JABRO演舞場-QQQの実態

第二章
極東孤島サウンド表現主義現場の行方



著者 コマプ墨田


第一話 島のJAZZ辞典

自分の田舎のJAZZ喫茶のアニキ(ジロー)のことを思い出しておる。アニキも、21世紀の幕開けががこんなんでは、今後何のやりがいもないだろうよなぁ。JAZZの60年代栄光の季節がとうに終わって、店もミュージシャンもこれまでも受難続きだったが、そんなある日「それでもJAZZは終わらんのさ」とワシにボツッとつぶやいたカウンターの向うのアニキの顔が今でも忘れられんワシ。もうそれも四半世紀以上前の話だ。客など何人もいないアニキの店のカウンターで、その日ハービーをかけさせたワシも犯罪者の一人なのだろうよ。

しかし、ワシはこっちに来てから結構買ったね、アニキの店で聞いたLP盤をもとにいろいろ探ってな。ま、結局はほとんどアニキのところにもあったもんだが、それでも亡霊のカケラがワシの廃屋アパートにもやって来るかと期待してな。「おい墨田、大御所のメインだけありがたく聞いてるだけでは頭が進まんぞ、これはどうだ」っつって、オーネットの邦題「オメーの頭で踊ってやるぜ」の片面をかけたアニキに、当時純粋な高校三年生だったワシは「アニキ、それをJAZZだというアメリカはオイラの知ってるアメリカとちゃうんじゃないですかぃ」と思わず叫んでしまったね。ほろ苦い青春の一夜だったわぃ。結局それが都市部荒野にてこのワシが買った最初のレコードだった。

アニキも、もう疲れちまったんで当局へは何とか払って、店はたたむと言ってるそうだけどなぁ。こんな感じで極東孤島からはJAZZの灯は消えていくことになったのかもしれんな。時代とはそんなもんでしょうかね(鶴田浩二風語り口)。しかし、なんだなぁ、ついにもうこの島では、逆立ちしても誰も二度と聞くことが出来ないレコードが山ほどできるわけさ。そりゃ、マイルスとかコルトレーンとかの有名なものはタワレコやユニオンへ行けば買える訳だが、それはビジネスレベルでの型を築くことにその後のレコード会社が成功したホンのヒトカケラの栄光部分だ。しかも、当時本物の可能性を探り出したレーベルが今もってやってる訳じゃないしな。ブルーノートがどうのとか高貴なもの言いをしてるが、どこもここも当時はインディーズだったんだろ?コルトレーンだけだって100枚じゃきかない枚数が在る訳だが、タワレコとかで手に入る分はその半分も無いんじゃないかぃ?ワシらは何かの本とか他のレコードのライナーとかで知った入手できないようなマニアックなLPを聞くために、何件ものJAZZ喫茶を渡り歩いたりした。JAZZ喫茶の総体こそ、そんなワシらのJAZZという事件を知るための欲求を満せる、この極東孤島唯一の大辞典だったのだな。結局これからは市販される限られた部分だけがJAZZだと誰もが思う歴史が始まる。国会図書館に行けば、どんなに売れない本でも必要だと思うものを閲覧できるわけだ。しかし、JAZZの歴史的な記録物を網羅しているそんな場所は、ワシが言ってるオヤジ連中の大JAZZ辞典以外この島には存在しないんだよ。文化庁はそれを分っておるかな?JAZZ喫茶の店主らが個人個人で守ってきた何千枚のLP群がどれだけ貴重なものであるか分っておるですか?中にはもうどんな事をしたって手に入らないようなものだってあるんだよ。 あぅっ!そんな価値があるんならそれらを全部売って支払いをしろと当局ならマジで言いそうな気配よな。

アニキや全国のオヤジ連中が半世紀身銭きって買い集めて、ワシらに伝えたJAZZという事件の全貌に、もう二度と潜り込むことは出来ないのだよ。

誰もね。



「すんません。今かかってた○○○の最後のところで、泣きたくなるようなアルト吹いてるのは誰ですか、アニキ?」「おお、墨田オメーもそう思うか。それほど知られておらんヤツだが、やっと探してそいつの唯一のリーダーアルバムを買ってあるぜぃ。3枚後にかけてやる。」ってなことで、ワシらはいくつもの世界の事件を知った。それにしても、まー、何でもアニキはよく知ってたな。


第二話 しみじみ飲んでもしみじみとーぉおぉぉぉはせぬ、今日この頃のQQQ

文化とは何かとしみじみ考えるガラではないが、でも考えちゃうよな。ワシらQQQの仏像研究を読んでもらえば分るんだが、文化などと言うには、この半世紀この島で文化云々と名乗ってるものなど、もうチビッコワールドだね。ワシらの研究では、まさに真の文化であって芸術であり哲学であって故に宗教てある大乗仏教の大先生方の歴史などは、100年スパンで次に展開して行く壮大なもんだよね。ワシらが確実に捉えた事実としては、buddhism-sculptureの大奔流をたどっていっても、実に500年は一つの物事をきっちりとやりとおしていらっしゃられる。(まっ、全世界に先駆けてワシらQQQがそれをバッチリと証明したのである。) 起源1世紀〜5世紀まで、最初の師匠のやり方を研究した弟子達がまた新しいやり方を打ち出して、さらに次の弟子がと言った具合にだ。そうやって世界観を拡大していったのだよ。これを最初知った時は、実に人間の偉大さと言うモンが分ったね。文化を受け渡していく人間の凄いあり方っちゅうか。

QQQの仏像研究

英語
http://www7.ocn.ne.jp/~jabrec/buddhism.html
オリジナル日本語版
http://jam.velvet.jp/mathura-buddha.html


ピックアップサイト発見!(THANKS)
http://vos.ucsb.edu/browse.asp?id=3540
http://www.vrindavan-dham.com/interim-period.php



で、一緒に分っちまうのが、今のワシらのバカさ加減でもあるのだ。なにしろ、あちらは仏教の考え方だから、オレのもんという発想は小指の先も無い訳だ。これはオレが考えたんだからお前にはやらせないなどという発想は、せいぜいこの何十年ぐらいの人間の間抜けな頭が成し遂げたチンケな世界観なのだ。なにしろ、500年(実際はもっと長いんだが一応)真とするところを後世に次々に受け渡した末に残ったその全体は、とんでもないもので、まぁ、もう自分一人で出来る何かなど、あちら様に照らされてしまうと、最早どうでもいいものであって、まずはオノレを知ることが最初だったのかと、そう言う話になるのよ。あらゆる文化とそれに関わる表現行為は、本来はそうやってだけ受け継がれてきたことを省みるときが来たな。人間のあり方そのものについてもね。



第二話 パート2

ところで、21世紀極東孤島の文化の可能性とは何か。ワシらQQQはまーず最初にそれを洞察したのだ。たとえばそれは、深夜路上でひとり直管フォーンを奏でる暗い女の表現主義、たとえば、明け方の市場に腰を落として虚空を見つめる老人の奏でてはいないが音楽のような表現主義、市場経済を無視して別口アルバイトで運営してるライブハウスの客三人の前で行われたアルバートアイラーの続き、たとえば新宿南口の雑踏を演舞場と考える女優Aの日常行為とぎりぎり異なる一人演劇、などなどなどなど。あらゆる表現に関わる個別の可能性を試しながらも、明日の世界芸術の展開などは微塵も目指さない結果、やってる連中の意向とは無関係の何かに結実するかもしれない、そんな表現へのとりあえずの欲求こそが表現というものの真実であるという、この当たり前を、文化云々を語る前に認識してもらいたいものだ。そして究極は、ガンジーがイギリスへ向う船の甲板で糸を紡いでる映像をしみじみ見つめ、マザーテレサとそのチームの穏やかな実践の姿をとらえた映像などを見る。イマイチ分ってないのに型さえ作ればものが動くと言うので登って来た20世紀型幻影思想の階段は遥か下方ではもう崩れ去っているわぃ。最早全国民は芸術的ハイポジションのお仕着せには徒労してるので、ガンジーのゆーっくり回る糸車の音はまさに音楽だったろうな、ああ、これでいいんだ、求めていたものは我々の生き方自体の可能性の中に本来在ったのかと、それがきっちり分るわけだ。するとどうだ。島の芸術機関がこれでもかとばかりに国民の頭上に掲げる一大スペクタルな超芸術のスクリーンって浮いちゃってないスカ?それは20世紀の遺物でもうよかろう。文化云々を抜かすのであればこうした人間の基本の在り方から眼をそらさず、同時に島でお得意の掛け声だけは逆らいがたく美しいアンドロイド系の表面主義芸術(エセ)など脱ぎさって、実存的な孤独の表現主義者の一員となって対峙するしかないのである。

さらに、そこから派生するところの音楽的造形的文学的ダンサー的・・ようするにとどのつまりは芸術活動の新たなる模索をもって、芸術と当たり前の生活とが何ら矛盾することのない生き方、まさに次の世代にそれをつたえていくことの尽力について、文化云々の諸氏は考えるべき事があるだろう。かくのごとき数百年の展開を展望する表現思想のあり方に対し、その前に立ちはだかる障壁の数々は何だ。権利権利権利、過去の事例がどうの、手続き上どうのこうの、金銭的どうのこうの、挙句の果てにはそれは秘密ですとなる。一の本質のために十の労力を要求される。昔読んだカフカの世界のごとき島国である。ようするに、ワシらの芸術的エナジーがバッチリ結果を出しておるのにだ、それが社会貢献を含むレベルで最大に今後展開出来るためのバックアップすらないについては、ワシらもまあそんなところかと、とっくにあきらめてるとして、多くの実存表現主義者らがこの苦境の中、自力でやり抜いとる芸術活動の意味さえも分らないまま、弾圧継続中では、こっちがこの島の明日を見据えて動いておるのに、なんら展望が開けないまま、こりぁ島も沈降するのみではないかぃ。援助しろとは言ってないのだよ。逆だ。ワシらがこの島の文化云々にもやがてプラスとなろうところのバッチリの結果を、自腹で出してやっとるのだ。



アニキ(ジロー)たちJAZZの伝道活動についても、同じくこの島の文化云々を講ずる分派によって、体よく押しつぶされようとしとるなぁ。結局、アニキたちJAZZ連中の発想と、当局の発想の根本的ギャプが問題なのだ。もしや当局サイドは、アニキらを盗人だと真面目に思ってんのかもしれん。やはり、リニアファイター養成一辺倒で島内学校施設も長らくやって来てるから、ワシが言うところの<即興的かつ多角的かつ脱リニア的な21世紀型ビヂョン>などという革命的学術手法などは理解できんだろうね。理解せんためにひたすら今を頑張ってるのかもしれんな。

アニキたちはJAZZというのがどんなもんかと言うのを、JAZZそのものを見据える行為から知ったのだよ。だからJAZZの末裔として当たり前の考え方をしてるだけだ。例えを言うとな、エピストロフィーでもいいわけだが。モンクがドルフィーがライブハウスでエピストロフィーを演奏するたびに金をとったとはどうしても思えん(事実は知らないけどね)。ドルフィーがやってエピストロフィーは拡大したろ。ドルフィーの演奏なくしてエピストロフィーは完成しなかったとさえ断言してよい。ワシなどしばらくドルフィーの曲だと思っちょった。JAZZというもんはその全体がそういうことなのだよ。曲があってもそれはみんなで共有し磨き上げていくものだったのだ(なんで過去形にせんとならぬのだ)。もちろん、一方で儲かったらそれなりに払ったりしたろう。しかし、金が無い連中が芸術上の志でやってる活動から、オレの曲だ金払え!などというヤツはJAZZ史上そんなにはおらんだろ。その面において、まさにbuddhism的な視点に近いものをJAZZは持っていたし、この性質ゆえにbuddhism art同様の個人を越えた深い表現へと、60年代JAZZは突入出来たのだ。コルトレーンのExpressionsなどはまさに仏教的だとワシは思うね。何処にも個的な中心が無い拡散する空間ちゅうか。ぱーっと広がった空みたいな感じだな。

そんな極まったJAZZちゅー芸術上の大事件を、また地球の反対側のちっぽけな島でワシらも捉えることが出来たのだよ。そのことでJAZZはこの島でもだーんと広がって、数多くの音楽連中に予言を与え、音楽表現の拡大をもたらした。ヒロタミエコだってJAZZシンガーになったろ。J-POPも世話になっとんだよ。こんな具合のこの島の音楽史に必要不可欠なポジションが、JAZZステーションたるアニキらJAZZ喫茶の役割だったのだ。それを、評価し讃えよとまでは誰も言っとらん。言っとるのはこういうことだよ。それは本当は文化云々を看板にしてる島の機関がやることだったという話だよ。ひとつの季節が去った今、JAZZの歴史の全てを丁寧にしまってある蔵のような場所がJAZZ喫茶だ。その総体こそJAZZ文化のアーカイブスであって、たとえ聞きに行くやつがわずかであっても、それは重要な文化遺産だ(遺産というのは言い方ちょっと失礼だがな)。このライブラリーの価値を国はどう考えるのだ。華々しい大芸術へ向けての具体性の欠如した歯の浮くような美麗賛辞は国民はもう聞き飽きとるな。そんな感じで軽々と言っていられる環境を、今日ありがたくも得られるに至った文化貢献はいったい誰がやったと思ってるのかね。

(↑)
なーんか論旨が一貫してなかったかーもなぁ。書いちゃったんで、まっよしとする。



PS
ゴッホなんて今のこの島に生まれたら間違いなく一枚の絵も残せはしないのだ。
(そんなこともないか。)


第三話 期せずして早起きは三文の云々

即興的に12時チョッと前に目覚めるつもりで漠然と肉体は寝ちょッたんだが、ジャンジャンジャンジャンと鳴り響いたもんで、意識が勝って起きちまった。すると10時だった。けたたましいそのジャンジャンジャンジャンてーのは津軽じょんから節のような気がしていたら、終わったらそう言ったので当たりだった。しかし、昨今の津軽三味線はポップス路線大当たりなんで、ワシの耳にはなじまんなぁ。だいたい多少付けっぱなしのラジオのボリュームが上がっていたって、ドロンと眠りこける事はあっても、寝てる意識を起こしちまう事は無いのが民謡だ。眠いヤツは寝るようなだョ〜んとした節回しがないとな。ま、ようは津軽弁でしゃべてるみてーに弾くのが当たり前だからな。ま、昨今の新解釈路線だな。で、完璧に弾ききったヨサレ節というのを聞いてキッチリ目が醒めてしまったぜョ。

まあな、津軽三味線も昔はボサマって角付け芸人の素の音楽がもとだな。100年たってそれも芸術的になったわけだ。ちなみに、今じゃ津軽でもボサマつっても通じないよ。ま、ボサマというのは坊様というこったね。何処からか流れてきた無産の坊さんが角付けして回ったと言うことらしいわ。托鉢の一形態だな。ほれな、ここでもbuddhismとmusicは素の人間の在り方にこびりついてあるだろう。けしてエンターティメントになっちまったもんだけが音楽じゃないのさ。逆だな。ガンジーの糸車のダラダラ回転の中にちゃんとビートってもんがあるんだな。無理に気づくことが無いように奏でられる音楽が生活の中にあふれておるのだ。ワシら言葉を発して生きておるんだから、その言葉のもつビートからは離れることなどハナっからできんのさ。ようはみんな否応無くてめぇらの音楽やって生きとるんだから、本来はそれで十分なんだがな。

そうは言っても、社会には役割分担ということがあって、粋にやるのがおるなとなれば、おめぇちょいとこっち来て聞かしてみろやと隣村の者でも呼びたくなる。あるいは年に一回どっからかやってくるボサマを知らんうちに待ちわびるようになる。そうやって聞く者が演る者を支える関係が自然と出来たんだろうな。それが津軽三味線の元々のスジだ。それを書いた凄い本がある。竹内勉先生の「じょんがらと越後瞽女」がそれ。読んだらこりゃ大変な研究だった。しかも話が面白い。音楽が個々の人間の行き方を通してどうやって受け継がれて、様々に変容しながらおりおり個別の実を結びつつ、ところがその本質は何十年過ぎてもきちんと受け継がれているということがはっきり描かれているね。それをたぐってさかのぼり、津軽じょんから節が何処から来たかを探る旅だ。ま、ざっと言うと、津軽じょんから節というのは、ほとんど最後の完成形態で、受け継がれて来たこのスジの先端表現なんだな。そこまで至るまでの長い人間の話が、綿密な調査資料に基づいて丁寧に書かれてある訳さ。

節というのは誰か個人のモンじゃないんだな。様々にそれに関わりながらその事を通して個である自分が初めて在りえて、その節の上に僅かの影を落としながら次に受け渡して行くというそんなもんなんだな。じょんから節というのは、裏日本の北上ルートと大都市部江戸を結ぶ、生活現場と交通ルートでおこるリアルが練り上げちまった、とんでもなく奇妙なプロフィールを持ってる。その最大の担い手は瞽女やボサマだったというわけだ。じょんから節を取り巻く話は、JAZZのルーツのあの話とな、ある種そっくりなのだよ。まあ、ジプシー音楽の歴史とも通じるし。それを思うと、むしろ音楽がこうでないことの方が珍しいのかもな。それにしても、ミスターPCって、津軽じょんから節に似てるのはなんでだぃ?

話はもどるが。そのジャンジャンジャンジャンという激しいサウンドのじょんがら節はポップスなんだが、それは一つの津軽三味線が展開する選択肢だったと言えるね。なにせ、高度成長期以降、津軽三味線は全国路線になったんで、都会の言葉を用いるモンがそれをどうやるかという画期的なテーマが出現したのだ。この線はその結実とも言えるな。なるほど、それもアリだ。しかし一方では、エンターティメントや大芸術路線に結びつくとたん、それは微妙に違うモンになってしまってることをも理解しとかんとな。この奏者はきっぱり三味線プレーヤーと自ら名のってるあたり分っておるなと好感を持ったね。



実は、ワシこの朝のラジオでおもろかったのは、そのプレーヤーに地元津軽の子供達が電話でインタヴューの企画。これを聞いてまたまた音楽とはどういうことか追加で一歩考えれた。

津軽弁のノリが肉体的に分ってないと元々の津軽三味線は出来ない。都会の言葉で生きてきた人間にそれは不可能なんだな。しかし、その不可能を悲劇と見ないで、都会の言葉に津軽三味線をつなげた事に一つのポップス的展開があった。なるほどなと思う一方、ただ実はそれがポップスで成立し続けるには、元の生活サイドでの表現形態の津軽三味線、つまりボサマの津軽三味線が何かと言う事を知り踏まえ続けなくては長期的には成り立たないのだね。ポップス路線も元のスジの一形態なのだよ。その元のスジはなんてことはないな。電話口の子供の言葉づかいの中にチャーンと在ったぜ。だょぉーんとゆるやかな小学生の女の子の言葉の節回しは、会話の上に必要ない意味をきらびかせず自然と丁度いい間をもって次の語へと向うのだ。ジャンジャンでの竹山の話し方にも通じるな。習わなくても始めからノリというもんはあるのだよ。逆に言うとどんなに習っても出来ない事もある。そのあたりに音楽の秘密があるね。

その子供も津軽三味線を習ってると言うので、アナウンサーはちょっとやってみてと言ったんだな。で、その子供は受話器をどうにかしてなんとかやってみようとしたわけよ。でも、そんなのは能率よくパッパッとは大人でもできんよね。受話器持ってんだからさ。電話+ラジオの回路を通して、ほとんど無音の所々にじゃぁお〜ん、じゃぁあぅん、とかやがて小さく聞こえる。アナウンサーは職業柄時間を気にしはじめてる。せいぜい1分とかなんだがね。しかしねぇ、何とか弾いてみようと画策してるその子供の行動は実に落ち着いておって、ゆったりしたさっきの言葉づかいと同じ優雅さを持っていた。実にその時間帯は心地よい音楽だったのだな。ま、一方決められた時間を持たされる能率主義と言うのは、実に不幸な事態であるなとオノレも省みつつ再認識しちまう。ひとしきりして、女の子イワク。受話器持ってるので出来ませんでした。サゲまで完璧だった。


第四話 ワシらだって文句ばかりではない。

ワシらって金ないじゃない。だもんで、100万円単位の話になると、もう100万も500万も1000万も同じ途方も無い金なんだよな。ま、生活レベルでリアリティがあるのは10万の単位が限界だな。いきなり、○○○万円払えと言う話では、どうすりゃいいの人生はというイメージから思考が始まるのは当たり前だろうなぁ。しかし、そりゃ億単位で金が動く世界からすると、100万ちゅーのはワシらの10円ぐらいなんじゃないかね。いや1円かもしれないなぁ。そこもギャップなんじゃないか。くどいようだけど、著作使用料払わんとはほぼ誰も言ってないんだよね。

で、話は跳ぶけど(↓)

前のとこで書いたように、芸術なんてものは、誰の権利どうのと言うレベルもあるとは言ってもだよ、さらにデッカい見方でいくとだね、個人の仕事を超えて流れるとうとうとした大河のような流れというもんがあるわけでしょ。こっちの方の関わり方を問題視しないってのもおかしい事なんだよ。ワシらの側から言わしてもらうと。そのデカい流れでの役割分担を繋いで行ってこそ、はじめて個人を越えたレベルとして文化はこなれて行くんだよね。そういう関わり方を、ミュージシャンにしろアーティストにしろ、そのスジの人種はイケテルやつほど、そのことの意味が分ってる。もちろん、こんなことは別に芸術云々は本来関係ないよ。人類の歴史事態それで成り立ってる。

アートの場合は、自分のやったものが、他で展開してくのもナルホドナって部分もありの、人がやったものを、ん、それをチョイとひねってこうなるんだけどヨ、これどう?とかやっていったあげくの、何やら予期せぬ事件に出くわしたいわけだよ。で、その大波に乗っかってどこまでも出来れば行きたい。なにせ、歴代そうやって歴史上のスゲー事件が勃発したの知ってるからね。(←なぜか大概貧相な場所から始まるもんよ。)例えば今じゃエレキギターってあたりまえだけど、最初にそれ考えたヤツは狂ってるよね。あるいは、レコード+プレーヤーでキュコキュコやって演奏だなんて最初にやっちゃったヤツはいっちゃってるよね。その最初のインスピレーションにぶち当たるため、様々な事態を起こして、のっかって行ける環境ってのが無いと、そんな事はおこらないのさ。突然ひとりの天才が何かをやってのけるわけじゃないんだよ。そんなのは幻想だな。葛飾北斎だって若き日はオランダ画を真似たよね。題目を横文字風に書いたりしてるぐらい謙虚にハマってる。そのこと無くして北斎がヨーロッパでブレイクすることはなかったよね。そうやって表現の総体である文化ってのは展開するしかないんだよ。もし、このことを止めてしまったら次には何も起こらない。ロカレコーズの社長がそれ言ってるだろ。あれは美しい言葉だなぁ。



事件ってのはそれが何なのか、起こる瞬間までキッチリは分からないんだよ。だから事件と言う。だけど、いくつもの予感を抱えて(思いと言ってもいいかな)表現主義者連中は大波に群がってなんかやってくわけ。その予感ちゅーのこそがアートの本質だろう? なのに、そいつに引っ張られた連中のエナジー、ようは目的より優先された表現欲求ってものを金輪際ダメだと挫いてしまう環境だと、そこは今あるものがそのままホコリかぶり続けて埋もれていくワシの四畳半状態となんら変わらん事態なんだよね。じゃ個人が頑張って仕事した分はどうやって守るんだとの当局の基本理念も正しいのではある。しかし、一見矛盾するかに見えるこの二つの局面を、完全とは言わないまでも、結構うまく整合させる方法と言うのはありえるんじゃないかい?この手の発想はどうなんだぃ。実は今のこの状況はここから更に発展していくべき、せいぜい中二階程度の場所なのだったらどうするのよ。少なくても、ワシが今ここで言ってる視点は、これから日進月歩重要度合い高等になるのは確実だ。なぜなら、こうした視点をあやふやにしたまま、ズルズル事を進めた結果引き起こった様々な問題、実はこれが枝葉の問題などではないことが、ここに来てハッキリして来てるからね。21世紀型の新たな表現主義者のビヂョンとそれを商業レベルで取り込み受けて側に発信させるメディアの在り方、これと旧来の著作概念が担う仕組みとの間には見事なギャップがドッカーンと横たわってしまったよネ。それに関わっての、もっと具体的で全くのNEW-WAYを探り出していく実験に世界は着手し始めてるのよ。

この際、もう少し長期的展望で、そのあたりについては考えたり議論したりでいいんじゃないスカ。こんなにもめてる理由は要するにこれって枝葉の問題じゃないってことでしょ。ワシが思うにですな、うまく具体的な手段(運営方法)を探れれば、こんなお互いに不毛なバトルはもう起こらないかもしれない。そんな展開はありうるよ。それは当局サイドの不利益には必ずしも繋がらないとワシは思う。今は次の場面へと向う嵐なのか?


その、当たり前すぎる具体方法について。
(↓)
第三章

2004年頃、去勢を張って書いた文章なんですが、今となっては残骸。
傲慢が過ぎた箇所(当時は必要でもあったんですが)一部削除致しました(反省