたやり取りを如何に効率よく低コストでやるかというのが企業努力というもんで、こんな面倒な個別対応など出来ぬとハナッから言ってるようでは、国民の信頼などは勝ち取れんのだな。ま、ようするにこうした領域で徴収するということはそこまでやらないとならんので、はてしなく大変なんだよ。なんでもアメリカのASCAPは経費削減でまずこの領域からの徴収をやめたらしい情報があるね。ま、米の連中はこの経費削減作の事情よっか、創造的な方策でやってるんだとワシにはしきりに言ってるけどな。ま、一挙両得ってことかも知れんスナ。

(注1)これに関しての見解は難しい。包括契約ってのが金の流れを不透明にしていることには、誰もが疑念を抱くところだ。特にほとんどが米のJAZZの曲だという状況では、徴収した金の流れがどうなっているか、これだけの巨額申請ともなれば当然明確であるべきだ。ただ、このことを理由に著作使用料を支払わないとまでは言えないのかとも言える。むしろ支払った場合に追求する権利が生じるというべきなんだろう。実質個別徴収より安価になるのであれば、権利者へ本当に渡らないのではないかという疑念はあっても、ライブハウス側は包括契約を選ばざるを得ないだろうし。)


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