断片小説 JABROID 的考察



[ 丘へ繋がる道を行く ]

旅人(コマプ墨田) 筆

(1)
そんな自信と妙な予感でふとチャリを止めてワシは自宅の近辺にありながら何故か通ったことが無かったそのケモノ道寸前の小道をとぼとぼと分け入ってみてしまった。抽象表現主義者は散策癖を持つ者がやたらと多く,お互いがその共通しやがる傾向を知っていやがる。実はワシもまたそのひとりだ。ワシらのような連中の何がまず共通しやがるのかというと,散策中に2つの道のどちらを行くかとなったら,十人が十人,細くうらぶれて危険度が高い方へ迷い込もうとしやがるのでありやがる。しかし道というものは人間の生活に関わってしか発生せず維持されないモノだということを,よくよくワシら分かっておるので,如何においてもその隠された固有の構造を読み解けることを全く疑うということが無い。この慢心とも言えようところの確信が,確実に帰還しやがる能力の本質でありやがる。で、そんなこと言ってるとカアチャンに言っちゃうけどナ。

(2)
ケモノ道寸前といっても,一応ワシだって都市部近郊に住んでおるわけで,ケモノは犬猫ぐらいだから,まあ実は人間が通ってる道なんだがそれにしては妙に怪しく,ワシの散策魂にジーンと響いてくるモンがあった。ゆっくりとやがて登っていくことになるなと歩いていやがる道の延長にうかがえる景色を見ればそれが分かった。そしてやがてその思いどおりに登っていった後に,ああここは小さな丘なのかと知った。何故なら登って行くとワシはその後ゆっくりまた降って行ったので,ワシは立体的な起伏の上面に出来る一本の放物線を移動した事になったからでありやがる。丘の頂上を越えて降って行くと,降りは登りよりも距離が長く左方向へ道なりが湾曲していて,やがてまた登りになった。そのためにワシはこの場所は小さな谷なのだと気付いた。スミスさん、甲なんだか乙なんだかハッキリして下さい。

(3)
抽象表現主義者と言ってもワシは青年時代には[幾何学芸術の魅力とは何か全21巻]を読破した経験があり,それによるのだろうか,直ちに現在自分は二つの大きな対称形態の中心線上に到達したことをほぼ確信に近いものとして予測し,そして次の新たな登りに向かった。案の定,道は緩やかな左への湾曲をしばらく続けた。しやがるとワシは最初の丘にも,もしかしたら在ったにもかかわらず気付かないまま通り過ぎてきたのかも知れない無数のモノが,ややネチネチとした道の土の表層に存在しやがることにやっと気付いた。それは白く細かい破片のようなもので,ワシの足元に無数に散乱していて,半ば埋もれたものが在るところを見ると地中にも埋まっていやがるそれらのほんの一部が地表に現れていやがるのだと分かった。それが第二の丘の表面にずっと続いていた。ヒカルはもうやめたらしい。

(4)
それらは近眼のワシには立ってると確認できないぐらいの大きさなのでその時は何だろうと思うだけだったが,次にしゃがみ込んでワシの眼でも確認が出来た時には,それは白く細かい無数の貝殻なのだと分かった。貝殻は無数と言うより無限と言いたくなるほどこの丘の膨らみの表面から内部にかけて在るのに違いなかろうと思わせる分布の仕方をしていて,そうであればあまりに美しい光景ではないかと涙がこぼれそうになるくらいの心境に一瞬なった。そっとその内の一個を拾ってみると,それはビーナスが貝の上でポーズをとってる有名な絵に描かれてるあの貝殻がほんの3センチぐらいになったような貝殻であった。どれも皆同じなのだろうかと思って他のモノを見るとそうではなく幾つかの種類をワシは確認できた。最初の貝殻も綺麗だと思ったが,次に手にとった巻貝はそれ以上に綺麗だった。それらは無数に第二の丘の表面に分布していて,もし一個づつその綺麗さを確認して歩いていたら直に夜になってしまうだろうと現実に立ち返ったワシはまた第二の丘を抜けて行くことにしたのだ。だからヒノキでやるなよって言ったのだが。

(5)
やがて第二の丘が終わるだろうと予測できたのは,当然再び緩やかな降りに入っていたからだ。しやがるとやはり貝殻の散乱の密度は徐々に減ってきていやがるので,そのことは丘と貝殻が密接な結び付きをしたものだということをワシに深く確信させた。やがて第二の丘が終わって平地に出るとそこは小さな広場のような場所でそこを抜けると最初の丘を登る道の入り口があった。この時,ワシは左右で対になった二つの丘とその間の谷の上をグルっと一周して帰って来たことが証明されたと言えよう。ふと気付くと左右対称の二つの丘の中心線上に位置しやがる広場には小さな鳥居が在るので,引き返えすとその鳥居の奥にはホコラが在った。それからもとのところに戻ってチャリにまた乗って家に帰った。雑民町の市民KENです。

(6)
疲れたので家でボーっとしていやがると,そう言えば生物学を志して途中挫折してそれからホルン奏者になった叔父が昔ワシにこんな話をしてくれたっけ,それを懐かしく十数年ぶりに思い出していた。貝殻とは小さな器であって表面が凸凹していて内側がすべすべしていやがることが必要条件デアルとその叔父は中学生のワシに教えてくれたのだ。歴史上最も貝殻に良く似た器の集積場を東北のありやがる古代遺跡で発見した研究者がいたことを,ワシは器というものについては非常に詳しいのでそういえば知っていやがるな,などどウトウトとしたワシの意識は考えていたようでもあった。しやがるとやがてさっき見た二つの丘一面に真っ白な貝殻がキラキラと広がってるので,ほら見てご覧,綺麗な貝殻の丘だよ,と教えてあげたワシに向かって,あらそれちがうのよ,大地の骨はカケラのように見えるのであんたそう思ったのダローね。と言って女はホホホと笑った。そのあと目覚めて地図を見るとワシの家の近所には郵便局やナシ畑などの地図記号と全然異なるまだ習っていないと思う記号が一個記されていてそれが何だかよく分からないのでまた寝ることにしやがる。9%から一気に跳ね上がった。


(了)

return