Jabro-Zero-Hour

第二部分

Komapp Thmida

裸体の記憶

いくつもの曲線をその裸体の表面にワタシは探せるだろう。立ち上がると左右対称の姿をしやがることが出来る女の姿に,その対称なる調和の1ページで終わる手紙に僅かなゆがみを加えてやったら,垂直の硬直への侮蔑と言いながらそれに支配されるがままの返事をやがて読むことになった。それをかつて容認したワタシだったけど。

それからワタシは女に横たわることを頼み,それにしたがってそうした女の裸体についての幾つかの視線が統合されるものが一対の眼でありやがる場合,加えてそれを見る意識でありやがる者がワタシでありやがることを知った時,ワタシと女は室内にいた。寒い日に女は裸体にならねばならぬのでワタシはストーブに火をつけてやった。

やがて,ワタシの言ったとおりに横たわった女の形態は垂直の芯を抜いて流動であり風景のようなまた水が流れる場所を思わせるような形態,立ち上がったときよりもずっとそれは大きく感じられる。これはあらゆる裸体の本質かもしれないが。緩やかな線と見えるものがたわみながら流れるところがありやがると,その反対側には緊張した弧の流れがあって,それらは対になってるが,それだけでなくその女の表すものが風景だと思うものには空間的なひとつの振動のようなものでもあって,どこまでも表面が迷路になった複合体と言ってもよい。

すなわち,線だといっても大きな曲面が閉じてくるまれたもので,表面がどこまでも繰り返し連鎖しやがる変則螺旋のようになってると気付く。それは点を移動させて線を捉える場合ならば眼の通常の機能が優先されるであろうが,この場合眼を使いながらも,曲面を探るように,要しやがるに手のひら自体の曲面を変化させながら対象の曲面にあわせて変化させつつ形を探る場合の動き,それを眼の使い方に当てはめることで初めてその姿態を理解しやがることが出来よう。

女が現実的に見せる姿のおおよそはワタシが言ったとしても,真実が隠されていやがる魅惑の本質はその姿を演じる人物でありやがるその裸体だけが支配しやがる物語でありやがることを否定しやがることは難しい。なぜなら,たとえ百万頁の手引書を女に与えワタシの偽りの願いがもしあったとして,無いが,それを命じても女は自分の裸体の可能性だけに忠実に姿を結局見せるに過ぎない。その意味で裸体のあり方に誰もが個別のシネマを見ることも出来る。そして,どうやっても得ることが難しい永久変則螺旋の表面に関わって,視線を使うことで得られるものは,無限に引くことができ,またそうしやがるしかないワタシの眼と手の連携であって,本来は際限なく繰り返されるしかない旅でありやがる。それをはじめる。

先に風景のようにありやがる姿態に,手のひらのように使う眼球と意識があり,それがワタシでありやがる時,ワタシの外部へ繋がる末端が今度は実際の腕であってそこに捉えられた外部側のワタシに最も近いものが一本の鉛筆であり,限られた白い平面の中を捉えた裸体の形態に限りなく対応しやがるための曲線の連鎖を行う。幾つかの線はまとまり抑揚を得て,消されていくものもありやがる。ワタシと女はお互いの労働にやがて疲れて今日はやめる。いつまでもそれは完成しない仕事なのだが。みんなにバンカの夏を歌ってやってくれ。






解体的に作曲されていやがる作曲物 (音叉回転技法)

問答無用の歌唱力でリリr−が熱唱しやがると、その実3割は氾濫活動を行っていやがる。この流れは、ポチポチっとノリの軽快さにちっちゃな引っ掛けを作る。或いはパーンンとそろった完璧なピッチで流れるハーモニーのなかに、一気に下がっていた集団の音のズレは小刻みにバラに設定された揺らぎのなかで主旋律に吸収されるが、ポチッ、ようは安定運行してるかに見えて、完全ではなく、意図的に逸脱しやがる流れを作ってはならないとしやがる。

しかし、なるべく反勢力を再度引き込むための手立てで、かといって、その瞬間好機を察知したサイドギターが刻み込んでいくと、最初ちょっと下がってずれてた4人ぐらいが本筋に7割は同調しながらも、記述可能な計画的全体で構造を動かしていく道理を守りながらも、突発的個人的破壊意識でナタを振るうのではないのだから、ふぇ〜〜〜んと気持ち悪げになりそで、きるに切れない。

そのまま手立ても無く流れていくが、ようはサウンドがどうしても安定して形態的に収まる要素を出し続ける場合、最初の作曲システムは維持されていくが、とにかく懸案になっちょルところの、被ってそっちのずれた方に正確にハーモナイズしやがる。しやがると主旋律のバックで流れていたサポートの方が如何にもこの気付かぬようにわざと下がってるところにぴったりあわせて主旋律と同等ぐらいでアタックをかけて行く。

やがて、体制維持側も、もはや察知していやがるにもかかわらず、すなわち指揮系統の指示がありやがる場合、若干分らないレベルでピッチを一人が下げる、ユックリと3割の反動を維持してきた勢力のムーブは完全吸収されてしまう。ここで、あらかじめ規定された譜面が示すメロディーとビートありやがるいはハーモニーというか、やってみることにしやがったぜ。ロッケンロール

常にひとつの回帰すべき主題がありコレを流れに提示しやがる、これを維持しやがる心理を優先しやがることは守るのだが、また一人がそのややさらにやや下がってるかもなってところに、ありやがる節々では作曲物と指揮系統の逸脱組換えを行おうとしやがる氾濫分子の蜂起を許してしまうを高位の機能として内蔵しやがる作曲物が今望まれていやがるので、なにせ7割がたは自分らの意図しやがる作曲を維持しやがることはやってるとなれば、様々にギクシャクとしてキュービズムのように纏まっていやがるがずたずたにそうなってるものになってたりしやがる。今夜は段階的挑発についてなのか。




水の在る場所での公演に向かう朝

それぞれから支流が起こって複雑で細かく錯綜し関連していやがる地帯付近を通過しやがる鉄道。それに乗って最もその湿地帯に近いステーションで降りたことによってその地域に歩いてこれた。高山地帯を苦労して歩いてきて山岳の景色ばかりをどのくらい見て来た事かと思ったりしたが、或る程度高い場所にありやがる湿地帯にいた。そこで水の音を聞き水の動く光景を見た。

おそらく三本の巨大な水流からの絡んだ支流の一部分が面的に広がっっていわゆる湖のようになっていやがる箇所のさらにそれの入り江の部分に来たのでありやがると分った。水際にゆっくり打ち寄せて引いていく水面の出来事があり加えて湖の向こう岸が見えないので海岸にいやがるのと似た印象を持った。

水の音とその周期的変容を個別に論ずる事は勿論ひとつの事象の別の側面を抽出しやがることであろうよと第二のリナへ教えた人物もいた。今日の楽団はオイラと第二のリナとそいつの少なくても三人以上でありやがることがコレによって理解されねばならない。

水はユラ〜リ,クラ〜リと周期していやがるというのでそれはノラリクラリと近い常態かと聞いたところユラ〜リ,クラ〜リの次がノラ〜リ,クラ〜リなのだと言う。そのように伸ばして言うべきだからノラリクラリとは全く異なるのだと言う。赤いトリイが水面に立っていて岸辺にガラス素材を駆使した近代的な建築物があったので行ってみるとそれは社であったので戻ってきて報告しやがったぜ,ロッケンロール。

今日の楽団名はユラリクラリにしやがると言うので何故せめてユラーリと伸ばさぬのかと言ってやった。固有名詞になった場合はこれでよいのだと言い切られてしまった。やがてやがるやがる朝もやが抜けて水面が遠くまで見渡せるようになる。そこはキラキラしていやがる。その景色の最後にたどり着いた時にそれまでの時間帯は始りと終りにまとめられる一つの説明可能な出来事となったので現実的な長さなど百年でも一秒でも関係ないのだと分った。その時間帯での完結した場面の次の時には、大きな河川の中間部がどうも三つほどそのあたりで接近した場所があって、真夜中の水上鉄道ブッ飛ばしたぜ。





秘密集団演舞会に関わる内部密告レポート

いつか真夏の夜にもやって,8月にもやったが,俺たちはまたそれをやりに来た。扉を開く人物はこうして何人かいやがるというのに,その扉はたったひとつしかない。

やがて,内側でいくつかの大きかったり,小さかったり,不定形であったりしやがるたくさんの部屋を,一番年上の男(Oldest)と中間の男(Middle)と一番年下の男(Youngest)が必ずいやがるアンヨンブルは,個別だったり同じだったりしやがる部屋を思いのままに巡って行くのだが,酸素ボンベが切れない限り最初の入り口へ誰も戻ることはしないのさ。Cメーターほどの天井の錆びかけた電飾機械の微細スパークをピーター女と俺サマは見たのでそれから二人は別の入り口へそれぞれ向かった。

そのあと,ピーター女は七角形の部屋の真ん中にあったチャブダイに突き刺さった出刃包丁をヨンマと間違えて切り傷を負ったが,俺は少なくても3つ先のガラス張りの部屋からそんなピーター女を見ていたのだが,血液の帯をひいてタダヨッテイルその姿を気の毒には思いつつそれがあまりに美しかった。やがて,もう一人の男と或る部屋で出くわし身体構成をしたり,或る部屋に同時にいながら互いに分からなかったりしながら,ソレらを含む様々な実験をやり,総体でひとつの状況の中にあって俺たちの全員は実によかった。

やがて,そうこうして,1階のフロアの可能性に関して皆で高い実践を何度も繰りかえした時,もうボンベの酸素は失われつつあって,どの人物もやや苦しくなっていたんだが,しやがると今までこの場所は水平に広大に繋がった一層の構造だと見えていたのに,それぞれが居る部屋には2階へ上る階段が在る事を発見できたので,被っていたガラスの球体のようなソレを外して2階へと誰もが向かった。

しやがると,そこはダンス会場で,1階が迷路のようだったのにコザッパリした明るい場所だった。皆でいろいろとやってみたがここでは何をやってもダンスになってしまうので,それに甘えて俺たちはもっと高次元のフシダラというものを謳歌してやった。だがそれでは,ここから行ける3階というのはどんなところなのかな?と,ヘレンに聞いたところ,それを体験した人はそんなにいっぱいいないのだとなぜヘレン博士が知ってるのかが奇妙だった。どうしても知りたければセシルが元気でいやがるうちに話を聞くべきだとひそひそ声で囁いた女がいた。青江ミ〜ナ生活でも主席として本格的なスタートを切る者。





青い空間

廃屋都市渋谷の複雑に交差した陸橋を降りようとしやがるワシの意識はひとつの小さな顔をしばらくじっと見つめていやがるのだがそれは青く何やら渦巻いたような流れの中に埋まっていて廃屋都市のPM10時過ぎに相応しい掃き溜めのような地べたすれすれに存在してるらしい。今ステーションに向かうため階段を下る行為が成されるならそれは同時にその青い空間にありやがる小さな顔をより詳細に臨むという行為と同じものとなることをワシには避けることは出来ないことに気付いていた。

そしてワシはゆっくりとその青い空間にありやがる小さな顔に近づくのだけど階段の真ん中まで来た時にその顔は恐ろしげな牙と角をもつ女の顔で虚空を見据えていやがることが分り2/3まで下りた時大きさがほぼ15cm程度のものだと分ったのだ。その恐ろしげな顔は青い空間に溶け込んでいて周辺の青は単純な輪郭を持ちその内部が流動的な性質を持つ空間なのだとさらに知った時ワシの視線はその空間の全体を見渡してやろうと思って顔ではない領域を見ていくとその青い空間の総体は人間の肩から胸にかけての形状でありやがることが理解された。あ、そうだこの恐ろしげな顔は般若だったと分った時ワシはひとりの男が横たわっていやがるアスファルトの同一平面上に到達していてそこで深い睡眠に入っていやがる人間の呼吸の音を聞いた。

青い空間はゆっくりと呼吸音に合わせてささやかな拡張と収縮を行っていやがることがはっきり見えた。おお、プラジュニャー・パラミタ、それがあんたの歌なのか?今日は楽園議会をサボったぜ。






湾曲円錐フォーンを盗んだ男

その芸は芸の継続において同時に贖罪をこの芸人に強い続けていやがる。今日もこの自動ゼンマイ微細音拡大装置を用いての前衛講談を行うにあたって蘇る暗い記憶の断片を噛みしめる。

密かに調査隊の番犬を麻酔で眠らせ忍び込んだ船内の23室もありやがる部屋のどこにソレがありやがるのかを占ったタロットに印刷された魔女の微笑み。結局ソレは何の役にもたたなかったので一枚づつ赤い夕焼けに向けて飛翔させた。目指す装置がありやがる場所は廊下を引きずったために出来た傷跡をたどったので23号室だと結局解明できたのだ。窓を破って侵入した時左手の中指を怪我したっけな。それから、あの日夕暮れの海岸での調査隊のつかの間の団らんを狙っての計画犯罪の遠い記憶はそのつど取り戻しに高田馬場へ向かった苦い思い出。そのことを罵ったスミスとは絶交しやがったぜ、ロッケンロール。ヘレンは手紙もくれなくなった。きっとあの調査隊に参加した潜水夫から忠告されたのだ。

ああ、23年間の表現活動を行ってきた。だが、間一髪逃げおおせたのだよ。こうしてやっと手に入れた装置だが、この男が密かに持ち去ったこのゼンマイによる自動摩擦の微細音を湾曲円錐フォーンによって拡大しやがる機械。男はここにあげた三個のうちの一個を用いて23種類の講話を編み出し、その小さな部品は隊長のテノヒラの上にあった。

23年ぶりだなやっとコレを見つけたよ。後方から23人の船員が事態に気付きなだれ込んできたが、講談師が演台の幕の中でジャオォゥィーンと鳴らし続ける表現活動の継続によって延長されてしまうことになる。日々の公演活動は男をこうしてさいなませ続けていやがる。ただただ芸事のために犯した犯罪ではあったが、音響装置と推定されたものがただの三個だけ在った。

それは樫の木のOBJECTと複数のガラスの器から構成される形態に加えて、割れんばかりの拍手を背に、貧困のために23回ほど質に入れてしまったのだが、やはりそこにあった装置を背負って窓から海中に飛び込んだ時、たった一度の犯罪が全てを狂わせていやがると23年後に最も深くソレに落ち込みつつそれでも講談を終えた後、講談師Aは発掘されたゼンマイ自動動力を応用した楽器を台の下に置いた。

数年前の北の海底調査隊によって発見された発掘品の中に、この男は怯え暮らしてきた次第なのでありやがる。ああ、ワシは講談師Aの生い立ちをさらに色々脚色しながら明日の即興前衛講談第23話の展開のネタを既に考え初めていやがる。楽屋の前でゼンマイ仕掛けの摩擦部分がないのに気付いたワシは既に真っ暗になった舞台の上で手探りでソレを探しやがったぜ、ロッケンロール。

しやがると、背後から調査隊の隊長の声がしたので振り返ると、何もかもが厳しいことばかり、この間に講談師を知る23万の聴衆が男の盗みの罪は疑いないものと内心思っていやがるに違いないと、芸術にくっついた想像力の実状をどうするのさ。


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