花のかたち(1)
初期マトゥラー仏の構造と華厳思想
八木橋司 1995年


<Part-6>

12 「サルナート出土バラ比丘寄進仏立像」の解析と肉髻の間題


図版12


「華厳経」における世界認識上の諸間題と、初期マトゥラー仏の造形理念との、こうした対応関係において、先にも述べた肉髻の意匠と構造上の位相の重要度は極めて大きいと言わねばならない。カトゥラーの仏坐像の解析図版に既に表われているとおり、初期マトゥラー仏の肉誓の形状は、世界総体の中心地点、悟りの地点へと進展する菩薩の姿の、究極の段階を造形化したものであることは疑いない。この像の肉髪は、その無限の螺旋の効力によって、この菩薩が「悟りの地点への限界的近傍」に極まった事を示している。この仏坐像は、世界総体の法性をその身に受け、衆生界において如来的側面を開示する菩薩の姿を造形しているのである。こうした肉誓の意義が、さらに端的に表われているもう一つの例として、先に予告した初期マトゥラー仏に見い出される、正六角形による連鎖構造を持つ造形を提示したい。[図版12]は「サールナート出土バラ比丘寄進仏立像」(サールナート博)の解析である。

六角形を単位図形とする連鎖構造
胴体を規定する正六角形の上部左右の各辺を、上に向けて延長することによって、正六角形の上部の一辺上に正三角形を作図する事ができる。さらにその正三角形の内部には、正六角形を内接させる事ができる。こうした正三角形と正六角形の位相は、これらの図形の最も基本的な性質にすぎない。この操作を上部の交点に向けて繰り返すことで、正六角形が規則的に連鎖縮小する構造が得られるのである。それぞれの正六角形の一辺を半径とする円を、各頂点を中心として作図したものが[図版13]である。この連鎖構造は「カトゥラー出土仏坐像」の連鎖構造に比べれば、かなり単純な位相のものである。正六角形自体、正多角形の内で最も明解な性質を持つ図形であり、こうした連鎖構造もそれに準じて比較的簡単に作図でぎるのである。この像においても、像の上を横切る円弧と、人体彫刻としての現実的な面構造の切り替わりラインとの対応は、見事な同調を形成していることが解る。独特の表情を生み出している頬の膨らみも、顔を横切る円弧の位相によって生み出されている。この像の頭上に位置したはずの肉髻が、像全体の構造の内でいかなる意味を担っていたかは、この解析図によって明白であり、カトゥラーの仏座像において見い出された理念と一致したものである。



図版13


13 マトゥラーの造形理念の継承

冒頭にも述べた通り、我々は初期マトゥラーにおいて結実した造形理念は、仏教史上のあらゆる面で継承展開され、絶大な影響を与えたものと理解している。その直接の展開と目される華厳思想について述べてきたが、これ以外にも密教への展開を裏付ける一部事例も述べた。こうしたマトゥラーの造形理念の継承の可能性の濃厚な事例の内、最も重要な例をいくつか上げておく必要があろう。

[法隆寺釈迦三尊像]
我々に最も身近な例として上げておかなくてはならないのは、「法隆寺釈迦三尊像」である。言うまで
もなくこの三尊像は代表的な飛鳥仏であるが、この像の頭光の最頂部には宝珠が位置しているのである。この宝珠の存在は、これまでの考察に照らして、我国の仏教史においての、重要な事項として浮上したと考えなくてはならない。頭光の最頂部に宝珠を置く例は、他のいくつかの飛鳥仏にも見られるが、奈良時代以後には失われる特徴である。唐からの新たな流れに先立つ、朝鮮半島から伝来した造仏の儀軌の内に、あるいは構造上の理解を伴ったものではないとしても、マトゥラーの造仏の儀軌からの何らかの伝承が残存していた可能性は極めて大きく、これは重要な史実と言わねばならない。

(補記 この時点では飛鳥仏構造の実態について明確な把握に至っていなかった。「マトゥラー造形理念の展開、そして東へ」にて本質的検証に推移する。)

[ガンダ・ヴユーハ]
「華厳経入法界品」の原題「ガンダ・ヴユーハ」に関わる、以下の口述の紹介に登場する仏具の形状もまた、マトゥラーの造形理念から展開した構造であると考えられる。

彼(第三祖法蔵)は、この点に関して、深い交際をもったインド僧
のディーヴァーカラ(巳照)が「西の国には、ヴユーハという名
の供養のための仏具がある。それは、下が広く、上が狭くなった六
層のもので、花の形の宝玉で飾ってあり、各層にはみな仏像が安
置されている」と話したと伝えています。
(華厳経をよむ」上巻三五頁木村清孝)

この仏具の形状がマトゥラーの連鎖構造の意匠的側面の展開である可能性は大きいが、この仏具の名前が「入法界品」の原題に対応している事が、それに加えて重要である。この事実は本考察の内容に適合しているのである。しかも、専門家が示すこの原題の語意は、我々の提示する連鎖構造の内容に対応している可能性も十分に存在するのである。

[密教経典]
また密教経典に関して、専門家による文献上の詳細な検証と平行した考察が成されえれば、マトゥラーの造形理念の密教への展開の極めて本質的な側面を、教典の文脈上に明確に提示しえる事は疑いない。「大日経」「金剛頂経」のテキスト上には、検証しなくてはならない重大な事項が確実に存在する。特に「金剛頂経」のテキストの文脈への検証は、驚くべき認識を我々にもたらすものである。既に我々は国訳資料に基づいて準備を進め、そのガイドラインを得ている。これについては、以後の機会に順次提示する考えである。


14 むすぴ

今回の考察における造形上の解析に関しては、疑念の差し挟み様のない合理的解析を提示しえたと自負するものである。たとえ我々の解釈に何らかの問題が残ったとしても、解析図版に示された構造の存在自体を否定する事は不可能であると認識している。華厳経典への言及は、見い出された構造の解釈からして必然的な波及であった為、専門外の立場でありながら、あえてできる限りの検証を試みた。「十地品」への言及ついては、限られた国訳資料に対しての解釈にすぎず、また国内の優れた文献にできる限り照らしたとは言え、荒削りな仮説にすぎない事は否めないかもしれない。高い専門の見地からの検証および批判を受ける必要を強く認識している。しかし、こうした範囲にとどまるものの、提示した内容は十分に検証に値するものとも確信している。

(1995年1月八木橋司)


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